能生駅
テンプレート:出典の明記 テンプレート:駅情報 能生駅(のうえき)は、新潟県糸魚川市大字能生字白拍子にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線の駅である。
駅構造
島式ホーム2面4線で待避設備を有する高架駅。そのほかこの駅は側線を数本持ち、構内には小さな車庫も設けられている。駅の筒石方はすぐに頸城トンネル、浦本方は木浦トンネルがある。このためこの駅のホームは駅舎や駅の外部から見ると高い場所に位置しており、駅舎からホームへは駅の直江津方にある地下通路を通った後階段を上らなければならない。
駅舎はコンクリート造り二階建て。乗客の入ることが出来るところは一階のみで、駅としての設備もこの一階に集約されている。駅舎一階の内部には独立した部屋になっている待合所、コンコースや出札口、改札がある。駅舎の二階はホームと高さが一緒で、駅舎の二階からホームの脇に職員専用の通路が延びている。駅舎はホームの直江津寄りにある。
糸魚川地域鉄道部が管理し、ジェイアール西日本金沢メンテックが駅務を受託[1]する業務委託駅となっている。マルス端末はないがPOS端末が設置されており、この他補充券での指定席券の発行が可能。
直流電化されているため、以前は東日本旅客鉄道(JR東日本)から海水浴客向け臨時列車がこの駅行きとして東京・長野方面から運転されたこともある[2]。
ローマ字表記で日本一短い駅の1つでもある(そのローマ字表記はNouではなくNoであるため)。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | テンプレート:Color北陸本線 | 下り | 直江津方面 |
3・4 | テンプレート:Color北陸本線 | 上り | 富山・金沢方面 |
- 内側2線(2・3番のりば)が本線、外側2線が待避線という構成である。なお、運転指令上では1番のりばから順に「下り1番」「下り本線」「上り本線」「上り1番」としている。
- テンプレート:要出典範囲。
利用状況
1日の平均乗車人員は以下のとおりである[3]。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 一日平均乗車人員 |
2004 | 478 |
2005 | 475 |
2006 | 451 |
2007 | 437 |
2008 | 427 |
2009 | 424 |
2010 | 413 |
2011 | 395 |
2012 | 410 |
駅周辺
能生の市街地に位置する。糸魚川市役所能生事務所がある能生の中心部はこの駅から800メートルほど北の海岸近くにあるが、駅の周辺にも人家は多いほか、コンビニエンスストアなどの商店も多い。
駅の南300メートルほどのところに北陸自動車道の能生インターチェンジがある。北陸本線、北陸自動車道とも当駅付近はトンネルが連なっており、その間に駅やインターチェンジを設けている。
海岸沿いに出て、国道8号を東に800メートルほど行くと能生漁港に至る。能生漁港の付近には道の駅マリンドリーム能生や国の天然記念物に指定されている能生のヒメハルゼミ発生地、弁天岩など観光スポットが多い。能生漁港の附近には能生浜海水浴場もあり、このあたりは夏には多くの海水浴客でにぎわうこととなる。
能生インターチェンジから柵口温泉方面へ向かうとシャルマン火打スキー場があり、5月の初旬までスキーを楽しめる。
- 能生海水浴場
- 島道鉱泉
- 長者温泉
- 柵口温泉
- 湯の脇温泉
- 白山神社
- 糸魚川市役所能生事務所
- 能生体育館
- 能生郵便局
- 新潟県信漁連上越支店
- 新潟県立海洋高等学校
- 糸魚川市立能生小学校
歴史
- 1912年(大正元年)12月16日:信越線の名立駅から糸魚川駅までの延伸に伴い開業する(一般駅)。
- 1913年(大正2年)4月1日:線路名称が改定され、信越線の直江津駅から糸魚川駅間が北陸本線に編入されるとともに、当駅もその所属となる。
- 1969年(昭和44年)10月1日:北陸本線の複線電化に伴い現在地に移転。
- 1975年(昭和50年)3月10日:貨物の取扱を廃止する(旅客駅となる)。
- 1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取扱を廃止する。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
- 2015年(平成27年)春(予定) - 北陸新幹線金沢延伸全線開業に伴い、えちごトキめき鉄道の駅となる。
能生騒動
1961年10月1日のダイヤ改正で大阪駅 - 青森駅・上野駅間に特急「白鳥」が設定された際[4]、当時北陸本線が単線だったため、当駅で上りが運転停車を行い、下りとすれ違うダイヤが組まれていた[5]。しかし、金沢鉄道管理局が作成した駅掲出の時刻表に誤って上り列車の停車時刻が記載され、また一部の市販時刻表にも時刻が掲載された[4]。テンプレート:要出典範囲、本社や中部支社から「客扱いをしない」旨の指示が届かなかったことから、客扱いをするものとしていた[5]。テンプレート:要出典範囲。一方、本社や中部支社は、準急さえ止まらぬ駅で特急の客扱いをしないことは当然という意識であったという[5]。地元では、特急停車を祝賀するつもりで「ミス能生」まで選出し[4]、花束などを用意して「白鳥」を迎えることになった[5][4]。ダイヤ改正当日の午後2時34分、停車した「白鳥」を、駅で地元の婦人会が浴衣姿で踊って出迎え[5]、乗務員に花束まで渡した[4][5]ものの、ドアは開かぬまま「白鳥」は発車し[5][6]、特急が停車して客扱いもするものと思っていた関係者らは落胆した[5]。これを俗に「能生騒動」と呼ぶ[7]。
なお能生駅は、1982年のダイヤ改正後から2000年代初めまで[8]特急「北越」1往復が停車し、正真正銘の特急停車駅となった時期があったが、現在は能生駅での特急利用客減や、北陸本線の富山駅以北の特急が「はくたか」以外減少したこともあり、普通列車のみの停車駅に戻っている。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:Color北陸本線
参考文献
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:北陸本線- ↑ 受託駅紹介 - ジェイアール西日本金沢メンテック(2012年12月10日閲覧)
- ↑ 梶屋敷まで回送の上折返しを行っていた。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 糸魚川市
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 『鉄道面白事典』 p.51
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 「ぬか喜びの特急停車 北陸線能生駅 国鉄が不手際」 『朝日新聞』1961年10月3日付け東京朝刊、13面。
- ↑ 『鉄道面白事典』 p.52
- ↑ Swan song - Ctrl-T(宮本康宏による私設サイト)
- ↑ 弘済出版社「コンパス時刻表」2001年10月号によると1往復停車あり、JTB大型時刻表2003年4月号によると停車なし。