細胞内共生説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

細胞内共生説(さいぼうないきょうせいせつ)とは、1967年マーギュリスが提唱した、真核生物細胞の起源を説明する仮説。ミトコンドリア葉緑体は細胞内共生した他の細胞(それぞれ好気性細菌藍藻に近いもの)に由来すると考える。

概要

マーギュリスが唱えた説の内容は、

  1. 細胞小器官のうち、ミトコンドリア葉緑体中心体および鞭毛が細胞本体以外の生物に由来すること。
  2. 酸素呼吸能力のある細菌が細胞内共生をしてミトコンドリアの起源となったこと。
  3. スピロヘータが細胞表面に共生したものが鞭毛の起源となり、ここから中心体が生じたこと。
  4. 藍藻が細胞内共生して葉緑体の起源になったこと

である。

このように、当初の説では鞭毛も共生由来としていたが、これには誤解がある(鞭毛自体にはDNAは見つかっていない)。しかし、当時はこれだけが特に不自然であるとは思われていなかったようである。

反対説としては中村運の「膜進化説」などがある。

歴史

ミトコンドリアや葉緑体などの細胞小器官はその形態などの特徴から共生微生物に由来するものではないかとする考えが古くからあった。

葉緑体については1883年にシンペルが葉緑体が細胞内で分裂によって自立的に増殖することを指摘して、共生体である可能性を示唆した。1890年にはミトコンドリアについてアルトマンが同様の指摘をしているのも、これに影響を受けてのことらしい。1909年にコレンスは細胞質遺伝を発見し、これは葉緑体が独自に遺伝子を持つ可能性を示唆するものとなった。それが正式に確認されたのは1962年、リスによるクラミドモナス葉緑体からのDNA発見による。ミトコンドリアについては1953年にやはりミトコンドリアに関する細胞質遺伝が発見され、1963年にナス夫妻によってミトコンドリアDNAが確認された。

また、1958年には細胞から取り出したミトコンドリアが独自のタンパク質合成を行えることが示された。つまり、独自の遺伝子と、それに基づく独自のタンパク質合成機能を持つことが示されたのである。これは、ほぼ独自の生物である、と言うことを意味する。

1927年にはウォリンがミトコンドリアが細胞外でも分裂するなどと述べてそれがバクテリアに似ていることを主張したが、これは事実誤認による先走りだった。しかしながら、上記のような研究や知識の集積から、共生説は次第に認められる方向に動いた。

細胞内共生説を支持する証拠

まず、細胞内の共生という現象はさほど特殊なものではない。原生生物に於いても共生の事例は数多い。藻類を細胞内共生させる繊毛虫刺胞動物もある。超鞭毛虫に於いて、一部の鞭毛が実はスピロヘータの共生しているものであった例も知られる。

他方、葉緑体ミトコンドリアは他の細胞器官と異なって、それぞれが分裂によって増殖し、しかも独自の遺伝子を持っていることが知られている。そのため、葉緑体やミトコンドリアによって生じる生物の形質には、メンデル遺伝に従わない例がある(細胞質遺伝)。また、葉緑体自身がDNAを持っているので、それを元に蛋白質合成をするためのリボソームも葉緑体に独自のものがある。しかも、塩基配列の比較により、リボゾームRNAが細胞本体のものと異なり細菌のそれに近いことも知られるようになったため、いよいよこれが本来は独自の生物であると考えられるようになったのである。

その後の展開

その後、細胞内共生説は、ほぼ定説とされている。 もちろん、変わった部分もある。まず、鞭毛については共生起源の可能性が否定された。他方、ペルオキシソームが新たに共生起源の可能性を示唆されている。また、真核生物の本体は真生細菌より古細菌に共通する点が多く、古細菌に近い生物に真正細菌が細胞内共生したのが真核生物の起源だとする考えが有力である。

そして、原生生物の中では、新たな形での細胞内共生の例が多数発見された。藻類の葉緑体は、高等植物のものと比べて、複雑な形のものが多く、それらの中には、二重膜ではなく、三重、四重の膜に包まれたもの、あるいはその中にはっきりとした核のような構造を持つものがある。 これらが、細胞内に葉緑体を持つ真核単細胞生物を、別の真核生物が取り込んだことから生じたものだということがわかってきた。すなわち、細胞内共生体を持つ細胞を、細胞内共生(二次共生)させているわけである。 なお一部の藻類原生生物はさらに細胞内共生を繰り返して成立したといわれている。

参考文献

  • 石川統『細胞内共生』,(1985),UP バイオロジーシリーズ(東京大学出版会)

関連項目