糟屋郡

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糟屋郡(かすやぐん)は、福岡県ので、福岡都市圏に属す。

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以下の7町を含む。

かつて属していた現在の

  • 古賀市(こがし) - 1997年に古賀町が市制施行、郡より離脱。

2007年1月29日、新宮町をのぞく6町の間で「合併研究会事務局」を開設。4月以降に任意合併協議会を発足し、同年12月をめどに法定合併協議会へ移行した。2010年2月の合併を目指して来たが、今のところ具体的な話は進んでいない。

なお、屋郡と郡内の屋町では「かす」の漢字が異なっており、留意が必要である(常用漢字外)。

歴史

古代

糟屋の名のいわれは不明だが、その歴史は古く、京都の妙心寺国宝梵鐘には

戊戌年四月十三日壬寅収糟屋評造舂米連廣國鋳鍾

という銘があり、戊戌年、西暦698年に舂米連広国(つきしねのむらじひろくに)という糟屋(こおり)の長官であった人物がこの鐘を鋳造させたことが記されている。その後も、『筑前国風土記』(逸文、713)、『日本書紀』(720)、『延喜式』(927)、『和名抄』(931–938)に一貫して「糟屋」という文字で現れる。『日本書紀』に記された磐井の乱の経緯が史実ならば、大和朝廷に筑紫君葛子が糟屋の屯倉を献上したのは528年となる。 『和名抄』によれば10世紀当時糟屋郡には香椎(カスヒ)・志阿(志珂の誤りか)・厨戸・大村(オホムラ)・池田・阿雲(阿曇の誤りか)・柞原(クハラ)・勢門(セト)・敷梨の9郷が存在した[1]。 福岡藩時代およびそれ以前より1889年(明治22年)に町村制が施行されるまでは、糟屋郡北部は裏糟屋郡、南部は表糟屋郡に分けられていた。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:筑前国糟屋郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近現代

郡域南部には粕屋炭田と呼ばれる炭田が広がっており、明治以降石炭産業で栄えたが、1960年代にエネルギー源が石炭から石油へ移行したため郡内の炭鉱はすべて閉山し、人口・産業などの面で衰退した。その後、隣接する福岡市の発展により、ベッドタウンとして人口が増加に転じた。

2005年4月1日、それまで日本の郡の中で最も人口が多かった愛知県海部郡のうち4町村が愛西市として市制施行したことで、日本で一番人口の多い郡となった。粕屋町、志免町、篠栗町は、2005年までの5年間の人口増加率が県内1〜3位である。

明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
表糟屋郡 久原村 久原村 久原村 昭和31年9月30日
久山町
久山町 久山町
山田村 山田村 山田村
篠栗村 昭和2年1月1日
町制
篠栗町 昭和30年4月1日
篠栗町
篠栗町 篠栗町
勢門村 勢門村 勢門村
仲原村 仲原村 仲原村 昭和32年3月31日
粕屋町
粕屋町 粕屋町
大川村 大川村 大川村
須恵村 須恵村 昭和28年4月1日
町制
須恵町 須恵町 須恵町
宇美村 大正9年10月20日
町制
宇美町 宇美町 宇美町 宇美町
志免村 昭和14年2月17日
町制
志免町 志免町 志免町 志免町
箱崎町 昭和15年12月26日
福岡市に編入
福岡市 福岡市 福岡市 福岡市
多々良村 多々良村 昭和25年4月1日
町制 多々良町
昭和30年2月1日
福岡市に編入
裏糟屋郡 香椎村 昭和18年2月11日
町制
香椎町
和白村 和白村 昭和29年11月1日
町制
昭和35年8月27日
福岡市に編入
新宮村 新宮村 昭和29年11月1日
町制
昭和30年4月1日
新宮町
新宮町 新宮町
立花村 立花村 立花村
席内村 昭和13年4月17日
町制改称
古賀町
古賀町 昭和30年4月1日
古賀町
平成9年10月1日
市制
古賀市
青柳村 青柳村 青柳村
小野村 小野村 小野村
那珂郡 志賀島村 志賀島村 昭和28年7月5日
町制改称
志賀町
昭和46年4月5日
福岡市に編入
福岡市 福岡市

参考文献

  1. テンプレート:Cite web テンプレート:Cite web

関連項目

テンプレート:Navbox テンプレート:筑紫二国の郡