竹岡和宏

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テンプレート:Infobox baseball player 竹岡 和宏(たけおか かずひろ、1975年1月25日 - )は、滋賀県栗東市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

1999年社会人野球日本選手権大会後に日本IBM野洲を退社し、数球団のプロテストを受けるものの、不合格に終わる。

2000年中山硬式野球クラブに入団した。同年秋にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結ぶ。

2001年、2Aグリーンビルからキャリアをスタートさせ、2002年には3Aリッチモンドに昇格を果たす(このとき元巨人デーモン・ホリンズとチームメイトとなる)。2003年は3Aリッチモンドで開幕を迎えたが、シーズン途中で再び2Aグリーンビルに降格。その後、独立リーグへ移籍した。

社会人野球、クラブチーム、米マイナーリーグ、米独立リーグとさまざまな球団を渡り歩き、2003年秋に福岡ダイエーホークスからドラフト8位で指名を受け、入団。29歳でのプロ入りとあって、同期で27歳で入団した三瀬幸司と共にオールドルーキーとして注目を集めた。

ソフトバンク時代

2006年は自己最多の22試合に登板して防御率1.88の好成績を残した。2007年も2年連続の防御率1点台だったが、コントロールの不安定さから敗戦処理での登板が多かった。

2008年は19試合に登板したが戦力外通告を受ける。その後12球団合同トライアウトに参加したが、日本の球団から声は掛からなかった。

ソフトバンク退団後

米球界への復帰を目指し、アメリカロサンゼルス郊外のw:Urban Youth Academyメサにあるシカゴ・カブスの施設等で自主トレを行い、各球団のトライアウトを受け、さらに台湾プロ野球の入団テストにも挑戦したが、契約はならなかった。

2009年5月からは社会人野球のクラブチーム、OBC高島に入部。選手兼任コーチとして、同年の全日本クラブ野球選手権大会ベスト4進出・社会人野球日本選手権大会の初出場に貢献した。大会でも登板した。その後、自身のブログで2009年限りで現役を引退することを表明した。引退後は野球教室や講演会活動などを行っていたが[1]、2012年11月西麻布にストレッチスタジオ『トリム西麻布』を開業した[1]

プレースタイル

長身でサイドスロー気味のスリー・クォーターから繰り出す150km/h近いストレートツーシームスライダーを投げる。特にツーシームは、球威のある癖球で最大の武器である。プロ入り当時はオーバースローから少しヒジを下げた程度のスリークォーターだったが、プロ2年目からサイドハンドに近いフォームへ改造した。
性格は強気で、球威も申し分ないが、制球力に課題があり、一軍と二軍の往復が目立った。先発が崩れた時の中継ぎで起用される場合が多く、時には先発も任される。ロングリリーバーとしても起用された。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 ダイエー
ソフトバンク
13 1 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 132 28.0 31 1 18 1 3 10 3 0 21 19 6.11 1.75
テンプレート:By2 16 1 0 0 0 1 2 0 1 .333 97 23.1 22 1 9 0 2 12 1 0 10 6 2.31 1.33
テンプレート:By2 22 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 118 28.2 31 1 6 1 2 10 0 1 6 6 1.88 1.29
テンプレート:By2 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 46 12.0 7 0 3 0 0 5 0 0 3 2 1.50 0.83
テンプレート:By2 19 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 97 24.0 19 3 11 0 1 15 0 0 9 6 2.25 1.25
通算:5年 77 2 0 0 0 4 3 0 2 .571 490 116.0 110 6 47 2 8 52 4 1 49 39 3.03 1.35
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

記録

背番号

  • 68 (2004年 - 2008年)

脚注

  1. 1.0 1.1 週刊ベースボール2013年2月4日号 P41 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "shuube20130204_P41"が異なる内容で複数回定義されています

関連項目

外部リンク

テンプレート:福岡ダイエーホークス2003年ドラフト指名選手