稲田駅
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稲田駅(いなだえき)は、茨城県笠間市稲田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)水戸線の駅である。
かつては石材の積み出しで栄えた。石材を積み出すために、駅北側に稲田人車軌道が敷設されていた。
歴史
稲田駅は、稲田御影石を輸送するため石材業者の鍋島彦七郎[1]が地元民の協力のもと用地を日本鉄道に提供して、1897年に貨物駅として開業したのを始まりとする。翌年からは旅客の取扱いもするようになったが主力は石材の輸送であり、最盛期の大正時代には1日平均貨車30両以上の発送があった。そのため石材運搬に必要な設備が設けられていた。
1898年(明治31年)12月に竣工した駅舎が残っていたが、老朽化により建て替えられた[2]。2012年(平成24年)10月に着工し、地元の稲田石を使った木造平屋建て49.6平方メートルの駅舎が建設され、2013年(平成25年)3月6日に供用開始された[3]。
年表
- 1897年(明治30年)6月5日 - 貨物駅として完成。8日より営業開始[4]。
- 1898年(明治31年)
- 1906年(明治39年)10月31日 - 国有化。
- 1907年(明治40年) - 構内を大拡張[4]。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、水戸線の駅となる。
- 1917年(大正6年)4月7日 - 2番線に計重台(秤量30噸)を新設[4]。
- 1922年(大正11年)9月26日 - 石材積み込みの車の往来が多いため、街道踏切に踏切番舎を新設[4]。
- 1931年(昭和6年)2月14日 - 第1ホームにガントリークレーン(3噸)を新設[4]。
- 1936年(昭和11年)2月10日 - 第3ホームに簡易門型クレーン[5](3噸)を新設[4]。
- 1936年(昭和11年)10月12日 - 第2ホームにガントリークレーン(3噸)を新設[4]。
- 1958年(昭和33年)12月19日 - 貨車移動機(加藤製作所ディーゼル)を配備[4]。
- 1976年(昭和51年)1月9日 - 貨車移動機(10噸)を配備[4]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuicaの供用を開始。
- 2009年(平成21年)3月14日 - 発車メロディを導入。
- 2013年(平成25年)3月6日 - 新駅舎供用開始[3]。
駅構造
2013年(平成25年)3月6日に供用開始された駅舎は木造平屋建て床面積49.6平方メートルあり、地元の稲田石を使用している[3]。相対式ホーム2面2線を持つ地上駅である。互いのホームは跨線橋で連絡している。テンプレート:要出典範囲。
のりば
1 | テンプレート:Color水戸線(下り) | 友部・水戸方面 |
2 | テンプレート:Color水戸線(上り) | 下館・小山方面 |
利用状況
2012年度の1日平均乗車人員は205人である。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均乗車人員 |
2001 | 302 |
2002 | 284 |
2003 | 282 |
2004 | 275 |
2005 | 271 |
2006 | 259 |
2007 | 250 |
2008 | 269 |
2009 | 252 |
2010 | 232 |
2011 | 212 |
2012 | 205 |
駅周辺
バス路線
- 国道50号線沿いの「稲田駅入口」バス停から発車する。
乗場 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行会社 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
総合学校前・福原駅 | 桃山 | 茨城交通 | 土休日運休 | ||
荒町 | 笠間駅 | 茨城交通 | 土休日運休 |
隣の駅
- 東日本旅客鉄道
- テンプレート:Color水戸線
脚注
参考文献
- 小林三郎『稲田御影石材史』稲田石材商工業協同組合、1985年、109 - 113頁