神取忍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:政治家

神取 忍(かんどり しのぶ、本名:神取 しのぶ/読みは同じ、1964年10月30日 - )は、日本の女子プロレスラー。元柔道選手、元参議院議員神奈川県横浜市磯子区出身。私立横浜学園高等学校卒業。プロレスラーとしてはLLPW-X、芸能人としてはサンミュージックプロダクション所属。

所属

プロフィール

テンプレート:Infobox プロレスラー

テンプレート:MedalTableTop テンプレート:MedalCountry テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBottom

柔道家として

15歳から始めた柔道で、1983年から全日本選抜柔道体重別選手権(66kg級)3連覇、1984年世界柔道選手権大会3位、1983年の第1回福岡国際女子柔道選手権大会2位、1985年第3回福岡国際3位など国際大会でもトップクラスの成績を収めた。しかし神取は講道館と直接の関わりを持たない町道場出身だったため、柔道界ではあまり優遇されていなかったといわれている。

神取は1986年に突然プロレスラーへ転向した理由を「年齢的に数年後に開催されるオリンピックを目指すモチベーションを保てなかった」ことであると公言しており、当時の関係者からの引きとめも同様の理由で全て固辞した。後年『リングの魂』で神取本人が語ったところによれば、それ以来講道館が主催する柔道大会会場への出入りを禁止され、柔道家としては事実上の除名状態にあるという。神取がLLPWに移籍した後もこの状態は続き、当時同団体の代表を務めていた風間ルミが講道館主催の柔道大会に出場していた選手に挨拶をしようとしたところ、「神取の関係者はお断りする」と言われて門前払いを受け困惑したと述べている。

プロレスラーとして

1986年女子プロレス団体ジャパン女子プロレスに入団。1986年8月17日、後楽園ホールのメインイベントジャッキー佐藤戦でデビュー。その後、団体内のトラブルからジャッキーとの再戦で、神取いわく「(ジャッキーの)心を折る」壮絶なシュートマッチを行う。

プロレス界初のフリー宣言を行い、当時、全日本女子プロレスのエースで絶大な人気を誇っていた長与千種との対戦を熱望し、全女と交渉。しかし長与も乗り気だったにもかかわらず、当時の全女のフロントから拒否され、幻となる。その後、長与がカムバックしたことにより両者の対戦が期待されたが、実現したのは一度のタッグマッチのみ。再び長与が引退したため、両者のシングルマッチは未だに実現していない。尚、この事情はよその団体のリングに上がること自体が賠償問題になる場合があり挑発をしに行く前に弁護士の指導の下で赴いたとの事。

長与との対戦が不可能となった後、フリーランスとしてジャパン女子プロレスに戻るが、ジャパン女子の崩壊を経て1992年8月29日、LLPW(現・LLPW-X)の旗揚げに参加。

1993年、団体を背負い、北斗晶と対戦し2戦1勝1敗。デンジャラス・クイーンという北斗の異名のきっかけとなる流血試合を繰り広げる。

1995年、女子初の総合格闘技L-1に参加。優勝候補と目されていたが、グンダレンコ・スベトラーナに敗れ準優勝。1998年の第2回大会でリベンジを果たし優勝。

1999年格闘探偵団バトラーツのマッハ純二(現・タナカジュンジ)に勝利。女子プロレスラーが男子にシングル戦で勝利した数少ない例。また2000年、「私が入っても全然違和感がない」と語った男女混合マッチを経て、天龍源一郎とシングルで対戦。拳で殴られ顔を腫らした結果、セコンドのタオル投入によるTKOで敗北したが、「女子プロレスという枠を壊したい」という発言を体現した。

2000年1月、『Physique 神取忍写真集』(バウハウス)にてセミヌードを披露。

2002年10月1日、LLPWの代表取締役に就任。

2005年3月5日、秋山準森嶋猛のセコンドとしてプロレスリング・ノアに登場、北斗晶と乱闘を繰り広げる。「(対戦相手の)天龍源一郎と(セコンドの)北斗晶が一番嫌いな人を」と秋山準に請われてのものである。

後楽園ホール控え室のドアを壊したという逸話を残すなど、女であるにもかかわらずその男っぷりのよさから、別名「女子プロレス最強の男」、「ミスター・女子プロレス」と呼ばれる。また、そのキャラクターを生かし、テレビ・ラジオへの出演や写真集の発売などのタレント活動も行っている。タレントから「しんじゅ兄やん」と呼ばれる。また、素人にはたとえ芸人などウケ狙いであっても、断じて技をかけたり、殴らないという方針を取っている。

政界入り

2004年7月、第20回参議院議員通常選挙自由民主党公認で比例区から立候補。「正直さ、イラク問題とかよく分かんないんだよね、ぶっちゃけ」など政治家候補とは思えぬ物言いで選挙戦を戦ったが、次点で落選した。

2006年9月28日、竹中平蔵参議院議員を辞職したことにより、自民党比例代表選出議員に欠員が発生し、前回選挙で次点であった神取の繰上げ補充を、10月3日中央選挙管理会が開いた選挙会で決定、翌10月4日に当選証書を交付し正式に議員に就任、同日初登院した。その際、トレードマークだった金髪を黒髪に染めている。また、同日、参議院議長は、本名の神取しのぶに代えて、神取忍を議員氏名として使用することを許可した。同年10月12日、清和政策研究会(町村派)に入会した。参議院議員としての公式サイト「神取忍.net」を開設し、併設の議員ブログで日々の活動を公開している。

2008年自由民主党総裁選挙では同じ清和会所属の小池百合子の推薦人、2009年自由民主党総裁選挙では河野太郎の推薦人となった。自民党が野党に転じてからは、参議院環境委員会で米海軍厚木基地からの汚水流出事故などを挙げながら「米軍施設からの汚水に対して十分な対策ができることが国内法で担保されているのか」と環境大臣小沢鋭仁を問いただした[1]

2010年7月、第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬するも落選。

政策

  • 毎日新聞の2010年参院選候補者アンケートでは「選択的夫婦別姓制度」に対し「反対」と回答した[2]

得意技

  • 脇固め - 各種の関節技は藤原喜明直伝。
  • 神取スペシャル(1 - 3)
  • ドリカン・ニーサレンダー - 出演した番組笑っていいとも!にて、開運アドバイザー安斎勝洋による命名。
  • タイガードライバー
  • スイング・スリーパーホールド

「心を折る」

井田真木子は神取、デブラ・ミセリー天田麗文ら1980年代の日本で活動した女子プロレスラーたちを取材し第22回大宅賞を受賞したノンフィクション『プロレス少女伝説』(かのう書房、1990年)の中で、1987年7月18日に大和車体工業体育館で行われた神取忍対ジャッキー佐藤の試合のしばらく後に行った神取へのインタビューにおいて、神取が「(佐藤の)心を折ろうと思った」と発言したことを記し、初めて聞いた表現であったと書き添えている。

タイトル歴

入場テーマ曲

テレビ番組

ほか多数

テレビCM

著書

  • 『神取流 いじめ解消術 弱者の吠え方』柏艪舎 2012年

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:WWWA世界シングル王座
  1. 自民党の神取氏「米軍施設からの汚水に対策を」 カナロコ(神奈川新聞社)2010年4月27日
  2. 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。