磁気コアメモリ

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ファイル:Ferrite core memory.jpg
CDC 6600(1964年)で使われた磁気コアメモリ。大きさは10.8×10.8 cm。拡大図はコアの構造を示したもので、1コアごとに1ビット、全体では64 x 64 コアで合計4096ビットの容量がある

磁気コアメモリ(じきこあめもり)は、小さなドーナツ状のフェライトコアを磁化させることにより情報を記憶させる記憶装置コンピュータの初期世代ではよく使われた。原理的に破壊読み出しで、読み出すと必ずデータが消えるため、再度データを書き戻す必要がある。破壊読み出しだが、磁気で記憶させるため、不揮発性という特徴がある(ただし、電源投入時のノイズ等で内容が破壊されうるので、設計次第で揮発性メモリのように扱われる)。

縦方向、横方向、さらに斜め方向の三つの線の交点にコアを配置する。縦横方向でアドレッシングを行ない、斜め方向の線でデータを読み出す。

歴史

ファイル:Project Whirlwind - core memory, circa 1951 - detail 1.JPG
Whirlwind(1951年)で使われた磁気コアメモリ。容量は2048ビット

磁気コアメモリを世界で初めて開発したのは上海生まれのアメリカ人物理学者であるアン・ワング王安)と Way-Dong Woo である。彼らは1949年に「パルス転送制御デバイス」を開発したが、その名称が意味するのはコアの磁場を活用して電気機械式システムの制御をするというものだった。ワングと Woo はハーバード大学の研究所に勤務していたが、大学側は彼らの発明を売り出すことに興味を持たなかった。そのため、ワングは Woo が病で臥せっている間にそのシステムの特許を自分のものとした。

マサチューセッツ工科大学 (MIT) の Whirlwind プロジェクトに従事していたジェイ・フォレスターらのグループが、このワングらの業績に気づいた。Whirlwind はリアルタイムのフライトシミュレーションに使われる予定であり、高速なメモリを必要としていた。最初はウィリアムス管を使おうとしていたが、このデバイスは気まぐれで信頼性に乏しかった。

ふたつの発明によって磁気コアメモリの開発が可能となった。ひとつはアン・ワングのライト-アフター-リード・サイクルの発明である。これにより情報を読み出すと消えてしまうという問題が解決された。もうひとつはジェイ・フォレスターの電流一致システム (coincident-current system) であり、これによって多数のコアを数本のワイヤで制御することが可能となった。

コア配列は人間の手で顕微鏡と精密なモーターを使って組み立てられていた。1950年代後半には、極東でコアメモリ製造工場ができている。数百人の労働者が一日数セントの賃金でコアメモリを組み立てていた。これによってコアメモリの価格が低くなり、1960年代初めには主記憶装置として広く使われるようになり、低価格/低性能の磁気ドラムメモリも高価格/高性能の真空管メモリも使われなくなっていった。

磁気コアメモリの製造が自動化されることはなかったが、その価格はほぼムーアの法則に従った推移を示した。最初のころビット当たり1ドル程度だった価格は、最後にはビット当たり0.01ドルになっている。その後磁気コアメモリは 1970年代初めにシリコン半導体のメモリチップ (RAM) に置き換えられていった。

ワング博士の出願した特許は1955年にようやく認められたが、そのころには既に磁気コアメモリが使われていた。そのため長い訴訟問題となったが、IBMがワングに数百万ドルを支払って特許権を買い取ることで解決した。ワングはこれを資金としてワング・ラボラトリーズの規模を拡大させた。

磁気コアメモリは、磁気をスイッチや増幅に使用する様々な技術のひとつである。1950年代、真空管は先端技術であったが、その材質は壊れやすく、発熱と電力消費が大きく、不安定であった。磁気デバイスはトランジスタなどの半導体デバイスと同様の利点を持っていて、軍事利用された例が多い。

構造と記憶の原理

一般的な磁気コアメモリについて、その構造と記憶の原理について説明する。

磁気コアメモリは、小型のフェライト磁性体のリング(コアという)にケーブルが通されたものが、格子状に多数配置された構造になっている。コアの一つが1ビットの記憶容量を持つ。

一つのコアに対しては、書き込み用ケーブル2本と読み出し用ケーブル1本が通っている。書き込み用ケーブルは格子状に配線され格子点にコアがある。格子の縦横各1本の書き込み用ケーブルを指定すると、一つのコアが定まるわけである。これがビットアドレスの指定になる。コアは1本の書き込み用ケーブルに電流を流しただけでは磁化しないが、2本に流せば磁化する磁気特性を持っている。

あるコアにデータを書き込むには、そのコアに対応する書き込み用ケーブル2本に電流を流して磁化させる。電流の方向によりコアの磁界の向きが決まり、それにより0か1のビット値が決まる。なお、磁化されたコアは、電流が止まっても磁化した状態を保持するので不揮発性のメモリということができる。

あるコアのデータを読み出すには、そのコアに対応する書き込み用ケーブル2本に電流を流し、読み出し用ケーブルの電流を検知する。このとき現在のコアの磁界の向きが逆転するようであれば、読み出し用ケーブルに電流が流れる。逆転しない場合は、読み出し用ケーブルに電流が流れない。これによりコアのビット値が判明する。しかし、データを読み出すときに、書き込み用ケーブル2本に電流を流すのでコアが磁化されてしまい、読み出し前の内容が失われてしまう(非破壊読み出しができない)。このためコアの内容を保持したい場合は、再度、データ書き込みをしなくてはならない。

豆知識

  • コンピュータのメモリが半導体化されて久しいが、メモリ内容をダンプしたファイルをコアダンプ(プログラムの異常終了などでそうなることを「コアを吐く」ともいう)と呼ぶのは磁気コアメモリが使われていた当時の名残りであり、現在でも使われている。
  • IBM半自動式防空管制組織に用いた磁気コアメモリの駆動回路に、真空管に代えてシリコントランジスタを採用し信頼性と高速性を確保した。トランジスタがゲルマニウム製全盛期に、シリコントランジスタを製造できたのはロバート・ノイス率いるフェアチャイルドセミコンダクターのみであり、IBMはフェアチャイルドセミコンダクターから独占的に高額で買い付け、創業時のフェアチャイルドセミコンダクターを(結果的に)資金面で支えた。後年フェアチャイルドセミコンダクターを見限ったロバート・ノイスは、半導体メモリを集積回路で安価に製造することで、(自身が普及を助けた)磁気コアメモリに取って代わることを目的としてインテルを設立した。最初期の社章はコアを齧るイメージを用いている。最初のD-RAMを商品化したのもIntel社である。
  • 最も遅い時代までコアメモリが使われていたとしてよく語られるもののひとつに、スペースシャトルの飛行制御システムに使われたAP-101の初期型がある。このことは『困ります、ファインマンさん』に書かれて広く知られるようになった[1]
  • 特定のコアへのアクセスが集中すると、そこがを持って正常動作が出来なくなる。これは、プログラムで同一変数に連続して操作を行うと値が化ける現象として現れる。そのため、プログラムでは異なる変数を順次操作する様に考慮する必要がある。

参照

  1. 「ジョンソン基地では非常に良いソフトウェアを作っているのだが、悲しいかなシャトルに載っているコンピュータは、およそカビでも生えそうな時代遅れのモデルで、もう製造すらしていない。その記憶装置も中に電線が通った磁気コアから成るおよそ旧式なしろものだ。」(R.P.ファインマン『困ります、ファインマンさん』岩波現代文庫、278頁)

関連項目

外部リンク

いずれも英文

テンプレート:補助記憶装置fr:Mémoire (informatique)#Tore magnétique