砂川事件

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砂川事件(すながわじけん)は、砂川闘争をめぐる一連の事件である。特に、1957年7月8日特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反で起訴された事件を指す。

当時の住民や一般の人々ではおもに「砂川紛争」と呼ばれている。全学連も参加し、その後の安保闘争全共闘運動のさきがけとなった学生運動の原点となった事件である。

ファイル:Sunagawa Incident 01.jpg
砂川事件(1955年頃撮影)

関連する訴訟

  • 内閣総理大臣土地収用認定に対する取消し訴訟
  • 土地明渡し請求訴訟
  • 砂川町長に対する職務執行命令訴訟 など

第一審(判決)

東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、1959年3月30日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集1・3・776)ことで注目された(伊達判決)。これに対し、検察側は直ちに最高裁判所跳躍上告している。

最高裁判所判決

最高裁判所大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、同年12月16日、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論採用)として原判決を破棄し地裁に差し戻した(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)。

最終判決

田中の差戻し判決に基づき再度審理を行った東京地裁(裁判長・岸盛一)は1961年3月27日、罰金2000円の有罪判決を言い渡した。この判決につき上告を受けた最高裁は1963年12月7日、上告棄却を決定し、この有罪判決が確定した。

影響

この事件は安保体制と憲法体制との矛盾を端的に示す政治的に極めて重要なものであることから大いに論議を呼び、特に最高裁判所の判決に対し強い批判が浴びせられたが、日本国憲法条約との関係で、最高裁判所が違憲立法審査権の限界(統治行為論の採用)を示したものとして注目されている。

その後、米軍は立川基地から横田基地(東京都福生市)に移転することが決まり、1977年11月30日、立川基地は日本に全面返還された。跡地は東京都の防災基地陸上自衛隊立川駐屯地国営昭和記念公園ができたほか、国の施設が移転してきている。

2014年5月15日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(第7回)」の報告書[1]にて言及され、同年7月1日第2次安倍内閣による臨時閣議[2]での憲法解釈変更の1つの根拠とされた。

最高裁判決の背景

機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、2008年から2013年にかけて新たな事実が次々に判明している。

まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた[3]。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた条約改定(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約から日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。これについて、同事件の元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定[4]。不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が1959年4月におこなった会談についての文書を公開した[5] [6]

また田中自身が、マッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと[7]、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたこと[8]が明らかになった。ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという[9]。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした[10]。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている[11]古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、「このような現実政治追随的見解は論外」[12]と断じており、また、憲法学者で早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに「司法権の独立を揺るがす[13]もの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」とコメントしている[14]

再審請求

2014年6月17日、当時の被告4人が、有罪判決は誤りであり破棄して免訴とするよう再審請求を行なった。今次の請求について「第2次安倍内閣集団的自衛権の合憲解釈を、田中判決・岸判決を根拠にしようとしているため。抗議の意味を込めて」と説明している[15]

脚注

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関連項目

外部リンク

  • テンプレート:PDFlink, p. 5. 2014年8月17日閲覧
  • テンプレート:PDFlink 2014年8月17日閲覧
  • テンプレート:Cite news
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  • 元被告ら“米工作”開示文書公表 砂川事件 共同通信2010年4月8日
  • 最高裁長官「一審は誤り」 砂川事件、米大使に破棄を示唆 共同通信2013年1月17日
  • 砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前 毎日新聞2013年4月8日
  • 澤藤統一郎の憲法日記「アメリカ産の砂川事件大法廷判決」 日本民主法律家協会
  • 砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前(1/2) 毎日新聞2013年4月8日
  • 本判決全文 裁判所 2014年8月17日閲覧
  • 『憲法判例百選II[第5版]』210事件有斐閣
  • 日本国憲法第76条違反
  • 砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」―どこが「主権回復」なのか 水島朝穂ホームページ『平和憲法のメッセージ』「今週の直言」2013年4月15日
  • 砂川事件元被告ら4人が再審請求 「集団的自衛権容認に抗議」 共同通信2014年6月17日