石鎚山

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テンプレート:統合文字 テンプレート:Infobox 山 石鎚山(いしづちさん、いしづちやま)は、四国山地西部に位置する標高1,982mので、近畿以西の西日本最高峰である[1]愛媛県西条市久万高原町の境界に位置する。

石鉄山石鈇山石土山石槌山あるいは伊予の高嶺などとも表記される。『日本霊異記』には「石槌山」と記され、延喜式の神名帳では「石鉄神社」と記されている。前神寺および横峰寺では「石鈇山(しゃくまざん)」とも呼ぶ[2]

概要

石鎚山は、山岳信仰修験道)の山として知られる。日本百名山日本百景の一つであり、日本七霊山のひとつとされ、霊峰石鎚山とも呼ばれる。石鎚山脈の中心的な山であり、石鎚国定公園に指定されている。

正確には、最高峰に位置する天狗岳(てんぐだけ、標高1,982m)・石鎚神社山頂社のある弥山(みせん、標高1,974m)・南尖峰(なんせんぽう、標高1,982m)の一連の総体山を石鎚山と呼ぶ。

三角点は天狗岳や弥山には設置されておらず、弥山の北西にある1,920.63mのピークに三等三角点「石鎚山」が設置されている[3]。神社の敷地を避けたものと思われる。石鎚山系の一等三角点「面河山」は南西側の二ノ森山頂(1,929.24m)に設置されている。

第三紀の1500万年前ごろまで、活火山として活動しており、山体は三波川変成帯を覆う、安山岩からなる[4]。この安山岩は山頂の南側の面河渓を中心とする直径約7kmに分布しており、カルデラを形成していた。ちなみに、このカルデラは日本で一般的なじょうご型カルデラではなく、環状割れ目噴火によるバイアス式カルデラである。約2万年前の最終氷期にこの辺りは周氷河作用がはたらき、岩石が砕かれ岩稜の山が形成されたと推定される[4]

山岳信仰

石鎚山は古くから山岳信仰の山とされ奈良時代には修行道場として知れ渡りった。役小角空海も修行したとされ山岳仏教修験道が発達し、信仰の拠点として石鎚神社前神寺極楽寺、および横峰寺がある。また成就社は奥前神寺とも呼ばれていた。

古代の石鎚山は笹ヶ峰瓶ヶ森および子持権現山が石鎚信仰の中心であったとする説、あるいは現在の石鎚山と笹ヶ峰の東西2つの霊域を想定する説がある[2][5]新居浜市の正法寺では現在も笹ヶ峰の石鎚権現の別当を主張している。

平安時代前半には神仏習合が行われたとされ、山岳信仰特有の金剛蔵王権現および子持権現が祀られた。天正年間には河野通直村上通聴が社領、1610年慶長15年)には豊臣秀頼が成就社を寄進した。寛文年間には小松藩一柳氏西条藩松平氏の帰依により社殿が整備された[6][7]

江戸時代には信者の増加に伴い、別当職や奥前神寺の地所をめぐって西条藩領の前神寺と小松藩領の横峰寺との間に紛争が起こった。古来、石鉄山社別当は前神寺が専称していたのに対し、1729年享保14年)に横峰寺が「石鉄山横峰寺別当」の印形を使用したのが発端であるとされ、双方が京都御所に出訴するに至った。そこで「石鉄山社別当」は前神寺が専称し、「仏光山石鉄山社別当」は横峰寺が称するとの裁決が下された[2]

1871年明治4年)の神仏分離により、石鎚蔵王権現は石鎚神社に、前神寺および横峰寺は真言宗に所属することとなった。明治時代以降は石鎚神社、前神寺、横峰寺はさらに多くの信者を集めるに至った。毎年、7月1日から10日までの間に「お山開き」の神事が執り行われ、多くの信者が参拝登山に訪れる。古くからお山開きの期間中は女人禁制とされてきたが、現在では7月1日だけが女人禁制となり、女性は成就社までで山頂まで登る事が出来ない。

登山

石鎚山の頂は、通常は天狗岳のことを指すが、弥山から天狗岳までが岩場であることや、天狗岳に多人数がとどまれるスペースがないこともあり、天狗岳直前(約200m手前)の弥山までの登山者も多い。弥山には石鎚神社の鎮座のほか山頂小屋がある。

弥山まで3箇所の鎖場があり、下から「一の鎖」(33メートル)、「二の鎖」(65メートル)、最後は「三の鎖」(67メートル)と続くが迂回路もある。「一の鎖」の手前に前社ヶ森(1,592m)の岩峰にかかる「試しの鎖」(74メートル)があり、これが最も急勾配である。弥山へのは近世頃より掛けられたとされ、1779年安永8年)に鎖が切れ、翌1780年(安永9年)に鎖の掛け替えを行ったとする記録である『石鉄山弥山鎖筋之覚』が前神寺旧記に残されている。山頂からは瀬戸内海、および土佐湾、見通しのよい日には大山を始めとする中国山地九州九重連山まで望むことができる。

主な登山口は、石鎚登山ロープウェイから石鎚神社成就社、土小屋、面河渓谷。成就からの登山道が表参道、面河からが裏参道と呼ばれる[8]。天狗岳直下には傾斜が強くオーバーハングした北壁が落ちており、四国一といってもよいロッククライミングのフィールドを提供している。南西斜面の中の沢・南沢は沢登りのルートとして知られる。堂ヶ森から二ノ森経由で石鎚山に至るルートもある。

動植物

石鎚山及びその周辺の森林は、暖帯林(カシ林)から温帯林(ブナ林)、標高1,700メートル以上の亜寒帯林(ダケカンバ林、シラビソ(シコクシラベ)林)と変化に富んでいる。この亜高山帯針葉樹林は日本最南端のものであり[4]、多様な動物相を呈しており、クマタカハヤブサヤマネなどの生息地として重要であることから、国指定石鎚山系鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている(面積10,858ha、うち特別保護地区802ha)。また林野庁の森林生態系保護地域にも指定されている。

石鎚山を模式産地とする生物

  • イシズチトゲアシイエバエ Phaonia ishizuchiensis Shinonaga et Kano, 1971 イエバエ科トゲアシイエバエ亜科

文学・メディア

周辺の山々

堂ヶ森二ノ森━石鎚山━岩黒山━子持権現山━瓶ヶ森━西黒森━伊予富士寒風山笹ヶ峰ちち山
             ┃
            筒上山手箱山

ギャラリー

脚注・参考文献

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関連項目

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外部リンク

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  1. 日本国内では石鎚山より西に、また南に、それより高い地点はない。
  2. 2.0 2.1 2.2 『日本歴史地名大系39 愛媛県の地名』 平凡社、1980年
  3. 国土地理院 基準点成果等閲覧サービス
  4. 4.0 4.1 4.2 田代博、藤本一美、清水長正、高田将志 『山の地図と地形』 山と渓谷社、1996年
  5. 角川日本地名大辞典』 角川書店、1981年
  6. 石原保 『国史大辞典』2巻「石鎚山」、吉川弘文館、1985年
  7. 『石鎚山系の自然と人文』 石鎚山系総合学術調査報告、1960年
  8. 『アルペンガイド 中国・四国の山』 山と渓谷社、1998年