矢代幸雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

矢代 幸雄(やしろ ゆきお、1890年11月5日 - 1975年5月25日)は、日本の美術史家、美術評論家である。音楽家矢代秋雄は長男。ギリシャ美術史研究者平山東子矢代秋雄長女)は孫。妻の弟が木村健二郎

人物

横浜出身。1915年東京帝国大学英文科卒業。東京美術学校(東京藝術大学)や第一高等学校で教職を務めた後、1921年から1925年にかけて欧州留学。フィレンツェ居住のアメリカ人美術史家バーナード・ベレンソンに師事し、サンドロ・ボッティチェッリ研究を行う。研究成果をまとめた英文の著 Sandro Botticelli (ロンドン:1925)は国際的評価を得た。その後も、華族らによって組織された学術振興のための財団法人「啓明会」から資金援助を得、ボッティチェッリ研究のための現地調査を行っている。

この欧州滞在の折に、川崎造船社長で美術収集家であった松方幸次郎ロンドンパリでの絵画購入に同行。印象派や当時評価を高めつつあったポスト印象派の作品購入をアドヴァイスし、「松方コレクション」(後に一部が国立西洋美術館の常設コレクションになった)の形成に大きく貢献する。ゴッホの「アルルの寝室」、ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち」が売りに出されていたために、松方にぜひとも購入するように勧めたが断られ落胆したという。しかし、松方はその後2点とも矢代に黙って購入していたという。[1]

帰国後は、東京美術学校教授。1936年に美術研究所(東京文化財研究所)所長に就任。戦後は大和文華館初代館長として活躍し、文化財保護委員会の委員を務めた。米のハーヴァード大学スタンフォード大学でも教鞭を取っている。

日本における西洋美術史研究の祖であると同時に、滞欧歴が長く海外の知己も多いコスモポリタンとしての立場から、日本美術の紹介と国際的認知にも努めた。戦後には、日本を世界の中の「文化国家」にしようという使命感のもと、美術・文化財にまつわる制度整備にも尽力している。

アメリカ人東洋美術史家、ラングドン・ウォーナーの友人であった矢代は、第二次世界大戦時に米軍が京都・奈良に空襲を行わなかったのは、日本の古都の文化的価値を尊重したからであるという、いわゆる「ウォーナー伝説」を作り出した人物でもある。

美術史研究においては、ボッティチェッリ作品の一部分と日本美術のディテールとを相互比較したり、水墨画における「滲み」に着目するなど、視覚的な「細部」に対して独自の着眼点から形態的(formalistic)な分析を行っている点が特徴的である。

1963年から芸術院会員。1970年文化功労者となった。

著作

  • 西洋美術史講話 古代篇 岩波書店、1921
  • 太陽を慕ふ者 改造社、1925
  • 西洋名彫刻 古代篇 福永書店、1927
  • 東洋美術論考 欧米蒐儲の名品 座右宝刊行会、1942
  • 日本美術の特質 岩波書店、1943
  • 随筆レオナルド・ダ・ヴィンチ 朝日新聞社、1948
  • 世界に於ける日本美術の位置 東京堂、1948/のち新潮文庫、(講談社学術文庫で再刊)
  • 随筆ヴィナス 朝日新聞社、1950/のち新潮文庫、(朝日選書で再刊)
  • 受胎告知 創元社、1952
  • 安井・梅原・ルノアールゴッホ 近代画家群 新潮社 1953
  • 藝術のパトロン 1958(新潮社)
  • 日本美術の恩人たち 文芸春秋新社 1961
  • 水墨画 1969(岩波新書) 
  • 歎美抄 東洋美術の諸相 鹿島研究所出版会 1970
  • 私の美術遍歴 岩波書店、1972
  • サンドロ・ボッティチェルリ 岩波書店、1977(高階秀爾らによる邦訳)
  • 日本美術の再検討 新潮社、1978 (ぺりかん社、初出『藝術新潮』1958-1959)
  • 忘れ得ぬ人びと 矢代幸雄美術論集1:岩波書店、1984
  • 美しきものへの思慕 矢代幸雄美術論集2:岩波書店 1984.3

共著

  • ジヨージ・ワシントン 井上赳共著 実業之日本社、1917

脚注

  1. 岡泰正『「アルルのゴッホの寝室」、松方コレクション、眼力示す。』2006年11月17日、日本経済新聞

参考文献

  • 末永航「太陽を慕う者――矢代幸雄」『イタリア、旅する心ー大正教養世代のみた都市と文化』青弓社、2005年、ISBN 978-4-7872-7196-9

外部リンク