白樺湖

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白樺湖(しらかばこ)は、長野県茅野市北佐久郡立科町の境、八ヶ岳中信高原国定公園に属する蓼科高原池の平にあるため池

特徴

周囲約3.8キロメートル、面積約36ヘクタールの人造湖で、湖面標高は1,416メートル。

現在は観光開発が進み、白樺湖を中心とした一大リゾート地として知られているが、もとは農業用水を確保するため建設された人工の温水ため池である。完成当初は蓼科大池(たてしなおおいけ)と呼ばれていたが、1950年代から貸しボートスケート場などの娯楽設備が整えられ、白樺湖に改められた。現在の湖周辺にはスキー場ホテル遊園地ゴルフ場などがあり、長野県下有数のリゾート地となっている。2008年からは新たにカヌースクールが開催され賑わっている。冬には、凍結した湖面上でワカサギ釣りが楽しめる(ここ数年はワカサギの減少により中止となっている)。もちろん、本来の目的である農業用溜池としても現役であり、茅野市北山にある110ヘクタールの水田に水を供給している。湖畔には国道152号ビーナスラインが通過している。

歴史

建設

現在の白樺湖がある地点は、もともとシラカバカラマツアシなどの植物が茂る静かな高層湿原であった。この地を訪れた地元柏原区の守矢仁作は、同席していた判事の男性から溜池を建設し農業利水(灌漑)や魚類養殖、観光産業に役立てることを提案される。この構想は1938年(昭和13年)、地元の総会にて500ヘクタールの水田を潤す溜池建設の計画として発表。音無川を堰き止めて池とし、水温の低い川の水を一時的に貯え、太陽光で温めて供給しようというものであった。組織された池の平耕地整理組合によって、計画は進められた。

堰堤(えんてい)の建設工事は1940年(昭和15年)に県営事業として着工した。総工費24万円のうち、から半分の12万円を補助金として支給され、残りを県と地元とが3対7で負担した。しかし、1944年(昭和19年)に資金難から中断される。不足金15万円を捻出(ねんしゅつ)した地元柏原区は、第二次世界大戦終戦後に工事を再開。労力は地元住民と諏訪中学校(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校の前身)在学生らの協力を得て、1946年(昭和21年)11月に完成した。池は当時の長野県知事により蓼科大池と命名され、管理主体を県から池の平土地改良区に委託した。1949年(昭和24年)には県と地元有志の出資により、池の漏水補強工事を実施している。

観光開発

蓼科大池の建設を構想した地元柏原区の守矢仁作は、純粋に農業用のため池としてだけでなく、魚の養殖や観光資源として利用できるものと将来を見据えていたようである。1949年(昭和24年)より池付近を経由する路線バスが開設され、貸ボートやスケートなど湖面利用が盛んになり始めると、次第に訪れる人々が増えていった。蓼科大池が地元の要望により白樺湖へと改名されたのは、1953年(昭和28年)のことである。

白樺湖を中心としたバンガロー別荘など観光開発が進む一方、それらから排出される汚水により白樺湖は次第に汚染されていった。化学的酸素要求量 (COD)、大腸菌数は環境基準値をオーバー。1969年(昭和44年)にはアオコの発生が確認された。これを憂慮した地元、茅野市や立科町では白樺湖浄化対策協議会を結成。特定環境保全公共下水道整備事業の第一号として事業認可を受けた白樺湖下水道組合は、1981年(昭和56年)より白樺湖下水道浄化センターの運用を開始。白樺湖の汚染に歯止めをかけた。

参考文献

関連項目

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外部リンク