田中英光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

田中 英光(たなか ひでみつ、1913年大正2年)1月10日 - 1949年昭和24年)11月3日)は、日本作家無頼派として知られる。

出方名 英光(でかたな ひでみつ)という筆名もあるが、これは身長180センチの巨体だったところから「でかい田中」と呼ばれていたのを縮めた名前である。 テンプレート:Infobox 作家

人物

高知県出身の歴史家岩崎鏡川(英重)の息子として東京府東京市赤坂区榎坂町(現・東京都港区赤坂)に生まれ、岩崎家から母の実家田中家に入籍。鎌倉市に育つ。神奈川県立湘南中学(現神奈川県立湘南高等学校)、早稲田高等学院早稲田大学政治経済学部卒業。大学在学中にロサンゼルスオリンピック漕艇選手として出場した[1]。その時の出来事をモチーフにした『オリンポスの果実』を書いている。

息子は作家の田中光二

名前の英光を「えいこう」と音読みされる場合もある。

駐在員として派遣された当時の朝鮮での体験、実兄の影響で入党した共産党での体験、愛人との新宿での生活が文学の背景にある。

太宰治に弟子入りし、太宰の自殺に大きな衝撃を受け、睡眠薬中毒と化し以降無頼に走る。

1949年(昭和24年)11月3日三鷹市禅林寺の太宰の墓前で自殺をはかり、搬送先の病院で死去する。

芳賀書店より田中英光全集(全11巻)が刊行されている。

太宰治の『お伽草紙』の「カチカチ山」に出てくるタヌキは英光がモデルではないかと言われている。

略歴

  • 1932年(昭和7年) ロサンゼルスオリンピックに早大漕艇部の一員として、エイト種目に出場(予選敗退)
  • 1935年(昭和10年) 大学を卒業し、横浜ゴムに就職。京城出張所勤務となる
  • 1937年(昭和12年) 小島喜代と結婚
  • 1940年(昭和15年) 「オリンポスの果実」を文学界に発表し第7回池谷信三郎賞を受賞する
  • 1944年(昭和19年) 京城から静岡県に引き揚げ
  • 1947年(昭和22年) 妻子を静岡に残したまま、東京都新宿区にて同棲生活をはじめる
  • 1949年(昭和24年)
    • 5月 同棲相手を薬物中毒による妄想のため刺す
    • 11月3日 禅林寺の太宰治の墓前にて、睡眠薬服用の上、手首を切り自殺

作品リスト

  • 魔王
  • 野狐
  • オリンポスの果実(1940年)
  • 聖やくざ
  • われは海の子 桜井書店 1941
  • 雲白く草青し 桜井書店 1943
  • 端艇漕手 今日の問題社 1944
  • 我が西遊記 桜井書店 1944
  • 愛の手紙 青葉書房 1946
  • オリンポスの果実 鎌倉文庫 1946 のち新潮文庫、角川文庫
  • 姫むかしよもぎ 赤坂書店 1947
  • 桑名古庵 講談社 1947
  • 暗黒天使と小悪魔 文潮社 1948
  • 嘘と少女 真善美社 1949
  • 青春の河 思索社 1949
  • 愛と憎しみの傷に 月曜書房 1949
  • 地下室から 八雲書店 1949
  • 酔いどれ船 小山書店 1949
  • さようなら 遺作集 月曜書房 1949 のち角川文庫
  • 嘘 真善美社 1950
  • 田中英光選集 全2巻 月曜書房 1950
  • 田中英光全集 全11巻 芳賀書店 1964-65
  • 桜・愛と青春と生活 講談社文芸文庫 1992
  • 師太宰治 津軽書房 1994

伝記など

  • 小説田中英光 北村鱒夫 三一書房 1965
  • 「酔いどれ船」の青春 もう1つの戦中・戦後 川村湊 講談社 1986
  • オリンポスの黄昏 田中光二(1992)集英社文庫
  • 田中英光評伝 無頼と無垢と 南雲智 論創社 2006
  • 西村賢太『田中英光私研究』全八輯 私家版

脚注

  1. Hidemitsu Tanaka Biography and Olympic Results at Sports-Reference.com. 2012年10月15日閲覧。テンプレート:En icon
 

関連項目

外部リンク