田中千絵

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田中 千絵(たなか ちえ、1981年8月17日 - )は、東京都出身の女優。父はメイクアップアーティストトニー・タナカ

人物・略歴

私立堀越高校玉川大学出身。

1998年美少女H』(フジテレビ)でドラマデビューする。

1999年から2000年にかけてテレビCMで流れた「東京電話」では、『寺内貫太郎一家』の家族のひとりである娘、静江役として出演。白無地のバレーシャツ丸首半袖体操服濃紺無地のブルマー白ソックス、運動靴。頭に紅白ハチマキを赤色にして締めた恰好で、携帯電話を持って話しながら走るふりをして宣伝していた。

2006年6月台湾へ渡り、国立台湾師範大学中国語を学ぶ。

2008年8月に公開され、台湾歴代映画興行成績のランキングで1位になった台湾映画『海角七号 君想う、国境の南』では范逸臣と共に主演を務めた。

2008年12月3日、台湾Yahoo!による世論調査「2008年台湾マン・オブ・ザ・イヤー」において陳水扁王永慶に次ぐ3位となった[1]

2012年、国際社会で顕著な活動を行い世界で『日本』の発信に貢献したとして、内閣府から「世界で活躍し『日本』を発信する日本人[2]の一人に選ばれた。

台湾渡航後

日本の芸能界に身を置いた10年間は、自分には特徴がなかったと感じていた[3]。自分の実力で仕事をしたいという思いだけで、2006年、単身で台湾へ渡る[3]。台湾においては、師範大学で北京語を学ぶ。当初、「北京語を完璧にマスターすること」「そのために日本人の友人をつくらない」、この2つを自らに課していた[3]

台湾に渡った後の1年以上、先が見えない生活を過ごすが、無名の田中に転機が訪れる。台湾生活の悩みをつづっていた田中のブログを見た映画監督、ウェイ・ダーションから、映画『海角七号 君想う、国境の南』のヒロインに抜擢される。当時台湾映画界は、1998年以降の映画不況の真っただ中で10年間ヒット作がなく、この映画の撮影も資金難に遭遇し、2度撮影が中断した。しかし、田中は資金集めに協力し、スタッフと一緒になりスポンサーに頭を下げて歩いた[3]。その後『海角七号 君想う、国境の南』は、2008年に公開されると、台湾映画史上におけるNo.1の興行収入を達成する大ヒットを飛ばし[3]、台湾版アカデミー賞といわれる金馬奨において、10部門がノミネートされ6部門が受賞する快挙を達成した[3]

近況としては、中国電影集団の会長で『レッドクリフ』のプロデューサーでもあるハン・サンピン(韩三平)が、2010年公開予定の映画『愛情36計』の主演に、田中を指名している[3]

中国語における名前の表記

中国語圏では、繁体字(正体字)で「田中千繪」、簡体字で「田中千绘」と表記される。ピンインでは、Tiánzhōng Qiānhuì。

主な出演作品

映画

テレビドラマ

テレビ出演

CM

MV

イメージガール

脚注・参考資料

  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite press release
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 「世界を変える100人の日本人! SP」インタビュー, テレビ東京 2010年1月15日放映

外部サイト