珠海市

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テンプレート:基礎情報 中国の都市 珠海市(じゅかいし、中国語:珠海市、英語:Zhuhai 漢語拼音字母:Zhūhăi)は中華人民共和国広東省南部の地級市マカオ特別行政区に隣接する経済特区である。

地理

省都広州の南西146キロ、珠江デルタ右岸に位置する。南でマカオと接し、海岸線は690キロに及び、146の島を含む。市内は行政的に香洲区金湾区斗門区に区分される。マカオ区境の拱北近辺が一番の繁華街である。観光客も多い。

気候

  • 気候類型 - 熱帯海洋性季風気候
  • 年間平均気温 - 22.4℃
  • 月間最高平均気温 - 28.6℃
  • 月間最低平均気温 - 14.5℃
  • 過去最高気温 - 38.5℃(1980年7月10日)
  • 過去最低気温 - 2.5℃(1976年12月29日)
  • 年間降水量 - 2700 mm

歴史

考古学調査により磨製石器や彩文土器を使用した新石器文化が4千年から5千年前に珠海に存在していたことが判明しており、鳳凰山脈周辺や珠江周辺を中心に遺跡が分布している。

戦国時代百越の居住地であり、中原支配に組み込まれたのは前214により嶺南地区に南海郡が設置されたことに始まる。しかし秦の滅亡と同時に嶺南地区は再び中原支配を離れ南越国の勢力下に置かれるようになった。

武帝により南越国が滅亡した後、前漢前111年元鼎6年)に番禺県設置し、後漢が滅亡するとによる支配が行われた。その後は東晋時代は東官郡、南北朝時代には東莞県、隋代には宝安県の管轄とされた。

代になると757年至徳2年)、東莞県は宝安県に改称され、珠海地区には初めて香山鎮が設置された(北宋期に香山寨と改称)。宋代1152年紹興22年)、それまで東莞県に属していた香山寨を分割し、南海・新会・番禺三県の海岸地区と統合し香山県が設置され広州府に属すようになり、清末まで継続した。

辛亥革命により中華民国が成立すると1925年孫文を顕彰し香山県は中山県と改称された。中華人民共和国成立後も1953年珠海県と改称されたが基本的な行政区分は継承されていた。その後は商工業の発展に伴い人口が増大、1979年3月5日一挙に地級市(地区クラスの市)に昇格した。1981年汕頭廈門市とともに経済特区に指定され、以後多額の外国投資を集めて目覚しく発展した。マカオと隣接していることから、マカオ資本主体で開発が行われてきた。住民は中国内陸各地から移住しているが統計資料によると湖南湖北四川の順で多い。

行政

市人民政府は香洲区に所在し、現任市長は鍾世堅である。中国本土から特別経済区である珠海への入境は厳しく規制されていたが2007年現在においては、この第二国境は事実上廃止されている状況である。

3区を管轄する。

年表

経済

当市と同じく経済特区に指定された深圳市と比較すると、人口規模は10分の1程度であるため商業不動産業の発達は限定的であり、工場が密集する東莞市と比較すると工業化も限定的であり、広州市のような行政機能も存在していないなど周辺の大都市と比較すると地方都市としての雰囲気を残す都市となっている。それでも最新の設備を揃えたキヤノン(中国では佳能と書く)のデジタルカメラ工場が立地し、一方で大規模チェーンスーパーマーケット、『万佳』がある。

かつてアロー戦争で破壊された北京円明園を再現した「円明新園」というテーマパークが1999年に完成。清を題材とした映画などの収録に使われている。珠海金湾空港では、隔年11月に航空博覧会「珠海航展」が開かれている。

所得水準

また、比較的豊かなカジノ街のマカオと隣接している影響で1人当たりのGDPは6万7591元(1万米ドル)で、中国では高所得である。1人当たりGDPを2015年までには人口規模12万人で12万元にし、2020年までに人口規模28万人で20万元(3万米ドル)にする事を目指している[1]。つまり珠海市は先進国並みの水準になることを目指している。

観光

教育

交通

姉妹都市

参考・脚注

外部リンク

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