山口貯水池

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県立狭山自然公園内に展示中の1934年当時に作られた高欄と親柱
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平成の耐震工事後の堤体に作られた歩行者通路
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景観を楽しむ一般客で賑う展望デッキ
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冬季の10月下旬から3月頃までの天候の良い日には展望デッキから富士山を眺めることが出来る

山口貯水池(やまぐちちょすいち、英称Yamaguchi Reservoir)は狭山湖(さやまこ、英称Sayama Lake)の通称でよばれる、埼玉県所沢市入間市にある1934年(昭和9年)完成の東京都水道局水源管理事務所村山・山口貯水池管理事務所が管理する人造湖である。

多摩川羽村市)の小作取水堰(小作・山口線)及び、羽村取水堰(羽村線)からの導水を主要な水源としているが、一部金堀沢・大沢などの天然の湧き水が流れ込む。湖の水は東村山市東村山浄水場武蔵野市境浄水場へと導かれ、東京都の上水道として供給される。

埼玉県所沢市・入間市に位置しているが、東京都水道局管理のため、当然ながら埼玉県の上水道としては供給されていない。

1998年(平成10年)から2002年にかけて、堤体の上流側と下流側に腹付け盛土を行い堤体の断面規模を大きくする耐震強化工事を実施した。

北岸には根古屋城の城跡が存在する。隣接する東京都東大和市村山貯水池(多摩湖)も同じ理由で作られた人造湖1927年(昭和2年)完成。

概要

歴史・経緯

東京市の人口増加に対応した水源確保のため、埼玉県入間郡山口村(現在の所沢市)に1927年(昭和2年)から7年の歳月をかけ建設された。

貯水池は狭山丘陵柳瀬川浸食谷を活用して造られた。工事にあたり村山貯水池の資材運搬と導水管(羽村村山線)工事の際に敷設した羽村-山口間の軽便鉄道を復活させて、砂利運搬に利用した。廃線跡の一部は東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線などのサイクリングロードとして整備されている。

戦時中の補強工事

第二次世界大戦中、空襲による破壊に備えるため、既存の堤防の上に自然石とコンクリートによる耐弾層が施工された。高欄や親柱は耐弾層に埋められたが、後の平成の耐震工事の際に発見された。

平成の耐震工事

1995年(平成7年)に起きた阪神・淡路大震災を契機とし、1998年(平成10年)から2002年11月にかけて堤防と取水塔の補強工事が実施された。

耐震工事とともに周辺の整備も行われ、以前はなかった堤防の途中に設けられた数カ所の階段や展望デッキも新設された。耐震工事前の堤防の道の両脇には石が敷き詰められていたが、新しい堤防はそれがなくなり、歩きやすくなった。新しい堤防の道は以前の堤防の雰囲気を残すためか、道と道の両脇の色が異なっている。

なお、耐弾層を除去した際に昭和初期の高欄や親柱が発見された。耐弾層が保護の役割をしていたため、当時の面影がきれいに残っていた。

自然

湖畔はクヌギ雑木林で、緑豊かな武蔵野の情景を醸し出している。

春には、ソメイヨシノツツジが咲き誇る名所でもある。2万本にも及ぶが開花すると、湖周辺は花見を楽しむ家族連れなどで非常に賑わう。

周辺は県立狭山自然公園となっており、その美しさは埼玉の自然100選にも選出されている。狭山丘陵には「狭山丘陵いきものふれあいの里」と「さいたま緑の森博物館」が整備され、狭山丘陵の自然について学ぶことができる。

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山口貯水池の遠景。
ファイル:Yamaguchi Reservoir Aerial photograph.1989.jpg
山口貯水池周辺の空中写真。1989年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

交通アクセス

西武狭山線山口線 西武球場前駅下車。徒歩17分。同駅はかつて(1951年から1979年まで)「狭山湖駅」と呼ばれていた。

脚注

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関連項目

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外部リンク

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