牛窓町

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牛窓町(うしまどちょう)は、かつて岡山県南東部、邑久郡に存在した2004年11月1日、同郡の邑久町長船町と合併して瀬戸内市となり、町役場は瀬戸内市役所牛窓支所となっている。

概要

西は岡山市、北は邑久町、東と南は瀬戸内海に面している。特に観光業に力をいれており、「日本のエーゲ海」と称している。 また、岡山県有数のマッシュルームの生産地であり、香川県小豆島とならび日本二大オリーブ産地の一つでもある。

町名の由来

神功皇后三韓征伐の道中、この地で塵輪鬼(じんりんき=頭が八つの大牛怪物)に襲われたが弓で射殺。皇后が新羅からの帰途、成仏出来なかった塵輪鬼が牛鬼になって再度来襲、住吉明神が牛鬼の角をつかんで投げ倒した。この場所を牛転(うしまろび)といい、訛って牛窓になったという。

牛窓界隈には、伝説にまつわる浮かぶ島や神社等がある。

牛窓には、前島・黄島・黒島・青島などの島々が瀬戸内海に浮かんでいる。定かではないが、この牛鬼が滅びた後にこれらの島々に化けたとの言い伝え(伝説)がある。頭は黄島、胴体の前は前島、胴体の後ろは青島、お尻の部分は黒島に化けたと地元では伝えられている。

行政

歴代町長

  • 萬燈実太(昭和29年10月 - 昭和32年11月)
  • 高祖鶴雄(昭和32年12月 - 昭和40年12月)
  • 高原道夫(昭和40年12月 - 昭和52年12月) 
  • 新地 勇(昭和52年12月 - 平成元年12月)
  • 田中義之(平成元年12月 - 平成9年12月)
  • 東原和郎(平成9年12月 - 平成16年10月) → 合併により瀬戸内市副市長へ

歴史

古くから海上交通での風待港として栄え、江戸時代には朝鮮通信使の寄港地でもあった。明治以降は交通流路から外れたことにより衰退した。

  • 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行により邑久郡牛窓村・鹿忍村・長浜村・大宮村が発足。
  • 1896年(明治29年)2月26日 牛窓村が町制施行して牛窓町となる。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 邑久郡牛窓町・鹿忍町・長浜村が合併し、(新)牛窓町が発足。
  • 1955年(昭和30年)3月31日 大宮村の一部を牛窓町に編入。
  • 2004年(平成16年)11月1日 邑久町・長船町と合併し、瀬戸内市誕生により消滅。「瀬戸内市牛窓町」となる。

警察

産業

主な産業は、農業、漁業、観光業。 特に、マッシュルームオリーブカキの生産が盛んである。

スポーツ

2004年には高校総体と、市制施行後の2005年に行われた晴れの国おかやま国体では、セーリング競技の開催地となった。

姉妹都市

教育

町内に大学、高等学校はない。

小学校

  • 牛窓町立牛窓東小学校
  • 牛窓町立牛窓西小学校
  • 牛窓町立牛窓北小学校

中学校

  • 牛窓町立牛窓中学校

上記各校とも現在は瀬戸内市立となっている。

交通

町内を走る鉄道、高速道路、一般国道はない。

電気

才賀藤吉が1912年(大正元年)8月に事業許可をえて1913年(大正2年)6月牛窓電気を設立[1]。牛窓町に発電所(瓦斯力、出力32kw)を建設し、1914年(大正3年)12月事業開始。供給区域は邑久郡牛窓町、鹿忍村、長浜村、玉津村[2]。1922年(大正11年)3月山陰中央水電に合併される[3][4]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

脚注

  1. 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  2. 『電気事業要覧. 第8回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  3. 『電気事業要覧. 第14回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  4. 『中国地方電気事業史』中国電力、1974年、194頁

関連項目

外部リンク