焼尻島

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ファイル:Yagishiri Island Aerial photograph.1977.jpg
焼尻島の空中写真。1977年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

焼尻島(やぎしりとう)は、北海道留萌振興局管内の苫前郡羽幌町の西25kmの日本海に浮かぶ。武蔵水道を隔てて西方にある天売島とともに羽幌町に属する。面積5.21km2、人口297人(平成22年4月現在)。島の名は、アイヌ語の「エハンケ・シリ」(近い島)、あるいは「ヤンケ・シリ」(水揚げする島)に由来すると言われている。

自然・気候・産業

島内には多くの自然が残り、暑寒別天売焼尻国定公園に指定されている。特にイチイ(現地ではオンコと呼ばれる)の原生林は、その厳しい自然環境から希有な森林相を形成し、焼尻の自然林の名称で1983年(昭和58年)8月30日に、国の天然記念物に指定されている。

対馬海流に洗われているため、道北にしては温暖である。海水浴場やキャンプ場を有している。

主たる産業は漁業である、他に観光と畜産がある。畜産は食用羊のサフォーク種の国内有数の産地として有名である。道路から放牧風景も見られる。

交通

焼尻港
  • 羽幌沿海フェリー
    • 羽幌 - 焼尻(高速船35分、フェリー1時間)
    • 焼尻 - 天売(高速船15分、フェリー25分)

観光地

ファイル:Hokkaido Yagishiri Ichii.jpg
焼尻島のイチイの木(2005年8月)
  • ラナルド・マクドナルド上陸記念碑[1]
1848年嘉永元年)、アメリカ合衆国の捕鯨船員ラナルド・マクドナルドが上陸した場所とされる。その後長崎に移されたマクドナルドは、日本初のネイティブ英語教師となった。
  • 会津藩士の墓
1808年文化5年)樺太出兵から帰還中の会津藩士が嵐に会い遭難したため、後に墓を立てて埋葬した。また別な資料によると会津藩士が津軽藩士に変わり、利礼樺太警備のため出陣したが、その途中船中にて病没したため焼尻島に寄港し埋葬したとの記述もある。
一基には「会津小原内匠忠貫」「文化五年戊辰七月十一日」、他の一基には「会津山内一学豊忠」「文化五年戊辰七月十六日」の刻がある。
  • 厳島神社
1844年天保15年)松前藩の命によりニシン場を開設した栖原家(小右ヱ門)の番人だった山田多三郎が神社の鳥居を寄進、現在の弁天崎に神社を創鎮。その後1922年大正11年)に現在の場所に移転した。
  • 羽幌町焼尻郷土館(旧小納家住宅)[2][3][1]
1900年明治33年)竣工の木造2階建て建築(北海道指定有形文化財)。島の網元であった小納(こな)家の住宅で、2代目の小納宗吉によって建てられた。小納家は呉服店・雑貨店を兼営し、郵便局・電信局をも併設した。当時大変珍しくかつ高価であったトタン板で屋根を葺き、外壁は、内部は紫檀黒檀の柱を使うなど贅を尽くした建物である。現在は資料館となっており、家具や生活用品のほか、当時の電信機器などが展示されている。

ロケ地

脚注

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外部リンク

関連項目

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  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
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