温泉郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

温泉郡(おんせんぐん)は、伊予国および愛媛県にあった

歴史

古代

かつては現在の松山市中心部にあった郡であった。古代には湯郡(ゆのこほり)と呼ばれていた。

湯郡・温泉郡という地名は、現在の日本最古の道後温泉の名称にちなむとされる。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:伊予国温泉郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近現代

  • 1889年(明治22年)12月15日
    • 市制施行に伴い、松山市(まつやまし)が発足、郡より離脱。 - 東雲町(しののめまち)、喜与町(きよまち)、北歩行町(きたかちまち)、中歩行町(なかかちまち)、南歩行町(みなみかちまち)、鮒屋町(ふなやまち)、御宝町(みたからまち)、玉川町(たまがわまち)、北京町(きたきょうまち)、南京町(みなみきょうまち)、北八坂町(きたやさかまち)、南八坂町(みなみやさかまち)、永木町(ながきまち)、唐人町(とうじんまち)一 - 三丁目、北夷子町(きたえびすまち)、南夷子町(みなみえびすまち)、河原町(かわらまち)、立花町(たちばなまち)、堀内町(ほりうちまち)、豊坂町(とよさかまち)一・二丁目、柳井町(やないまち)、榎町(えのきまち)、小唐人町(ことうじんまち)一 - 三丁目、湊町(みなとまち)一 - 四丁目、千船町(ちふねまち)、一番町(いちばんちょう)、二番町(にばんちょう)、三番町(さんばんちょう)、弁天町(べんてんまち)、久保町(くぼちょう)、春日町(かすがまち)の一部、南堀端町(みなみほりばたまち)、新玉町(あらたままち)、花園町(はなぞのまち)一・二丁目、西町(にしまち)、末広町(すえひろまち)一・二丁目、本町(ほんまち)一 - 五丁目、出淵町(いでぶちまち)一・二丁目、江戸町(えどまち)、西堀端町(にしほりばたまち)、宮古町(みやこまち)、紙屋町(かみやちょう)、萱町(かやまち)一 - 七丁目、松前町(まさきまち)一 - 五丁目、魚町(うおまち)一 - 五丁目、鍛冶屋町(かじやちょう)、常盤町(ときわちょう)、三津口町(みつぐちまち)、府中町(ふちゅうまち)一 - 四丁目、木屋町(きやちょう)一 - 五丁目、清水町(しみずまち)、道後町(どうごまち)、傘屋町(かさやちょう)、新町(しんまち)一・二丁目、鉄砲町(てっぽうまち)、水口町(みなくちまち)、杉谷町(すぎたにまち)、弓町(ゆみのちょう)、矢矧町(やはぎまち)、琢町(みがきちょう)、三春町(みはるちょう)、通町(とおりちょう)、一万町(いちまんちょう)の一部、中村(なかむら)の一部、味酒村(みさけむら)の一部、立花村(たちばなむら)の一部、持田村(もちだむら)の一部が合併
    • 町村制施行に伴い、以下の町村が成立。(1町8村)
      • 道後湯之町(どうごゆのまち) - 道後村(どうごむら)の一部が町制施行
      • 道後村(どうごむら) - 石手村(いしてむら)、一万村(いちまんむら)、一万町(いちまんちょう)の一部、持田村(もちだむら)の一部、道後村(どうごむら)の一部が合併
      • 素鵞村(そがむら) - 小坂村(こさかむら)、枝松村(えだまつむら)、中村(なかむら)の一部、立花村(たちばなむら)の一部が合併
      • 雄郡村(ゆうぐんむら) - 小栗村(おぐりむら)、藤原村(ふじわらむら)、竹原村(たけわらむら)、土居田村(どいだむら)、針田村(はりたむら)、春日町(かすがまち)の一部が合併
      • 朝美村(あさみむら) - 南江戸村(みなみえどむら)、辻村(つじむら)、沢村(さわむら)、衣山村(きぬやまむら)、味酒村(みさけむら)の一部が合併
      • 湯山村(ゆのやまむら) - 湯山村(ゆのやまむら)、溝辺村(みぞのべむら)が合併
      • 桑原村(くわばらむら) - 桑原村(くわばらむら)、樽味村(たるみむら)、畑寺村(はたでらむら)、三町村(さんじょうむら)、松末村(まつすえむら)、新百姓村(しんひゃくしょうむら)、東野村(ひがしのむら)、正円寺村(しょうえんじむら)が合併
      • 味生村(みぶむら) - 別府村(べふむら)、北齋院村(きたさやむら)、南齋院村(みなみさやむら)、山西村(やまにしむら)の一部が合併
      • 生石村(しょうせきむら) - 高岡村(たかおかむら)、富久村(とみひさむら)、久保田村(くぼたむら)、北吉田村(きたよしだむら)、南吉田村(みなみよしだむら)が合併
      • このほか山西村(やまにしむら)の一部が和気郡古三津村(ふるみつむら)、新浜村(しんはまむら)の一部と合併して和気郡古三津村となる。
  • 1897年(明治30年)4月1日(2町42村)
    上記3郡を統合。
  • 1898年(明治31年)11月28日 - 北条村が町制施行し、北条町(ほうじょうちょう)となる。(3町41村)
  • 1899年(明治32年)7月31日 - 御幸村の一部を道後村に編入。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 素鵞村、雄郡村、朝美村、道後村の各一部を松山市に編入。
  • 1914年(大正3年)10月1日 - 立岩村の一部を浅海村に編入。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 道後村を分割し、松山市、道後湯之町に編入。(3町40村)
  • 1925年(大正14年)5月10日 - 古三津村三津浜町に編入。(3町39村)
  • 1926年(大正15年)2月11日 - 素鵞村雄郡村朝美村御幸村を松山市に編入。(3町35村)
  • 1932年(昭和7年)2月1日 - 道後湯之町の一部(旧道後村区域)を松山市に編入。
  • 1937年(昭和12年)6月1日 - 新浜村を三津浜町に編入。(3町34村)
  • 1940年(昭和15年)8月1日 - 味生村桑原村和気村堀江村潮見村久枝村三津浜町を松山市に編入。(2町28村)
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 垣生村生石村道後湯之町を松山市に編入。(1町26村)
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 北条町、難波村正岡村が合併し、北条町となる。(1町24村)
  • 1952年(昭和27年)8月1日 - 東中島村が町制施行し、中島町(なかじまちょう)となる。(2町23村)
  • 1954年(昭和29年)2月1日 - 興居島村を松山市に編入。(2町22村)
  • 1954年(昭和29年)10月1日 - 余土村を松山市に編入。(2町21村)
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 北条町、浅海村立岩村河野村粟井村が合併し、北条町となる。(2町17村)
  • 1955年(昭和30年)4月25日 - 川上村三内村が合併し、川内村(かわうちむら)となる。(2町16村)
  • 1955年(昭和30年)5月1日 - 伊台村久米村五明村湯山村を松山市に編入。(2町12村)
  • 1956年(昭和31年)9月1日(4町8村)
  • 1956年(昭和31年)9月30日(4町7村)
  • 1958年(昭和33年)11月1日 - 北条町が市制施行し、北条市(ほうじょうし)が発足、郡より離脱。(3町7村)
  • 1959年(昭和34年)3月31日 - 神和村、中島町が合併し、中島町となる。(3町6村)
  • 1959年(昭和34年)4月10日 - 浮穴村を松山市に編入。(3町5村)
  • 1960年(昭和35年)3月31日 - 睦野村を中島町に編入。(3町4村)
  • 1961年(昭和36年)12月15日 - 小野村を松山市に編入。(3町3村)
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 石井村を松山市に編入。(3町2村)
  • 1963年(昭和38年)3月31日 - 西中島村を中島町に編入。(3町1村)
  • 1968年(昭和43年)10月25日 - 久谷村を松山市に編入。(3町)
  • 2004年(平成16年)9月21日 - 重信町川内町が合併し、東温市(とうおんし)が発足、郡より離脱。(1町)
  • 2005年(平成17年)1月1日 - 中島町北条市とともに松山市へ編入。同時に温泉郡消滅。

関連項目

テンプレート:伊予国の郡