渡辺省三

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テンプレート:Infobox baseball player 渡辺 省三(わたなべ しょうぞう、1933年2月26日 - 1998年8月31日)は、愛媛県出身のプロ野球選手投手)、コーチ、スカウト。

経歴

6歳のとき軍属として徴用された父とともに朝鮮に渡り、平壌工業高校へ入学。終戦後に帰国し、旧制西条中へ入学後に野球を始める。卒業後は倉敷レイヨン西条に入社し軟式野球をやっていたが、テンプレート:By10月に大阪タイガース入団テストを受け、合格する。

2年目のテンプレート:Byに制球力の良さを買われてキャンプ打撃投手として帯同し、紅白戦でエース梶岡忠義の右手甲に死球を与えてしまう。オープン戦で梶岡の代役として投げたところ好結果を出し、一軍に昇格した[1]。同年は4月5日の対名古屋ドラゴンズ戦で初登板し、19日の対読売ジャイアンツ戦で初勝利を挙げるなど、10勝11敗の成績を残す。

以降はテンプレート:Byまで6年連続で二桁勝利を挙げるなど、チームに欠かせない戦力となった。最盛期はテンプレート:Byからテンプレート:Byまでの3年間で、特にテンプレート:Byは22勝、防御率1.45で最優秀防御率タイトルに輝いた[2]。この間のテンプレート:By9月26日広島戦では、先発して9回を70球で無失点に抑え、それまでの9回完投時の最小投球数の日本記録71球(1952年5月11日柴田英治阪急)・近鉄戦、及び、1957年3月30日植村義信毎日)・西鉄戦)を下回った。しかし、0-0のまま延長戦に突入して、結局13回を投げ切り完封勝利を収めたものの、最少投球数記録は参考記録となっている。また、テンプレート:Byには開幕投手を務めた。

テンプレート:By限りで現役引退後は、投手コーチやスカウトとして活動した。特にスカウトとしては、新庄剛志野田浩司仲田幸司遠山奬志亀山努らを発掘した。

1998年8月31日に神戸市中央区の路上で倒れ、死亡しているところを通行人が発見した[3]。近くの雑居ビルから転落したものと見られ、屋上に争った形跡がないことなどから生田署は飛び降り自殺をした可能性が高いと判断した[3]

プレースタイル・人物

球速は全くないものの、打者心理を読む投球術と抜群の制球で相手を幻惑させるタイプの投手であった[4]。渡辺の技巧的な投球、そしてその卓越した投球術[4]は、後に阪神のエースになった小山正明村山実に影響を与えた。

小山は「省さんがおらんかったら、以後の僕はなかったやろね」と語っており、渡辺について「本当にいい手本になってくれたよ、あの人は」と述べ、投球術のお手本であったと語っている[4]。特にコントロールについて小山は「ピッチングにはコントロールが一番大切だと教わった」と語っている。また村山も「ピッチングは力だけやないことを省さんに教わった」とのコメントを残している。

小山や村山のお手本となったコントロールの良さが身上だったが、あくまで速球が武器だった小山や村山と異なり、低めに沈む変化球が生命線だった。そのため、渡辺の好調時の相手の打球はゴロが多く、バックで守っていた吉田義男は「渡辺の調子がいいときは内野手は忙しかった」と証言している(小山正明の項も参照)。

変化球としては、スライダーシュートが得意な球種であった[4]。更に、今でいうツーシームのような、微妙に変化する速球も投げており、その球は絶品であったと小山は語っている[4]。また、これらの他に「省やんボール」と呼ばれる上方からベース上へ落とす超スローボールを何度か投げ、話題になった。自身は「スローカーブのように言われたけど、握りからいってもスローナックルで、おそらく時速は50キロぐらいだったと思う」と語っていた。

徹底的な走り込みで下半身を鍛え、投げ込みで肩を作っており、余計な力の入っていない投球フォームの持ち主でもあったことで、肩や肘を怪我することもなく、長期にわたって主力投手としてタイガースを支えた[4][5]。また、引揚者として苦労した経験からか、精神的に芯が強く、勝負強い選手でもあった[4]

特技として、数球のウォーミングアップで登板することが可能であり、リリーフとして非常に使い勝手が良かったという[6]

普段は無口な人物で、酒もほとんど飲まなかった[4]。独身時代に月給をはたいて外国製の化粧品セットを買い、当時の彼女でのちの夫人にプレゼントしたという逸話が残っている。このことについて、「蝶々の止まるようなスローボールで活躍している男が、美女には超スピードだ」などと言われたという。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 阪神 54 12 1 1 0 10 11 -- -- .476 775 192.0 168 11 59 -- 4 43 2 1 69 61 2.86 1.18
テンプレート:By2 51 10 1 0 1 10 13 -- -- .435 682 169.0 154 12 28 -- 3 38 1 0 56 47 2.50 1.08
テンプレート:By2 46 20 9 3 2 18 11 -- -- .621 948 244.0 201 10 42 12 5 74 1 0 76 65 2.40 1.00
テンプレート:By2 52 30 7 4 3 22 8 -- -- .733 1001 260.1 207 4 30 6 2 84 0 0 54 42 1.45 0.91
テンプレート:By2 43 29 11 4 2 17 9 -- -- .654 920 230.0 217 8 46 2 4 66 1 0 67 48 1.88 1.14
テンプレート:By2 43 18 11 3 6 12 12 -- -- .500 750 191.1 174 14 18 6 2 53 0 0 70 60 2.81 1.00
テンプレート:By2 24 10 1 0 0 3 6 -- -- .333 324 79.2 84 4 15 1 0 19 0 0 33 30 3.38 1.24
テンプレート:By2 46 8 2 1 1 8 6 -- -- .571 581 152.1 124 8 17 3 6 40 1 0 48 43 2.53 0.93
テンプレート:By2 49 9 3 2 2 11 6 -- -- .647 626 157.2 159 6 22 1 3 49 1 0 49 33 1.88 1.15
テンプレート:By2 38 5 0 0 0 10 5 -- -- .667 426 105.0 96 10 25 4 0 39 1 0 42 33 2.83 1.15
テンプレート:By2 38 2 1 0 0 6 6 -- -- .500 405 96.2 105 7 26 5 2 23 1 0 46 42 3.90 1.36
テンプレート:By2 34 4 2 0 1 6 3 -- -- .667 344 85.0 88 7 12 3 0 29 0 0 35 27 2.86 1.18
テンプレート:By2 32 1 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 227 55.0 55 3 12 4 1 26 1 0 16 15 2.45 1.22
通算:13年 550 158 49 18 18 134 96 -- -- .583 8009 2018.0 1832 104 352 47 32 583 10 1 661 546 2.44 1.08
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

タイトル

背番号

  • 26 (1952年 - 1965年)
  • 65 (1966年 - 1969年)
  • 64 (1970年)
  • 74 (1971年、1978年)

脚注

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関連項目

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  1. 『完全版 プロ野球人国記 四国編』(ベースボール・マガジン社) P137 - P138。
  2. 年度別成績 1956年 セントラル・リーグ
  3. 3.0 3.1 『朝日新聞』1998年9月1日付朝刊 (14版、35面)
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 テンプレート:Cite news
  5. テンプレート:Cite news
  6. 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』恒文社、1976年、P75