海部郡 (愛知県)

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海部郡(あまぐん・あまのこおり)は愛知県名古屋市西に位置するである。テンプレート:郡データ換算

属する町村

歴史

平安時代後期、おそらく11世紀中頃までに、東西に分割され海東郡海西郡になった。[1]

1913年(大正2年)7月1日海東郡海西郡合併して海部郡となった。海東郡役所の置かれた津島町は両郡における生活の中心地であり、海西郡の住民にとっても海西郡役所のおかれた弥富町より便が良かったため、郡制施行以来長年の懸案だった。もっとも1921年(大正10年)には郡制そのものが廃止され、郡役所も1926年(大正15年)に廃された。

1918年(大正7年)の現在人口は126,284名であり、そのうち、マラリア患者数は2,352名であった[2]

2005年3月時点では全国で一番人口の多い郡だったが、愛西市の誕生により福岡県糟屋郡に次いで2位に、弥富市の誕生で愛知県知多郡に次いで3位となった(現在はあま市の誕生で26位)。

沿革

  • 1913年大正2年)7月1日 - 海東郡と海西郡が合併し、海部郡が成立(3町16村)
  • 1919年(大正8年)10月 - 甚目寺村の一部が西春日井郡清洲町に編入
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 佐織村の一部が津島町に編入
  • 1932年昭和7年)8月1日 - 甚目寺村が町制施行、甚目寺町に(4町15村)
  • 1939年(昭和14年)11月3日 - 佐織村が町制施行、佐織町に(5町14村)
  • 1943年(昭和18年)1月1日 - 甚目寺町の一部が西春日井郡清洲町に編入
  • 1944年(昭和19年)2月11日 - 富田村が町制施行、富田町に(6町13村)
  • 1947年(昭和22年)3月1日 - 津島町が市制施行、津島市に(5町13村)
  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 南陽村が町制施行、南陽町に(6町12村)
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 神守村が津島市に編入(6町11村)
  • 1955年(昭和30年)4月1日(7町8村)
    • 佐屋村と市江村の一部が合併し町制施行、佐屋町に
    • 弥富町、鍋田村、市江村の一部が合併し、新たな弥富町に
  • 1955年(昭和30年)10月1日 - 南陽町、富田町が名古屋市に編入(5町8村)
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 永和村が津島市・佐屋町・蟹江町・十四山村に分割編入(5町7村)
  • 1958年(昭和33年)1月1日 - 美和村が町制施行、美和町に(6町6村)
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 七宝村が町制施行、七宝町に(7町5村)
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 大治村が町制施行、大治町に(8町4村)
  • 2005年平成17年)4月1日 - 佐屋町、佐織町、立田村、八開村が合併、愛西市に(6町2村)
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 弥富町が十四山村を編入、市制施行し弥富市に(5町1村)
  • 2010年(平成22年)3月22日 - 七宝町、美和町、甚目寺町が合併、あま市に(2町1村)
1913年 1925年 1932年 1939年 1943年 1944年 1947年 1949年 1955年 1956年 1958年 1966年 1975年 2005年 2006年 2010年
富田村 富田町 名古屋市中川区
南陽村 南陽町 名古屋市港区
蟹江町
永和村 →蟹江町
十四山村 弥富市
津島市
佐屋町 愛西市
佐屋村 佐屋町
立田村
八開村
佐織村 佐織村 佐織町
→津島町 津島市
津島町
市江村 →佐屋町 愛西市
→弥富町 弥富市
弥富町
鍋田村 →弥富町
十四山村
神守村 津島市
七宝村 七宝町 あま市
美和村 美和町
甚目寺村 甚目寺町 甚目寺町
西春日井郡清洲町 清須市
大治村 大治町
飛島村

※ →は編入、斜字体は合併・編入によって海部郡以外の郡あるいは市となったことを示す。

参考文献

  1. 弥富市歴史民俗資料館にて公表。
  2. 『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』(内務省衛生局。大正8年)(国立国会図書館のホームページ『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)

関連項目

  • 海部郡 - 他にも海部郡という郡が有る。
  • 海部地域盛り上げ隊(AMT)- 愛知県海部地域4市2町1村のアイドルグループ、メンバーは愛知県のアイドルユニットP-LOCOから選抜されたテンプレート:Navbox