浦島太郎

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歌川国芳画浦島太郎 (このカメはウミガメではなくクサガメかイシガメのようである)

浦島太郎(うらしまたろう)は、日本各地にある龍宮伝説の一つ。また、日本伽話(おとぎばなし)の一つで、その主人公の名前でもある。

あらすじ

現在一般的に流通しているストーリーはおおむね以下のようなものである。

漁師の浦島太郎は、子供達がをいじめているところに遭遇する。太郎が亀を助けると、亀は礼として太郎を竜宮城に連れて行く。竜宮城では乙姫(一説には東海竜王の娘:竜女)が太郎を歓待する。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、乙姫は「決して開けてはならない」とし[1]つつ玉手箱を渡す。太郎が亀に連れられ浜に帰ると、太郎が知っている人は誰もいない。太郎が玉手箱を開けると、中から煙が発生し、煙を浴びた太郎は老人の姿に変化する。浦島太郎が竜宮城で過ごした日々は数日だったが、地上では随分長い年月が経っていた。

亀の返礼は浦島太郎に対し短期的な快楽と引き換えに生まれ育った家庭コミュニティの人間関係を全て失わせ、且つ(玉手箱の中身を見たいという) 知的好奇心を抑制できなかったことによる因果応報の形式をとりながら、人生経験を積むことなく瞬時の肉体的な老化を経験させられた上で完全な孤独状態で別世界に放り出されることをもたらす結果に終わっている。苛められている亀を救うという浦島太郎の善行は結果的に自身に不幸を招くことになり、お伽噺として不合理な教訓をもたらすことになっている。

なお、浦島太郎のその後については文献や地方によって諸説あり、定説と呼ぶべきものはない。

バリエーション

『日本書紀』による話

浦嶋子が文献に登場する例の初見は、『日本書紀』「雄略紀」の雄略天皇廿年(477年)秋七月の条にある記載である。浦嶋は舟に乗って釣りに出たが、捕らえたのは大亀だった。するとこの大亀はたちまち女人に化け、浦嶋は女人亀に感じるところあってこれを妻としてしまう。そして二人は海中に入って蓬莱山へ赴き、各地を遍歴して仙人たちに会ってまわった。この話は別の巻でも触れられている通りである、と最後に締めくくるが、この別巻がどの書を指しているのかは不明。いずれにしても『日本書紀』が完成した養老4年(720年)頃までには、既にこの浦島の話が諸々の書に収録されていたことが窺い知れる。テンプレート:Quotation

読み下し文
丹波国余社郡の管川の人、端江浦島の子、舟に乗りて釣りす。遂に大亀を得たり。便に女に化為せる。是に、浦島子、感りて婦にす。相遂ひて海に入る。蓬莱山(とこよのくに)に到りて、仙衆(ひじり)を歴り(めぐり)観る。語は別巻に在り。
蓬莱山(とこよのくに)とは常世の国のことであり、不老不死の理想郷とされる世界である。不老不死という考えは、中国に起源を持つ道教の中核的思想である神仙思想によるところが大きい。道教的な要素が含まれている。[2]

『丹後国風土記』にある話

丹後国風土記』(現在は逸文のみが残存)にある「筒川嶼子 水江浦嶼子」[3]が原型とされる。ほぼ同時代に書かれた『日本書紀』『万葉集』にも記述が見られるが、『丹後国風土記』逸文が内容的に一番詳しい。

万葉集巻九による話

万葉集』巻九の高橋虫麻呂作の長歌(歌番号1740)に「詠水江浦嶋子一首」として、浦島太郎の原型というべき以下の内容が歌われている。

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「浦島太郎」という名前は中世から登場し、それ以前は水江浦嶼子を略して「浦島子」と呼ばれている。

『御伽草子』

「浦島太郎」として伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の恩返し(報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫竜宮城玉手箱が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった。 テンプレート:Quotation

御伽草子』では竜宮城は海中ではなく、島か大陸にあるように書かれている。春の庭、夏の庭、秋の庭、冬の庭の話はメインストーリーの付け足し程度に書かれている。

「鶴亀」バージョン

室町以降の『御伽草子』系の一部に浦島説話の変形版があり、以下のように結末を結ぶ。 テンプレート:Quotation 一説に、ここから「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と謡う能楽鶴亀』などに受け継がれ、さらに、鶴亀を縁起物とする習俗がひろがったとする。

横浜市神奈川区に伝わる話

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慶運寺にある石碑

昔、相模国三浦に浦島太夫とよばれる人がおり、彼は仕事のため丹後国に赴任していた。その息子である太郎は、亀が浜辺で子供達にいじめられているところに出会う。(全国版と同じなので中略)老人になった太郎はある漁師から両親の墓が武蔵国白幡にあると聞いた。

この情報を聞いた太郎は急いで子安の浜に行き、両親の墓を探したが、なかなか見つけられない。それを見かねた乙姫は、松枝[4]に明かりを照らして場所を示した。やっとのことで墓を見つけた太郎はその地にをつくり、太郎はそこに住んだ。この庵は後に観福寿寺となるが、明治5年に廃寺になってしまう。しかし、聖観世音菩薩像が残り、神奈川区慶運寺に安置されている[5]

神奈川区は、浦島町・浦島丘・亀住町など浦島太郎にちなんだ名称があり、伝説の亀をマスコットとしている[6]

沖縄に伝わる話

本土のものと若干道具立てが異なる。

昔、南風原間切与那覇村に正直者の漁師が居て、ある日与那原の浜で(かもじ。髪の毛)を拾った。探している娘を見つけて渡すと感謝され、竜宮に招待したいと言う。漁師が娘と一緒に歩くと海が二つに割れて道が開け、竜宮に通じていた。娘は乙姫と素性を明かし、漁師は竜宮で歓待の日々を過ごすこととなる。三ヵ月ほど経つと漁師は故郷が恋しくなり、娘から紙包みを渡されるが「開けないように」と念を押される。やがて漁師が郷里に帰り着くと辺りは変わり果て、人間でおよそ三十三代かかるほどの年月が経っていた。漁師は開けるなと言われた紙包みを開いたが、中には髢が一束入っているのみで煙が沸き立ち、彼は白髪の老爺と化して倒れ死んだ。地元の者が老爺に敬意を払い墓を建て祀ったのが、穏作根嶽(うさんにだき)であるという。

近代における改変

竜宮城に行ってからの浦島太郎の行状は、子供に話すにはふさわしくない内容[7]が含まれているので、童話においてはこの部分は改変(もしくは省略)[8]されている。これは、明治時代国定教科書向きに書き換えられたためである。

歴史・解釈

『丹後国風土記』を基にして解釈すれば、主人公は風流な男である浦島子と、神仙世界の美女であり、その二人の恋が官能的に描かれて異界(蓬莱山)と人間界との3年対300年という時間観念を鮮明に持つ。その語り口は、古代にあっては非常に真新しい思想と表現であり、神婚神話や海幸山幸神話などとはまったく異質であり、結末が老や死ではなく肉体が地上から消え去るという神仙的な尸解譚になっているのもそのためである。

『丹後国風土記』逸文によれば、その記事は連(むらじ)の伊預部馬養(いよべのうまかい)という人物が書いた物語を本にしたものでありこの人物は7世紀後半の学者官僚で『律令』選定、史書編纂に係わり皇太子学士を勤め、『懐風藻』に神仙思想を基にした漢詩を残す当代一級の知識人であった。もともとあった伝承を採集しそれを編集、脚色したと思われる。平安時代になると浦島物語の舞台の丹後地方で、浦島明神という神社が浦島子を祀り人々の信仰を受け、中央の浦島物語と呼応する形で出てきたものと考えられる。

平安時代以降も漢文伝として書き継がれてきた。

12世紀以降になると、『俊頼髄脳』をはじめ『奥儀抄』、『和歌童蒙抄』など歌論書に浦島物語が登場し、仮名で書かれ宮廷や貴族達の間に浦島物語が広く浸透した。

中世になると、『御伽草子』の「浦島太郎」をはじめ絵巻・能・狂言の題材になり、読者・観客を得て大衆化していき、江戸時代に受け継がれた。明治期には巌谷小波が前代の物語を恩返しに主眼を置いた子供向けの読み物に改作し、ダイジェスト版が明治43年から35年間、国定教科書の教材になり定着していった。

謎と背景

浦島太郎がいた蓬莱山(竜宮城)とは仙人が住むという伝説の山であり、古代中国の不老不死を願う神仙思想が背景にあり、海のかなたの東方に、仙人が住む孤島があり不老不死の薬があるという島である。 神仙思想は古代中国の陰陽五行論ともつながり、劇中登場する亀の色の五色も五行論からきている。その蓬莱山が後の時代に竜宮城へと変化していった。

浦島太郎と似た説話に、海幸山幸神話がある。その劇中、天皇の祖神、山幸彦が「塩土老翁」(しおつつのおじ)という神に「無目籠」(まなしかたま)という水の入らないかごに乗せられ、海神の宮(わだつみのみや)に行き、海神(わだつみ)の娘、豊玉姫(とよたまひめ)と結婚し3年間暮らし生まれ故郷に戻り禁(タブー)を破る話の大筋がそっくりであり、また『古事記』に著される山幸彦の孫の初代神武天皇がヤマトに向かう際、亀に乗り釣竿を持った男とされる珍彦(うずひこ)が水先案内人になる場合があり、この2人の人物は不思議と浦島太郎に似ている。

浦島太郎のモデルとなったとされる人物として、『万葉集』に「墨吉」(すみのえ)の人の記述があり、これは今も大阪の住吉にあり住吉大社に祭られている住吉明神の事であり、別名、「塩土老翁」といい大変長命長生きであったとされ、そのモデルとされる武内宿禰も大変に長生きである。浦島太郎、塩土老翁、武内宿禰、この3者は長生きで繋がる。

住吉明神から塩土老翁、「老翁」の字が老人になった浦島太郎にそっくりであり、住吉明神、塩土老翁、浦島太郎の3者は長寿、老人のイメージで繋がり、また塩土老翁は大和朝廷の天孫降臨を導びき、神武天皇の東征をうながした謎の神であるとされる。また武内宿禰は古代豪族、蘇我氏の祖とされ応神天皇の東征を導いたともされ、

  • 浦島もどき:神武天皇の案内役の珍彦(うずひこ)
  • 塩土老翁:神武東征を促し
  • 武内宿禰:応神天皇の東征を導く。

この三者は同じイメージで繋がっていく。神武東征と応神天皇の東征はルートも似ており神武と応神天皇も同一人物ではないかとの見方も見て取れる。

蘇我氏と浦島にも「」という接点がある。7世紀に全盛期を迎えた蘇我氏は、縄文時代から生産されてきたヒスイ(硬玉)を独占的に生産していた。ヒスイは海底からもたらされるため海神からもたらされる神宝と考えられ、蘇我氏が海の神宝ヒスイにこだわった所に浦島太郎とのかすかな接点が見出せ、それがゆえか浦島そっくりな山幸彦も劇中で海神からヒスイをもらっている。

蘇我氏の祖の武内宿禰は応神天皇の母、神功皇后の忠臣として活躍し神功皇后はトヨの海の神と強く結ばれ「豊浦宮」(とゆらのみや)に拠点を構え、それは「トヨの港の宮」とも呼ばれ、そこから神功皇后はトヨの女王と呼ばれた。蘇我氏のルーツと神功皇后との係わり、が浦島太郎の物語に関係しているとされる。

心理学的解題

心理学的には、浦島太郎の伝説は非常に日本的な風土を表していると分析される。それによると、水底のや竜は母親を象徴するものである。西洋の説話では、竜を殺し囚われの姫を救出して結婚する、という筋書きになる(古代バビロニア神話女神ティアマトギリシア神話アンドロメダにまつわる物語を参照)。これは象徴的な母親殺しであるという。つまり、母親の影響を廃して男子は独立する、ということを意味するものである。それに対して浦島太郎はその竜の住み処で姫と暮らしてしまう。これは、男性が母親の影響を断ち切ることなく成人してしまう日本的なあり方を示しているという。

疾患的解釈

浦島太郎は、メラノサイト自己抗体ができ、半年程度の短期間で毛髪眉毛などが白髪になるフォークト―小柳―原田病を描いていると指摘されている[9][10]

ゆかりの神社仏閣

  • 慶運寺神奈川県横浜市神奈川区) - 明治時代に焼失した観福寿寺の、聖観世音菩薩像を安置。
  • 浦嶋神社京都府与謝郡伊根町) - 浦島伝説の中では最も古いとされる『丹後国風土記』逸文ゆかりの地域にある。社伝では天長2年(825年)に創建。丹後半島にはこのほかにも浦島伝説に基づく神社がある。
  • 浦島神社香川県三豊市) - 荘内半島一帯には、太郎が生まれたという生里、箱から出た煙がかかった紫雲出山ほかたくさんの浦島伝説に基づく地名が点在している。太郎が助けた亀が祀られている亀戎社もある。
  • 寝覚の床臨川寺長野県上松町) - 寝覚の床は竜宮城から戻った浦島太郎が玉手箱を開けた場所といわれ、中央の岩の上には浦島堂が建つ。臨川寺は、浦島太郎が使っていたとされる釣竿を所蔵する。境内からは景勝寝覚の床を見下ろす。
  • 知里付神社真楽寺愛知県武豊町) - 知里付神社には浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったといわれる玉手箱が所蔵されている(非公開)。日照りの際の雨乞いに使われたという。また、真楽寺の境内には浦島太郎を背負った亀のものとされる墓がある。武豊町の富貴という地名は、「負亀」(オブガメ)の音読みの「フキ」が転化したものだとも言われている

派生

唱歌

文部省唱歌「浦島太郎」は、1900年の『幼年唱歌』に掲載された「うらしまたろう」(作詞・石原和三郎、作曲・田村虎蔵)と、1911年の『尋常小学唱歌』に掲載された「浦島太郎」(作詞・乙骨三郎、作曲者不明)とがある。「昔々浦島は助けた亀に連れられて」で始まる歌は、『尋常小学唱歌』の「浦島太郎」である。

ウラシマ効果

物理学アインシュタイン相対性理論によれば、運動している物体の経過時間は、静止している物体の経過時間に比べて相対的に遅くなる。この現象は日常的には判らないが、光速に近づくと顕著になる(理論的には、光速に達すると時間は止まってしまうことになる)。そのため、光速に近い速度の宇宙船に乗って宇宙旅行をして帰還すると、地上では宇宙船での何倍もの時間が経過しており、宇宙船の乗組員は、さながら浦島太郎の様相を呈することとなる。そのため、日本では、この効果のことを俗にウラシマ効果と呼んでいる。(物理学用語ではなく、ふつう「ウラシマ」と片仮名表記する)。

『浦島太郎』と違うのは、当人はそのままの状態で、物語の浦島太郎の様に(玉手箱が存在するとして、それを開けたとしても)加齢すると言うことはない(のが自然である)。

複数のSF作家豊田有恒藤子不二雄など)が、この話を浦島太郎が宇宙人とともに亀(円盤型宇宙船)に乗って、竜宮城(異星)へ光速(亜光速)移動したために地球との時間の進み方にズレが生じたとする解釈を提示している。

詳細は時間の遅れ双子のパラドックスを参照。

「浦島太郎(花子)状態」

竜宮城から故郷に戻るとまったく見知らぬ土地になっていたという浦島太郎の立場になぞらえ、長い間離れていた所に久しぶりに戻ると別世界になっており面食らうことを、古くは「今浦島」現在では「浦島太郎である」「浦島太郎状態にある」などと言う。女性の場合は浦島花子(うらしまはなこ)。「日本国外に住み日本の流行に疎くなったり違和感を覚えてしまう」「出向先から戻って本社の変貌ぶりにまごつく」「世間から離れていたために時事ニュースや新しい技術を知らず、時代に取り残されたと感じる」などの状態を自虐的に表現する際に用いる。

テレビ CM

ヴァリグ・ブラジル航空(VARIG、現在は倒産しゴル航空に路線を買収された)は、1970年代から80年代にかけてリオデジャネイロ - サンパウロ - 東京線直行便の宣伝のため、浦島太郎をモチーフにした テレビCMブラジル国内において、放映していた。この宣伝歌はオリジナルソングで日系人歌手のホーザ・三宅によって歌われた。3部作となっており、浦島太郎は助けた亀に乗せられて竜宮城ではなくブラジルへ連れて行かれ、時が過ぎて老人になってしまった浦島太郎が、乙姫から貰った玉手箱を開けると若返り、箱の中にはヴァリグ航空の日本行きチケットが入っているというものであった。第2部は大阪万博、第3部は日本便を紹介している。

日本行き直行便はVARIGと日本航空両社交代で毎日飛行していたが、ヴァリグ倒産時に路線もろとも廃止となり、さらに日本航空がブラジル路線から撤退したため、日本~ブラジル間を運航する直行便はなくなった。

その他

海底にある龍宮城へ行ったという伝説から、海洋研究開発機構が研究している自律型深海巡航無人探査機うらしまと命名された。

生物

サトイモ科ウラシマソウは、肉穂花序の先端部が先細りに長く伸び、次第に垂れるものを釣り竿に見立てての命名である。

クモ目ウラシマグモの場合、このクモそのものでなく、近縁種のオトヒメグモに対比して名付けられた。

脚注

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参考文献

  • 三浦佑之 『浦島太郎の文学史 - 恋愛小説の発生』 五柳書院 ISBN 4906010369
  • 林 晃平 『浦島伝説の研究』 おうふう ISBN 4273031531
  • 水野 祐 『古代社会と浦島伝説〈上〉 - 浦島伝説の歴史的形成』 雄山閣
  • 宮田 登 他 『日本「神話・伝説」総覧』〈愛蔵保存版〉新人物往来社 ISBN 4404020112
  • 関 裕二 『古代史の謎 未解決のあの事件あの人物の正体が次々と明らかに!』PHP研究所、2008年。ISBN 9784569704456。

関連項目

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類似説話

派生事項

外部リンク

  • 何故、開けてはならないか、開けた場合どのような状況が生起するかについての合理的な説明がなされないまま禁止のみが言い渡される。
  • 瀧音能之「浦島」 / 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版 2004年 36ページ
  • toka3aki 「国土としての始原史~風土記逸文」~山陰道 - 露草色の郷(『丹後国風土記』(たにはのみちのしりのくにのふどき)の逸文テクスト。「浦嶼子」は『釋日本紀』〈卷十二〉からの引用)
  • 乙姫が枝に光を照らしたとされる松は、大正時代に枯死。
  • 神奈川区の歴史
  • 神奈川区のマスコットマーク・シンボルマーク
  • 乙姫との官能的な性生活の描写などが含まれる。
  • 浦島太郎を乙姫との知的な会話やヒラメの踊りの鑑賞のみによって満足するという欲求に対し抑制的で謙虚なパーソナリティの持ち主として表現している。
  • 日本眼科学会 - ぶどう膜の病気 - フォークト―小柳―原田病
  • 「眼科ケア」、メディカ出版、2006年4月号P58-59「物語にみる眼疾患をチラッと検証! めだま千夜一夜 第一回 - 「浦島太郎は原田病だった!?」」