浜野昇

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浜野 昇(はまの のぼる、1854年安政元年)10月 - 1920年大正9年)2月11日)は、日本政治家

来歴・人物

千葉県出身。成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校)、順天堂を経て、東京医学校(現在の東京大学医学部卒業生25名のうちの1人)を卒業。1877年には陸軍軍医として西南戦争に従軍。1883年には招かれて鹿児島県立医学校(現在の鹿児島大学医学部)の校長に就任する。

1890年第1回衆議院議員総選挙自由党系として立候補し1位当選、全国300人の議員の中で唯一の医学士の衆議院議員となった(医師としても初めて議員になった人物)。衆議院議員として第一期帝国議会コッホ肺病療法結核予防法の前身)を通過させ、北里柴三郎と共に日本医師会および結核予防会の設立に貢献。また千葉県医師会創立に際し会頭に挙げられ在職二十余年。千葉県県会議会議員、その他、各種衛生委員も歴任した。