浅野長晟

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テンプレート:基礎情報 武士 浅野 長晟(あさの ながあきら)は、江戸時代前期の大名備中足守藩主、紀伊和歌山藩の第2代主、安芸広島藩の初代藩主。浅野氏宗家2代。

生涯

近江滋賀郡坂本(現滋賀県大津市)に浅野長政の次男として生まれる。

文禄3年(1594年)、豊臣秀吉に仕えて3,000石を与えられる。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い以後は徳川家康に従い、徳川秀忠の小姓を務め、慶長15年(1610年)に備中足守に2万4,000石を与えられる。

慶長18年(1613年)、長兄・幸長が嗣子無くして病死したため、家督を相続して紀伊国和歌山藩(紀州藩)主となった。

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、翌20年(1615年)の夏の陣に参戦し、樫井の戦いでは塙直之らを討つという功績を挙げた。しかし、紀伊国内では北山一揆紀州一揆と土着勢力の相次ぐ蜂起に遭い、戦後すぐに領内に戻り一揆の鎮圧にあたった。

元和5年(1619年)、福島正則改易されると、その後を受けて安芸広島42万石に加増移封された。

寛永9年(1632年)9月3日、広島で死去した。享年47(満46歳没)。家督は次男の光晟が継いだ。

墓所は広島県広島市の神田山墓地。

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