洋服

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 洋服(ようふく、Western clothes[1])とは、西洋風の衣服のこと[2]

概説

洋服とは西洋風の衣服のことである。

言葉というのは何と対比しているかによって意味も変わるが、英語で行われるひとつの対比は「Eastern clothes(東洋の服)」という概念と対比して、「Western clothes(西洋の服)」という概念である。

歴史という観点から考えると、洋服というのはヨーロッパの諸地域に住んでいた人々の民族服であり、それが歴史とともに変化してきたわけである。

日本では、「洋服 / 和服」という対比が用いられることも多い。 「着物」(もともと「着るもの」という意味の言葉)や「服」と言えば、結果として、その当時の人々が着ていたもの、つまり現在言うところの和服を指していた。西欧の人々が目の前に現れ、彼らが着ていたものを「西洋の服=洋服」と呼んで区別したわけである。

和服は直線に裁った生地を縫い合わせるのが基本であるが、洋服は曲線的に裁った生地を縫い合わせるのが基本である。

西欧諸国が世界中で植民地を作り、その生活様式や文化が広められるにつれ、洋服は世界に広がり、各地の民族衣装と併用されることが増えた。

現代の世界での着用数に着目すると、伝統的・古風な洋服が着られているというより、むしろヨーロッパ人が移住した米国で生まれた、簡略・シンプル・安価なタイプ(Tシャツジーンズ 等々)の洋服が特に世界中で着られている。

歴史

テンプレート:Main


ペルー人と洋服

ペルーでは、

日本人と洋服

戦国時代、日本人は和服を着ていたわけであるが、キリスト教の宣教師たちが日本にいたので彼らの服装を目にする日本人もいた。織田信長は西欧の服や鎧を着ることも好んだことが知られている。江戸時代日本は鎖国政策を敷き西洋人を遠ざけたので、人々は基本的には洋服を目にすることはなかったが、出島に出這入りすることが許された人は、ポルトガル人オランダ人などが着ているものを目にすることができた。最後の将軍 徳川慶喜は普段は和服を着ていたが、ナポレオン3世から贈られた司令官服(将軍服)のようなものを着用した写真が残っている。幕末明治維新と呼ばれる時期、幕府側は和服を着ている人が多かったが、土方歳三は洋服をきた写真が残されている。長州勢の奇兵隊の兵は西洋風の軍服を着ていた。明治政府は西洋化策をとり、その一環として洋服の着用を奨励した。が、日本人全体を見れば和服を着用している人々のほうが圧倒的に多かった。自宅であれ仕事場であれ和服を着ている人のほうが多かったのである。また政府・行政の官職についていた人も職場では洋服を着用していても、自宅に戻ると従来どおり和服を着て過ごす人のほうが多かった。軍隊は戦力強化のために西洋の軍隊の制度を大いにとりいれ、そのとともに服も洋服採用した。徴兵によって男子に軍服を強制的に着せたことで洋服に慣れる人が増えたという面がある。日露戦争時も軍人・兵隊は皆 仕事をしている時、洋服を着ていた。

太平洋戦争(第二次世界大戦)になると、男性は普段も(西洋風の)軍服を着用した。同大戦で日本が敗れ、普段も洋服を着用することが増えた。第二次世界大戦中に、婦人が着用を義務付けられた和服のもんぺの機能性の悪さが認識されたことと、戦後混乱期に衣料市場が空白になり、そこにアメリカ援助物資の洋服が流入したことが原因である。進駐軍が登場すると、日本でアメリカ風の文化が広がったことも影響している。[3]


洋服の例

ギャラリー

テンプレート:Gallery


日本人と洋服

テンプレート:Gallery

脚注

  1. プログレッシブ和英中辞典【洋服】
  2. 広辞苑第6版「洋服」
  3. それでも、1960年代までは男性の家庭でのくつろぎ着としての甚平などの着用は珍しいものではなかった。

関連項目


テンプレート:被服