泡盛

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泡盛(あわもり)は、主としてインディカ米を原料として黒麹菌(アワモリコウジカビ)を用いた米麹である黒麹によって発酵させ、もろみを蒸留した琉球諸島産の蒸留酒である。乙類焼酎の一種。

概要

原料の米は、主にタイインディカ米の砕米が用いられるが、近年では地産地消の動きに伴って県内産のジャポニカ米を使ったものも生産されている。3年以上貯蔵したものは古酒(クース)と呼ばれる。

戦前には奄美群島でも製造されていたが、現在は作られていない。「本場泡盛」、「琉球泡盛」を商標に使用できるのは沖縄県で作られたものだけとされている。なお一部のメーカーが、台湾モンゴルなどに酒造所を所有している。

泡盛は酒として味わうほか、沖縄料理調味料としても多く利用されている。製造時の副産物であるもろみ(酒粕)は加工され「もろみ酢」として販売され、近年の健康ブームの中で人気を得ている。

語源

『泡盛』の由来 蒸留の際、導管から垂れてくる泡盛が受壷に落ちる時、泡が盛り上がる状態を見て「泡盛る」となり、転じて『泡盛』となった。 というものである。 実際、蒸留した酒を茶碗に入れて泡立たせ、徐々に水で薄めて泡が立たなくなるまでそれを繰り返すことによってアルコール度数を決定していた。これは、蒸留酒に含まれる高級アルコールなどの起泡性成分含量がアルコール度数にほぼ比例することによる。

分類

酒税法上では乙類焼酎に分類される。政令ならびに財務省令によると、乙類焼酎のうち、「米こうじ(黒こうじ菌を用いたものに限る。)及び水を原料として発酵させたアルコール含有物を単式蒸留機により蒸留したもの(水以外の物品を加えたものを除く。)」については、酒類の種類(品目)の表示を「泡盛」とすることができるものとされている。なお、酒税法で乙類焼酎のアルコール度数は45%以下と定められているため、与那国島に特例で製造が認められているアルコール度数60%の銘柄(花酒と呼ぶ)は酒税法上「スピリッツ類 原料用アルコール」とされている。

泡盛の飲み方

蒸留酒であり、アルコール度が高いものから比較的低いものまで市販されている泡盛は、幅広い飲み方が楽しめる。ストレートオン・ザ・ロック水割り、お湯割り、炭酸割りなどのほか、地元では沖縄特産品を使用したシークヮーサー割りやウコン割りなどもされ、カクテルベースとしても様々なレシピのカクテルが考案されている。(別項参照)

一般的に多くされる飲み方は水割りであるが、熟成された古酒をより深く味わうのならストレートということになる。この場合、猪口と、泡盛用の伝統的な酒器であるカラカラ(多くは壺屋焼だが、ガラス製のこともあり)が使われる場合が多い。

また、水割りなどのときは琉球ガラスのグラスがよく使われる。

歴史と現状

歴史

酒の蒸留技術は14世紀後半から15世紀頃にシャム国(現在のタイ)から琉球に伝えられた。それとともにタイ米、貯蔵用の甕などがもたらされ、現地の気候と、黒麹菌の導入などの改良により新たな蒸留酒、つまり泡盛が誕生したと考えられている。

1460年第一尚氏王統尚泰久王が朝鮮に使者を派遣し、このとき朝鮮国王・世祖に天竺酒を贈っている[1]。天竺酒の製法について、「桄榔樹の漿、焼きて酒を成す」[2]と記されているので、サトウヤシ(桄榔)を原料としたヤシ酒(蒸留酒)と考えられる。おそらくアラックのようなものだったのであろう。

また、1478年、朝鮮漂着民が沖縄本島の那覇での見聞として、清酒、濁酒、さらに南蛮酒があり、この南蛮酒の味は、朝鮮の焼酒のようであるとの記述がある[3]

1534年からの冊封使・陳侃が琉球に赴いたときの記録『陳侃使録』に、「南蛮(南番)酒」のことが記されており、この南蛮酒は暹羅(タイ)からもたらされたものであり、醸法は中国の露酒であると記されている[1]

米を原料とした蒸留酒が沖縄でいつ造られるようになったのかは定かではないが、東恩納寛淳が「泡盛雑考」(1941年)等の論考で、タイの「ラオロン」が起源ではないかと推測して以来、この説が有力である。

泡盛は、15世紀から19世紀まで、奉納品として中国日本の権力者に献上されていた。日本へは、島津氏を通して徳川幕府に献上されたが、公式には『徳川実紀・駿河記』の慶長17年(1612年)に『琉球酒』として登場する。その後、『焼酒』の名を経て寛文11年(1671年)以降、『泡盛』となって今に至る。

沖縄戦では多くの酒造場が被害を受け、終戦後には原料の米も食料用すら不足する状態で泡盛の製造ができなくなり、燃料用アルコールを飲む者までいたという。このため1946年、当時の沖縄民政府が米軍の許可を得て官営の酒造工場を設置した。米は使えないためチョコレートソテツ澱粉が原料に用いられていた。1949年に民間の酒造場が認可され、泡盛造りも徐々に復興している。その過程で米軍が不要となり放出したビール瓶やウイスキー瓶に泡盛を詰めて販売したため、現在でもその名残で本来540mlである3合瓶が600mlになっていたり、ウイスキーの瓶に似た茶色の瓶に詰められた泡盛が存在する。

いわゆる「アメリカ世」ではビールやウイスキーが普及し、一時は数百あった泡盛の蔵元は大きく減った。近年は本土への販路拡大や質の高い古酒の生産などで盛り返しをはかっている。

2003年から泡盛のルーツとなったタイ産もち米焼酎の南蛮古酒が、現地タイのトータイネットワーク社から販売となり話題となっている。

現状

48の酒造所(2011年12月時点)と多くのメーカーがあり、多くの銘柄が存在する。たいていは地域にちなんだものや、縁起の良さそうな名を持っている。かつては単に泡盛という名を持つものもいくつかあった。

消費の割合は沖縄県内が8割で他地域が2割と推定される[4]。沖縄県内で一般に流通しているもののアルコール度数は30%であるが、県外への移出や飲みやすさを考慮して25%にしたものや減圧蒸留で製造されたものも増えつつある。一方、長期熟成用の原酒にはより度数の高いものも多数ある。保管中にアルコール分の揮発等により度数が低くなるためである。伝統的な古酒を造るための原酒として、ろ過を抑えた泡盛も販売されている。新酒では欠点となる成分が、熟成中に変化して、長所となると考えられているためである。

与那国町には、花酒と呼ばれる60%のものが「どなん」、「与那国」、「舞富名」の三銘柄あり、泡盛では最も度数が高い(但し前述のように法律上は「泡盛」ではなく「スピリッツ類原料用アルコール」に分類)。皿に広げると揮発し、容易に火がつく。

泡盛の製造地域は、大きく分けて酒造組合のある6つの地域に分けられる。中心都市であり、琉球王朝の王府のあった首里地区を有する那覇市の酒造所の泡盛がよく流通している。琉球王朝時代、首里地区の首里三箇の酒造所のみ公認であったためである。現在は各地や離島の銘柄にも人気の高いものがある。本島北部の泡盛は生産量が少ないためあまり流通していない。本島中部、南部は、首里地区から移転した酒造所等もあり、比較的近代的、大規模な酒造所が多い。本島周辺の離島である久米島等でも製造されている。宮古諸島の酒は口当たりがよく飲みやすいものが多く人気が高い。宮古島は、酒豪が多い沖縄県でも、特に酒に強い人が多いとされており、オトーリという酒の飲み方は有名である。この風習のため飲みやすい泡盛が多いと考えられる。八重山諸島の酒は離島の小規模業者により生産されていることが多いため個性的である。なお、大東諸島明治時代に伊豆諸島からの移民が開拓した島であるため、泡盛の製造は行われていない。

一般には熟成が3年未満の一般酒が流通する量が多く、多くの蒸留酒で寝かせてから販売されるのが普通であることと比較すると、やや特殊な例に当たる。昭和末までは、ほとんど二合、三合瓶、一升瓶で出回り、特に手頃感のある三合瓶に人気があった。三合瓶と称されているが、容量は600mlである(沖縄戦後に米軍の放出したビール瓶に泡盛を詰めて販売した名残と言われている)。二合瓶、三合瓶とも、一升瓶をやや寸詰まりにした形である。瓶も蓋も全銘柄共通で使われ、一升瓶と同じ柄のラベルが貼られていた。現在では、様々な形の瓶やそのまま寝かせるための、記念品や土産として琉球ガラス陶器に詰められた泡盛も流通している。

古酒(クース)

泡盛を寝かせると、こくや独特の香気が出てうまくなるので、古酒(クース)として珍重される。一般的には、貯蔵期間が長いほど上質になるとされ、かつては琉球王朝時代に200年物や300年物が存在したとされるが、それらは沖縄戦により全て失われ、今では首里の識名酒造に貯蔵された150年物の古酒が現存するのみである(販売されることはない)。

基準

公正競争規約の基準

「泡盛の表示に関する公正競争規約」によって、古酒と表示する場合には「全量を3年以上貯蔵したもの又は仕次ぎしたもので、3年以上貯蔵した泡盛が仕次ぎ後の泡盛の総量の50パーセントを超えるものでなければ古酒と表示してはならない。古酒の表示に代えて、クース又は貯蔵酒若しくは熟成酒と表示することができる。貯蔵年数を表示する場合は、年数未満は切り捨てるものとする。」と定められている。長期貯蔵酒の規定は単式蒸留焼酎の公正競争規約にもあり、3年、50%超の要件は同じである。

沖縄県酒造組合連合会の自主基準

本土並み課税を見込み、一般酒の価格競争力がなくなったとしても単価の高い古酒で対応すべく、古酒の基準を厳格化して品質向上を目指す機運が生じた結果、2004年6月から、沖縄県酒造組合連合会により自主基準が導入された。この基準では、「10年古酒」と表示することができるのは、10年古酒100%、ブレンド古酒の場合は原酒には最低10年を経た古酒を使用したものである。ブレンド古酒の場合は、「5年50%、3年50%」などのブレンド比率の表示も可能である。

また、瓶詰め日の明記も義務付けられた。

貯蔵による熟成

伝統的には、一定期間に一本ずつ、選び出した泡盛で満たした南蛮甕を貯蔵し(順に親酒、二番手、三番手……と呼ばれる)、ある程度年数が経ったところで、最も古い酒である親酒を掘り出し、きき酒を行った上で慶事等の際飲用に供される。『親酒』を飲んだり、甕からしみこんで減った分は、その分だけ『親酒』に二番手を、二番手に三番手を…というように順次新しいものを古いものへ補充し、最後に最高の番手の甕に新しい酒を補充する。この方法を仕次ぎという。最低でも、甕を3個用意し、三番手まで作るのが望ましいとされる。 なお、シェリー酒にも同様の方法があり、これをソレラシステムという。

多くの酒造所で、様々な方法で貯蔵されているが、現在、効率性の観点から多く採用されている貯蔵方法はステンレスタンク貯蔵である。泡盛は瓶詰めされたものを寝かせても熟成がすすみ古酒化するとされているが、瓶、ステンレスタンク、ホーロータンク、と異なる容器で熟成された古酒は風味が異なる。先に挙げた方法ほどアルコールの減少が少なく、泡盛本来のクリアな風味となり、後者になるほどアルコールが揮発し丸くなりやすく、容器から溶出した成分のため複雑な風味となるといわれている。

瓶内でも熟成されると考えられているため、家庭でも新酒をそのまま寝かせることにより古酒にすることも可能である。かつては本土に出荷した泡盛の売れ残りが送り返されることがあり、製造業者は古酒になっているため喜んで引き取っていたが、本土の業者にも熟成のことが知れ渡ると売れ残りが送り返されることがなくなったという。

古酒ならではの問題

古酒は、利益を出すまでに年月がかかるため、企業にとってはハイリスク商品である。また、泡盛業界は零細事業所が多いため信用力が低く、必ずしも思った利益が出るとは限らない長期事業に銀行が貸し渋りする傾向がある。そのため、損益確定が早い一般酒に力を入れる動きが泡盛業界には多い。

このため、1976年より沖縄県酒造協同組合が各酒造場の生産する泡盛の原酒を仕入れ、ブレンドののち長期貯蔵により古酒として出荷する事業を行っている。同組合には沖縄県内全46社が参加している。また、近年の法整備により貯蔵中の泡盛を担保とする融資制度が、2007年沖縄振興開発金融公庫より開始された。

沖縄県内産以外であっても、材料・製法を踏襲すれば「泡盛」や「クース」と表示出来ることを利用し、モンゴルなどの、人件費地価が極端に安い外国で製造する動きも始まっている。年数を要する貯蔵まで現地で行おうというものである。なお、一般の泡盛の不良在庫(デッドストック)の分を「古酒」として売ることも出来る。この場合、保存状態により品質にばらつきが出るため、味の調整をしてブレンド古酒として商品になる。

2012年3月に「沖縄県酒造組合連合会は7日、泡盛古酒の不当表示で、日本酒造組合中央会(東京)が県内9メーカーに違反行為の排除などを求める警告や指導の処分を出していたことを公表した。」「中央会の処分は2月13日付だが、県酒連がホームページで公表したのは、取材後の3月6日の深夜だ。それも処分の結果を記すだけで、違反行為の具体的な内容は明らかにされていない。」と新聞に報じられた。

酒税軽減特例措置について

1972年の本土復帰後から、沖縄県には酒税軽減措置がとられてきた。県内出荷向けに限り、本土の酒税と比べ、復帰直後は60%軽減された。優遇税率は5年間の時限措置であったが、5年ごとに見直されるだけで延長が繰り返され、一時は-15%までになったが、1990年からは-35%になっている。発泡酒第三のビールなどの酒税強化の流れの中、2002年の延長決定の際には、自民党税調から「(優遇は)今回限り」との発言があり、財務省も「激変を緩和する役割を終えた」として2007年の酒税軽減措置廃止は既定路線となった。県庁も2002年の税調などの見解に沿い、酒税軽減措置の再延長を求めないとしていた。しかし、泡盛業界の強い要望や、2006年の県知事選で政府寄りとされる知事が当選したことにより、酒税軽減措置の再延長が政治的に決定された。

2012年3月、普天間基地問題の対策のひとつとして、「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」の酒税の特例が延長され、2017年5月14日まで軽減税率が適用されることとなった。

泡盛業界特有の問題

泡盛業界は、従業員9人以下の零細事業所が全体の6割を占めている。酒税の軽減総額は泡盛業界の年間の利益総額よりも大きく、軽減措置を廃止された際増税額が価格転嫁できないと仮定すると、利益はなくなり赤字となる。一方、価格転嫁が順調に進んだ場合でも、出荷量の減少による利益の減少や県民生活への影響は避けられないとされている。現在県内の消費は飽和状態であると考えられているため、従来の流通形態では成長が見込めない。酒税軽減廃止への対応と泡盛市場の拡大のため、県外出荷量の増加は重要であると考えられている。

沖縄ブームによって2004年まで県外出荷量は拡大したが、以後は期待されたようには推移していない。原因としては、前述にあるような泡盛企業の一般酒への傾倒、基準の厳格化による古酒の減少、芋焼酎を初めとした焼酎との競合、ブームの沈静化等が考えられる。

泡盛ベースのカクテル

ファイル:Daiquiri drink.jpg
ダイキリ(写真はラムベースのもの)

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泡盛用の酒器

ファイル:Karakara and cups.jpg
カラカラと猪口(壺屋焼)

注ぎ口の付いた扁平な形の泡盛用徳利。壺屋焼のものが多い。中身が空の時に振ると音のする玉入りのものもある。

もともとは泡盛を携行するための注ぎ口がついた水筒。おおむね四角いが紐を通して肩にかけるため体に沿うよう湾曲した形(上から見ると三日月型)になっている。現在では実用品というより、置物や壁掛け、花器として用いられることが多い。

琉球王朝時代から使われているお祝いの際の贈答用容器(酒器)で、中ほどがくびれたひょうたん型で首が長い徳利。過去の慣習では、贈るのは中身の泡盛だけであり、器自体はあとで返却してもらうリターナブル瓶形式であった。そのため家紋が入ったものもある。

神事の際のお供え用酒器。形は嘉甁に似ている。名前の由来は渡名喜島からだが、この形のものが最初に渡名喜島から壺屋に注文されたからとか、水平にした時の断面が渡名喜島に似ているからというような説がある。

泡盛保管用の縦長の甕。荒焼き(素焼き)で、鬼の手に似ていることからそう名付けられた。通常は一升以上入る大きなもの。ガラスビンが普及する前はこれに入れて小売りされていた。

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 『李朝実録』(『日本庶民生活史料集成』第27巻、三一書房、1981年、574頁参照)。
  2. 同上580頁参照。
  3. 同上588頁参照。
  4. テンプレート:PDFlink 内閣府 沖縄担当部局