永続革命論

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レフ・トロツキー
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アレクサンドル・パルヴス

テンプレート:トロツキズムのサイドバー 永続革命論(えいぞくかくめいろん)とは、ソ連革命家レフ・トロツキーアレクサンドル・パルヴスとともに提起した後進国における革命理論。永久革命論ともいう。

思想

ウラジーミル・レーニンが、ロシアにおける当面の革命を労農独裁による帝政の打倒を目指す民主主義革命であり、その後にプロレタリア革命を目指すという二段革命論を唱えていたのに対し、トロツキーは若きマルクスドイツにおける革命のスローガンとして共産主義者同盟中央委員会回状(1848年)の中で提起した「永続革命」をとりあげた。

彼は、一般に後進国においては、ブルジョアジーはその後を追って登場したプロレタリアートへの恐怖のために民主主義革命を遂行する能力はなく、したがってプロレタリアートにしか民主主義的任務も遂行できないと主張して、プロレタリアートによる即時の権力奪取を呼びかけた。

後年、ソ連からの追放後に執筆した「ロシア革命史」では、このような後進国におけるブルジョアジーの政治的無力とプロレタリアートの主導性の根拠として、「複合的発展の法則」(「結合発展の法則」ともいう)を指摘している。これは、後進国は先進国の発展をただ単純に繰り返すのではなく、先進国の進んだ技術や思想を取り入れることによって、飛躍的な発展が可能であるということを指している。ヨーロッパにおける後進国ドイツが、瞬く間にイギリスやフランスに追いつき追い越した例や、明治以降の日本の急速な近代化、最近では韓国などのアジアNIES諸国の発展なども、彼の言う「複合的発展の法則」の正しさを示しているといえる。

このような彼の歴史観は、彼の政敵であるヨシフ・スターリンの五段階発展論(唯物史観)に典型的に見られる図式主義と比べると、歴史のダイナミズムをはるかによく捉えたものである。

レーニンは、トロツキーの永続革命論は農民を無視し歴史を飛び越すものであると非難し、二人の間には激しい論争が繰り広げられた。しかし、二月革命(ロシア革命)が起きると、レーニンは亡命先のスイスから帝政の崩壊によって民主主義革命は終了したとして、権力掌握に消極的なボリシェヴィキの国内指導部(レフ・カーメネフ、スターリンら)を批判して蜂起を主張し、帰国すると有名な四月テーゼを発表した。

従来の二段階革命論に固執した弟子たちは、レーニンの主張の急変に驚き、蜂起はブルジョアジーを革命から尻込みさせて革命を敗北に導くとして反対する中で(カーメネフジノヴィエフは最後まで反対した)、唯一トロツキーだけがこれを支持した。このことによって、レーニンは革命論においては実質的にトロツキーの理論に近づき、一方トロツキーは「何をなすべきか」に示されたレーニンの組織論を受け入れて、二人の協力関係が成立し、レーニンの死までその協力関係が揺らぐことはなかった。古くからのボリシェヴィキがしばしばトロツキーを疑惑の目で見た中で、レーニンはトロツキーこそ最良のボルシェビキであるとして、終始信頼し擁護していた。

しかし、レーニンの死後、スターリンによってレーニンとトロツキーの論争は意図的に歪曲された。トロツキーの永続革命論や世界革命論は、あたかも極左主義的、反レーニン的で農民を無視する観念的な理論であるかのように非難されてきたが、ロシア革命の中で極端な攻勢理論や革命の輸出をもくろむ革命戦争派やボルシェビキ左派などの空論家たちとレーニンとともに最も熾烈に戦ったのはトロツキーである。

中国革命においても、スターリン指導部は旧来の二段階革命論に固執して中国共産党の自立的な活動を否定した。中国国民党こそが革命の原動力であるとして蒋介石を礼賛して、中国共産党の国民党への従属を主張した当時のコミンテルンに対して、トロツキーは後進国におけるブルジョアジーの革命に対する無力さを指摘して革命におけるプロレタリアートと共産党の主導性を強く主張し、さもなければ革命は失敗するだろうと強く警告した(トロツキー「中国革命論」)。事実、北伐を開始した蒋介石はクーデターを起こして共産党に対する弾圧を開始して実権を掌握した。しかし、彼の政権下では、外国勢力や各地の軍閥、封建的な地主階級の勢力は温存され、革命は民主主義的革命としても不徹底なままに留まった。

これに対するその後の毛沢東による中国革命の成功は、ある意味でトロツキーの永続革命論の正しさを立証したとも考えられる。だが、あくまでも都市プロレタリアートの主導性を強く主張する彼の理論と、農民の役割を重視した根拠地戦略(農村から都市へ)という毛沢東主義とは根本的に性格が異なっている(毛沢東の戦略には、もちろん一定の正当性が存在するがここでは詳述しない)。

トロツキーの言う革命の永続性とは、当初の民主主義的革命から社会主義的革命へ中断することなく突き進むということを意味しており、その主導権は当初からプロレタリアートが担うべきであると、彼は主張している。しかし、後進国において仮にプロレタリアートが権力を奪取したとしても、そのことがただちに社会主義の樹立を意味するわけではない。後進国においてはプロレタリアートの権力奪取は比較的容易ではあっても、社会主義の建設は先進国の革命にくらべて困難が伴うというのがトロツキーの立場である。

今日、永続革命と並んでトロツキズムの柱とも評される世界革命とは本来レーニンも含めたすべてのマルクス主義者の共通の理念であった。資本主義の発展を踏まえた社会主義は当然世界的な関係においてしか成立し得ないのであって、一国社会主義という理論はレーニンの死後にスターリンがレーニンの片言隻句を元に作り上げた理論である。

注意したいのは、トロツキーの永続革命論と資本主義復活の阻止を掲げた毛沢東の文化大革命(不断革命論)とはまったく関係ないことだ。本来、マルクスの思想によれば、社会主義社会とは階級対立はもちろん、政治的国家、したがってプロレタリア独裁政権自身も消滅した段階を指すのであって、資本主義の復活を阻止するための階級闘争など存在する余地はないのである。

トロツキーを含めた伝統的な理論では社会主義また、彼の永続革命論は労農民主独裁からプロレタリア独裁へという二段階革命論に対して、当初からプロレタリア独裁の樹立を目指すという点で一段階革命論と呼ばれることもある。正確に言えば、政治的には一段階であるが、革命の社会的内容については「民主主義的任務」から「社会主義的任務」への二段階論であるといえる。

参考文献

  • レフ・トロツキー「結果と展望」
  • レフ・トロツキー「永続革命論」
  • レフ・トロツキー「ロシア革命史」
  • レフ・トロツキー「中国革命論」

関連項目