水野あおい
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水野 あおい(みずの あおい、1975年(昭和50年)11月20日 - )は、埼玉県生まれの元・女性アイドル歌手。本名は大河内 庸子(おおこうち ようこ)。ライブアイドルの草分け的存在。
概要
ツインテールとフリフリの衣装が象徴で、1990年代の「アイドル冬の時代」にあって、アイドル歌謡を歌う正統派アイドルを貫き、プレアイドル(後のライブアイドル)現象の原型となった[1][2]。アルテミスプロモーション所属で、ライブアイドルの実践的方法は同社社長の野間真と水野の活動によってつくられた面も大きい。公式ファンクラブは「おやゆび姫」。
声優アイドルやライブアイドルで、水野の影響を受けた者は多く、その代表格である桃井はるこや田村ゆかりは水野に度々言及しているテンプレート:Refnestテンプレート:Refnest。
略歴
- 1991年(平成3年):メリーゴーランド(芸能事務所)に履歴書と歌を吹き込んだカセットを送る。“ちっちァイドル”(身長の低い―150cmそこそこ、またはこれを下回る―アイドル)としてSPA!で採り上げられる。
- 1992年(平成4年):水野あおいの芸名で活動開始。
- 1993年(平成5年):女性アイドルグループ・フェアリーテールのメンバーとしてデビューしたが、年内に解散、水野は事務所のスタッフ・野間真とともに独立、有限会社アルテミスプロモーションを設立。(2004年(平成16年)6月30日解散)(残りの二人、菊池奏衣と浅山美月改め渡辺幸恵は別グループ「Tiara」を結成)。
- 1994年(平成6年):アルテミスの所属第 1号アイドル歌手としてソロデビュー。
- 2000年(平成12年):引退。
逸話
1994年放映の『天使のU・B・U・G』で、水野は正統派アイドルの身なりのまま、新宿のホームレスに教わりながら、ホームレスの1日体験をしつつ、路上で歌って曲のキャンペーンを行うという企画を行わされた。敢えて極端な環境を設定するリアリティーショーの一種であったが、その過酷な内容にも関わらず水野とホームレス男性の間には徐々に交流が生まれ、水野はアイドル歌手として一部の隙もなく振る舞い続け、むしろ感動を呼んだ[1]。
出演番組
- 天使のU・B・U・G(1994年10月~1995年3月)
- 出演した多数のアイドルの中でも衣装等でキャラが立っていて、レギュラーであった。テレクラに電話させられたり、「一日ホームレスキャンペーン」と称して、ホームレスのたつさん(仮名)に手伝ってもらいながらダンボールで住まいを作り、キャンペーンを行った。
音楽
シングル
- 恋なのかな???/妹からはじめたい
- 春の輝き/金のボタン
- 見つめていたい/あおい伝説
- 恋のはじまり/Dan Dan
- とまどい/ブルートパーズの指輪
- 楽園~パラダイス~/夢見るハート
- がんばれ My Friend/クリスマスモーニング
- 夏の恋人/SUNSHINE SUNDAY
- Ring a Ding~倫子のテーマ~/狼なんか怖くない
- ピンクのたんぽぽ/ホワイトバレンタイン
- 秋風の午睡(シェスタ)/せつない片想い
- Super Happy World/あいのきせき
- “KI.RE.I”/瑠璃色ビーズ
- Love Song/Blue Bird/NOBODY CATCHES ME!
アルバム
- 天使のおひるね
- Aoi Special Edition~フリル通りのくますけ~
- dear my Friend
- Aoi Century Years
- Sweet Sweet Sweetie
参加作品
- 影牢 〜刻命館 真章〜 ORIGINAL SOUND TRAX
- 「Frozen Dark Night」で参加。ゲーム未使用のイメージソング。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 金井 覚 『アイドルバビロン―外道の王国』 太田出版 1996年3月11日 ISBN-13: 978-4872332667
- 中森明夫 『アイドルにっぽん』 新潮社 2007年4月25日 42-45頁 ISBN-13: 978-4103046318
- 太田省一 『アイドル進化論 : 南沙織から初音ミク、AKB48まで』 筑摩書房 2011年1月27日 ISBN 978-4-480-86408-6
関連項目
外部リンク
- 〈こちら新宿3丁目〉97年11月号 - 当時発行されたミニコミ誌。