横田順彌

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テンプレート:Infobox 作家 テンプレート:と学会 横田 順彌(よこた じゅんや、1945年11月11日 -、戸籍上は12月1日 - )は、作家SF作家)・明治文化史研究家。愛称は「ヨコジュン」。「横田 順弥」と表記されることもある。真木 じゅん名義による著書もある[1]

来歴

佐賀県に生まれ、東京都目黒区緑が丘に育つ。法政大学第二高等学校を経て法政大学法学部に進み、在学中は落語研究会で活躍した。中日ドラゴンズファンとしても知られる。

SFファン活動

小学5年の時に貸本屋で『第二の太陽へ』(ミルトン・レッサー著)を借りて感動したことがきっかけとなりSFにのめり込んでいく。中学生の時にはすでに個人SFファンジンを発行していた。

また大学時代には、定期的に例会を開いていたSFマニアの集まり「一の日会」のメンバーだった(平井和正のSF小説『超革命的中学生集団』には「一の日会」の面々がキャラクターとして登場。横田は主役の横田順弥としてモデルになっている。)。

1969年には横田が中心となり、鏡明川又千秋らとともにファンジン『SF倶楽部』を発刊する。第3号では、日本初のSF商業雑誌『星雲』を復刻刊行。雑誌には筒井康隆、平井和正や浅倉久志も寄稿した。4年半で10冊を刊行し休刊。

デビューの頃

大学卒業後、複写印刷会社、PR誌の編集会社などに就いたが、長続きしなかった。作家としては平井和正の紹介で1970年8月3日号の『週刊少年チャンピオン』に掲載されたショートショート「宇宙通信『X計画』」で商業誌デビュー。

ハチャハチャSF

初期は、ナンセンスギャグを主題とした「ハチャハチャSF」が人気を集めた。「ハチャハチャ」についてはハヤカワJA版『宇宙ゴミ大戦争』の小松左京による解説によれば、メチャクチャと言おうにも笑いすぎて息が切れ「ハチャ...ハチャ...」としか発音できない、といったところとされる。ハチャハチャという言葉自体は、東大将棋部内部で使われていた用語に由来するもので、同部にも出入りしていた、東大SF研の小谷善行一の日会などファンダムに広めたりしたものと言われている[2]。デビュー前は、SF同人誌にシリアスなSFを書いていた。ハチャハチャSFを書き始めたのは「シリアスSFよりもユーモアSFを書いたほうが良い」と伊藤典夫から言われたからだと後年記している。

大学の落語研究会出身、ということもあり、超SF的な奇想で物語がはじまり、落語的な駄洒落で話が落ちる、という作品が多かった。

古典SF研究

高校2年の時に押川春浪の『海底軍艦』に出会い、戦前の日本で書かれた古典SFに興味を持つ。横田はこの分野の草分け的存在である。また、鏡明はじめ、当時のSF仲間に海外の原書を読める者が多かったが、横田は英語が苦手だったため「自分は古典SFを研究しよう」と決意したという。

SFマガジン』に連載し、後に単行本にまとめられた『日本SFこてん古典』は、ハチャハチャSFとも共通する、ユーモアあふれる文体で、SF史的に重要な発見の紹介以外に、「こんな作品があったのか」という奇書も多数紹介。非常に人気のある連載であり、また、SFのみならず、大衆文学史研究に与えた影響も大きい。現在も数社から復刊を打診されているものの、「古典SF研究の定本となってほしくない」という横田の意思があり、いままで復刊が実現していない。

古典SFの研究から明治研究にも進出するようになり、1988年に発表した『火星人類の逆襲』以降は、執筆するフィクションも、明治時代を舞台にした作品(特に押川春浪が所属した天狗倶楽部の関係者が登場するものが多い)が主流になっている。同年発表された『快男児 押川春浪』(會津信吾との共著)で日本SF大賞を受賞している。また近年は古典SFの研究者の育成にも力をいれ、日本古典SF研究会には発足時から立ち会っている。

明治文化研究

古典SF研究の過程で、明治時代の文化・人物等に興味を抱き、近年は明治時代の、現在の視点で見ると不思議な文化・事象や、怪人物等を紹介する著作を、多数執筆している。(特に、学生野球黎明期については、思いいれが強い)その中で、中・高学生向けに書き下ろされた『百年前の二十世紀』は、1995年度の青少年読書感想文全国コンクール高等学校の部の課題図書に選ばれた。

古本エッセイ

また、古典SF研究の研究過程での古本収集についてのエッセイ本も、ユーモアあふれる文体で書かれており、従来の「古本についての本」の硬い文体とは一線を画した、革命的なものであった。古典SF研究以来の横田の仕事は、近年の、若い世代の「古本ブーム」へ、先駆者として大きな影響を与えていると、古本愛好家の坪内祐三も評価している。

近年の動向

『SFマガジン』誌上で、「近代日本奇想小説史」を連載している他、『日本古書通信』等に単発的にエッセイを発表。また、2008年6月まで『小説宝石』に30回にわたって古本エッセイを連載。2007年には出版芸術社から「異形コレクション」に発表していた明治幻想小説をまとめた『押川春浪回想譚』を出版、同書は『SFが読みたい! 2007年版』のベストSFの中で19位に選ばれた。また講談社青い鳥文庫からはジュブナイルSFを発表している(2005年〜、現在第3部まで完成)。

近年「体調が思わしくない」と様々な文章に寄せており、SFマガジンでの連載を体調不良を理由に休んだことも数回ある。さらに2007年世界SF大会にも出席する予定だったものの、体調不良のため欠席した。

近代日本奇想小説史 明治篇』で、2011年には第32回日本SF大賞特別賞を、2012年には第24回大衆文学研究賞大衆文学部門および第65回日本推理作家協会賞評論その他部門を受賞している。

エピソード・こぼれ話

  • 父が58歳、母が42歳のときに誕生した末っ子で、自らが戦中に母の胎内にいたことから「戦中腹派」などと称していたこともある。横田によると、「昭和19年、昭和20年生まれ」の人が「戦中腹派」で、彼以外に、高信太郎三遊亭円丈椎名誠永井豪おすぎピーコタモリ横山やすし梨元勝らがおり、すべて「異色の天才だ」と書いている。
  • 鏡明と仲が良いことで知られる。自らの半生記『横田順彌のハチャハチャ青春記』の中でも鏡のことがたびたび書かれている。
  • 一の日会」の仲間をはじめ、SFファンあがりの「SF第二世代」の作家たち(堀晃森下一仁梶尾真治ら)とは、仲良く交際していた。また、かんべむさしはSFファン出身ではないが、東西の「ギャグものを書くSF作家」ということで、ライバル視された時期があった。
  • 漫画家の高信太郎とも、「駄洒落づくしの作風」「落語好き」ということで、お互いの作品のファンであった。
  • 酒に弱く、ほとんど飲めず、グラス一杯ほどで意識不明になってしまうほどだという。
  • 1975年伊藤典夫荒俣宏鏡明と渡米。北米SF大会に参加する(その模様は『ヨコジュンのびっくりハウス』収録)。背の低い横田は、しょっちゅう子供に間違えられたという。一方、鏡明はスペイン人に間違えられた。また世界一のSFコレクター、フォレスト・J・アッカーマン宅を訪ねたところ、日本のSF関係の古本も置いてあり、幻のSF雑誌『星雲』を購入しようとしたところ、心優しいアッカーマンはプレゼントしてくれた[3]
  • 1978年に結婚。娘も誕生したが、1998年に離婚。離婚の原因は、横田が資料の古本をあまりに買いすぎることだという[4]
  • 横田のファンであった藤倉珊は、余桁分彌(よけたぶんや)名義で『日本SFごでん誤伝』という、横田の文体をパスティーシュした同人誌を刊行した。「トンデモ本」を紹介する本の走りである。
  • 柴野拓美展(2005年)に合わせて神奈川県中郡二宮町の公立図書館で講演する予定であったが、喘息のため直前に断念した。
  • 梶尾真治と共に堀晃を「慢性躁病」と親しみを込めて言っていた。

連載中

メディア出演

著作

単著

共著

編著

短編

解説

文庫本解説

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 真木じゅんは女性の新人作家という設定の架空人物。『さがして、愛のキューピッド!』の著者略歴では「1962年12月1日北海道旭川市生まれ。東京在住。星座蠍座血液型・O型。好きな食べ物はお寿司。とり肉は大きらい。野球を見るのと、テニス水泳が大好き。趣味はホラー映画を見ること。好きな作家はジャック・フィニイ、横田順彌。法政大学法学部卒業後、広告代理店に勤務。現在はフリーライター。小説は本書がデビュー作」と記している。
  2. http://homepage1.nifty.com/shanghai/diary2010.html の 2010/08/09 の記述、『TOKON10 Official Souvenir Book』(第49回日本SF大会 TOKON10 実行委員会)からの引用部分を参照のこと。小谷は東大SF研立ち上げメンバーでもあり、1960年代後半頃のことである。実は現在一般によく使われる「ハチャメチャ」のほうが、この「ハチャハチャ」からの転だという。
  3. なお、この雑誌『星雲』の創刊者は矢野徹であり、彼が若くして渡米した際に、大変アッカーマンの世話になっている。そのため、この『星雲』は、矢野徹が「日本にもようやくSF専門雑誌ができました!」として、アッカーマンに郵送・プレゼントした品であった可能性が高いと思われる。
  4. 横田(2011)、p.22