横川駅 (広島県)

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横川駅(よこがわえき)は、広島県広島市西区横川町三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・広島電鉄である。

広島電鉄の駅は「駅」も正式電停名に入り、横川駅電停(よこがわえきでんてい)となる。

乗り入れ路線

JR西日本の駅には、当駅を所属線[1]とする山陽本線と、当駅を起点とする可部線が乗り入れる。 可部線は線路名称上は当駅を起点とするものの、全列車が隣の広島駅まで乗り入れる。

広島電鉄の駅には、横川線が乗り入れる。系統上7号線・8号線が乗り入れる。

駅構造

JR西日本

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島式ホーム2面4線と単式ホーム1面1線の合わせて3面5線を持つ地上駅

駅舎は南側と北側にある。2003年平成15年)落成の南口の駅舎は地上に、1949年昭和24年)に落成し2003年(平成15年)に改装された北口の駅舎は高架下にある。コンコースには、改札口が南北2か所、みどりの窓口が南口(5:30 - 23:00)・北口(5:30 - 23:00)にある。また、デイリーイン(キオスクのコンビニ)もある。コンコースから各ホームへはエレベータが設置されている。

直営駅西広島駅の被管理駅)で、ICOCA(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)が利用可能。また、JRの特定都区市内制度における「広島市内」の駅である。 北口は、以前はジェイアール西日本広島メンテックに委託していたが、2011年4月1日より同様に委託していた西広島駅(西口)と共に直営化された。

駅舎の西側には、南北連絡用の自由通路トンネルが設けられている。(深夜は閉鎖)

JRの乗車券には信越本線にある横川駅(こちらは「よこかわ」と読む)と区別するため、(陽)横川と表記している。

横川駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 テンプレート:Color山陽本線 下り 宮島口岩国方面
2 (山陽本線中線、予備ホーム)
3 テンプレート:Color山陽本線 上り 広島三原方面 山陽本線岩国方面から
5 テンプレート:Color可部線 下り 緑井可部方面
6 テンプレート:Color可部線 上り 広島・三原方面 可部線可部方面から
  • 2番線は定期での旅客列車の発着はないが、ダイヤ混乱時に使われることがある。
  • 駅構内には日本初のバス(再現車)と、それに関する展示がある。
  • かつては2・3番線ホームと5・6番線ホームの間に横川電車区の線路があったが現在は撤去されている。
  • 2010年(平成22年)3月13日より、可部線下り方面行きホームが5番ホーム(それ以前は4番ホーム)に、可部線上り方面行きホームが6番ホーム(同5番ホーム)に、それぞれ改称された。
  • 5~6番線から山陽本線に向かう線路が単線化する為に可部線上下列車が横川駅で待ち合わせする状況が多発していたが、これを改良する為に可部線列車の山陽本線上下線同時進入出を可能にする為の配線変更工事中であり、2015年(平成27年)春完成予定である[2][3]。それに伴い3番線東側が北に約1m移動し、同時に3番ホームが拡幅された。同工事中に2番ホームの岩国方面側に停止位置目標が新たに設置された。線形改良工事に合わせて、駅舎北口側で耐震補強工事も同じく2015年(平成27年)春完工予定で行われている。

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広島電鉄

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JR横川駅広場内東側にある。大屋根が電停を覆うようにあり、雨の日でも濡れずにJR横川駅へ乗換えができるようこちらも屋根がついている。

両のりばとも、7号線広電前行きおよび8号線江波行き電車が停車する。これは、1つの列車が横川駅電停を境に7号線と8号線を交互に運転すること(俗に三角運用と呼ばれている)があるためである(一部時間帯を除く)。横川駅電停にはほとんどの場合単車が乗り入れているが、朝夕ラッシュ時には連接車の乗り入れも設定されている。朝ラッシュには係員が案内をするが、広島駅のような集札員を配置した集札業務はひろしまフラワーフェスティバルのような大規模イベント開催時でないとおこなわれない。尚、2013年2月より新型車両(1000形)が導入された事により一日7・8号線合わせて24往復の設定がある。

横川駅電停直前の国道上にクロスオーバー線路を敷き、両ホームにおける入線と出発を可能にしている。

なお、2003年3月26日までは、横川駅前交差点の東側に1面1線の片面ホームの形で存在していた(白島電停と同じような構造)。

運行系統

1番、2番のりば 7号線 広電前ゆき
8号線 江波ゆき

駅風景等

利用状況

JR横川駅

以下の情報は、広島市統計書及び広島市勢要覧に基づいたデータである。

年度 1日平均
乗車人員
1日平均
降車人員
1947年(昭和22年) 7,305 -
1948年(昭和23年) 10,182 -
1949年(昭和24年) 8,291 -
1950年(昭和25年) 7,103 -
1951年(昭和26年) 6,671 6338
年度 1日平均
乗車人員
年度毎
乗客数
年度毎
降車数
年度毎
発送貨物(t)
年度毎
到着貨物(t)
1952年(昭和27年) 6,399.9 2,335,973 - - -
1953年(昭和28年) 5,783.5 2,110,993 - - -
1954年(昭和29年) 5,507.1 2,010,079 - - -
1955年(昭和30年) 5,265.8 1,927,269 - - -
1956年(昭和31年) 5,528.9 2,018,060 - - -
1957年(昭和32年) 5,714.4 2,085,762 - 26,555 71,997
1958年(昭和33年) 5,788.1 2,112,673 2,088,830 23,865 76,418
1959年(昭和34年) 5,957.8 2,180,562 2,169,209 23,145 81,463
1960年(昭和35年) 6,100.3 2,226,625 2,208,286 21,173 78,671
1961年(昭和36年) 5,529.2 2,018,167 1,982,341 28,733 79,054
1962年(昭和37年) 5,319.8 1,941,711 1,916,864 19,584 79,354

以上の1日平均乗車人員は、年度毎乗客数を365(閏年が関係する1955・1959年は366)で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。

年度 1日平均
乗車人員
年度毎
総数
定期券
総数
普通券
総数
年度毎
発送貨物(t)
年度毎
到着貨物(t)
1963年(昭和38年) 5,598.3 4,097,931 3,344,314 753,617 - -
1964年(昭和39年) 6,056.7 4,421,401 3,582,862 838,539 18,678 74,153
1965年(昭和40年) 6,834.2 4,988,954 4,017,120 971,834 13,859 66,023
1966年(昭和41年) 6,750.0 4,927,474 4,018,480 908,994 7,687 68,158
1967年(昭和42年) 6,776.8 4,960,623 3,954,334 1,006,289 10,407 76,459
1968年(昭和43年) 6,165.1 4,500,533 3,469,088 1,031,445 - -
1969年(昭和44年) 5,967.8 4,356,463 3,356,418 1,000,045 - -
1970年(昭和45年) 6,209.4 4,532,835 3,375,512 1,157,323 - -
1971年(昭和46年) 6,305.2 4,615,424 3,352,004 1,263,420 - -
1972年(昭和47年) 6,423.2 4,688,907 3,233,512 1,455,395 - -
1973年(昭和48年) 7,306.5 5,333,770 3,408,290 1,925,480 - -
1974年(昭和49年) 8,239.1 6,014,529 3,711,488 2,303,041 - -
1975年(昭和50年) 9,767.1 7,149,491 3,741,790 3,407,701 - -
1976年(昭和51年) 9,539.1 6,963,513 4,030,328 2,933,185 - -
1977年(昭和52年) 9,278.5 6,773,331 3,986,980 2,786,351 - -
1978年(昭和53年) 9,353.8 6,828,295 4,135,530 2,692,765 - -

以上の1日平均乗車人員は、乗車数と降車数が同じであると仮定し、年度毎総数を365(閏年が関係する1963・1967・1971・1975年は366)で割った後で、さらに2で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にしたものである。

年度 1日平均
乗車人員
1979年(昭和54年) 8,894
1980年(昭和55年) 8,889
1981年(昭和56年) 8,811
1982年(昭和57年) 8,875
1983年(昭和58年) 8,977
1984年(昭和59年) 9,285
1985年(昭和60年) 9,860
1986年(昭和61年) 10,299
1987年(昭和62年) 12,200
1988年(昭和63年) 12,582
1989年(平成元年) 13,309
1990年(平成2年) 14,478
1991年(平成3年) 15,301
1992年(平成4年) 16,312
1993年(平成5年) 16,942
1994年(平成6年) 16,386
1995年(平成7年) 15,624
1996年(平成8年) 15,524
1997年(平成9年) 15,131
1998年(平成10年) 14,949
1999年(平成11年) 14,868
2000年(平成12年) 14,679
2001年(平成13年) 14,384
2002年(平成14年) 14,283
2003年(平成15年) 15,001
2004年(平成16年) 15,875
2005年(平成17年) 16,499
2006年(平成18年) 16,714
2007年(平成19年) 17,168
2008年(平成20年) 17,562
2009年(平成21年) 17,696
2010年(平成22年) 17,635
2011年(平成23年) 17,751
2012年(平成24年) 17,856
乗車数グラフ

500px

JRの駅としては広島市の中心である紙屋町に最も近いため、もともと通勤客の利用が多かったが、2003年(平成15年)の広島電鉄7号線運行開始以来、顕著に増加の趨勢がみられる。広島市街地にあるが広島駅との距離は3kmあり、JRがアストラムライン交点となる中間に駅を設置すべきとの声もある(白島新駅を参照のこと)。

広島電鉄でのJRとの乗換客数は5,000人となっている[4]

駅周辺

南口

北口

  • 広島市立三篠小学校
  • 長崎病院…昭和20年8月6日の原爆投下時、横川駅の陰になったため、奇跡的に軽微な損害で済み、被爆者の救護拠点として機能したことで知られる。( 平成26年2月3日,広島市西区横川新町3-11

へ移転。)

バス路線

広島地区のバス路線は、基本的に、市内線(主に旧市内(中区西区南区の3区と東区の一部)だけを走る路線)と郊外線広島バスセンターまたは広島駅・八丁堀と旧市内の外を結ぶ路線)に大別され、これらはバス停も別々になっている。

横川駅においても、市内線は南口ロータリー内、郊外線は国道183号2008年(平成20年)4月1日に道路管理者が国土交通省から広島市に移管されたことに伴い、国道54号から変更された)上と分かれて設置されている。ただし、広島駅と違い、横川駅では可部街道を通る広島電鉄広島交通のバスはロータリーに入らない。

なお、郊外線バス停の市内線乗り場としての名称は、上りが「横川3丁目」、下りが「横川1丁目」と同じバス停に「横川駅前」バス停乗り場が併設されている。

※上記のほか、Jリーグサンフレッチェ広島の試合がある日には広島ビッグアーチ行きシャトルバスが発着しており、2008年(平成20年)現在、ビッグアーチ行きシャトルバスの唯一の発着場となっている。

  • 郊外線上りバス停(駅東方、広島信用金庫横川支店向かい)
  • 郊外線下りバス停(駅南方の寺町通り沿い、元「むさし横川店」前)

歴史

ファイル:Kabe line Moha91002 at Yokogawa Station.jpg
1938年、横川駅でのモハ91002。同車はこの7年後に同駅ホームで原爆投下により駅舎とともに大破、翌年廃車される。広浜鉄道の電車#被爆、その後を参照。
ファイル:Hiroshima City Map 1945.jpg
1945年米軍作成の広島市地図。"Yokogawa Station"表記。

国産乗合バス発祥の地

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JR西日本

  • 1897年明治30年)9月25日 - 山陽鉄道 広島駅 - 徳山駅間延伸時に開業。一般駅
  • 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道が国有化国有鉄道の駅となる。
  • 1909年(明治42年)
    • 10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
    • 12月19日 - 大日本軌道広島支社線(後の可部線)の横川停留場が開業。
  • 1919年大正8年)3月11日 - 大日本軌道広島支社線が可部軌道へ譲渡され、横川停留場も同社の停留場となる。
  • 1926年(大正15年)5月1日 - 可部軌道が広島電気に合併され、横川停留場も同社の停留場となる。
  • 1931年昭和6年)7月1日 - 広島電気線が広浜鉄道へ譲渡され、横川停留場も同社の停留場となる。
  • 1933年(昭和8年)4月20日 - 広浜鉄道の横川停留場が駅に昇格、横川町駅に改称。
  • 1936年(昭和11年)9月1日 - 広浜鉄道が国有化、国有鉄道可部線となる。横川町駅を横川駅に統合。
  • 1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により、駅舎全壊など大きな被害を受ける。
  • 1962年(昭和37年)10月1日 - 経路変更に伴い、可部線ホームが現在地に開業。
    • 移転前までは、山陽本線と可部線を結ぶ跨線橋はなく、乗り換えは改札口を出て可部線専用改札口から入る必要があった。
  • 1980年(昭和55年)9月24日 - 車扱貨物の取扱を廃止(旅客駅となる)。
    • 駅西側、山陽本線と可部線に挟まれた場所に、有蓋車用の車扱貨物ホームが存在した。
  • 1986年(昭和61年) - みどりの窓口営業開始。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
  • 2003年平成15年)8月23日 - 新駅舎完成。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 北口をジェイアール西日本広島メンテックに業務委託。
  • 2007年(平成19年)
  • 2010年(平成22年)3月13日 - 可部線下り方面行き4番ホームが5番ホームに、可部線上り方面行き5番ホームが6番ホームに改称。4番は欠番になった。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - ジェイアール西日本広島メンテックに駅業務を委託していた北口を直営化。
  • 2013年(平成25年)4月 - 可部線線形改良工事起工[2]
  • 2014年(平成26年)2月 - 可部線線形改良工事に伴う3番ホーム拡幅。

広島電鉄

  • 1917年(大正6年)11月1日 - 広島瓦斯電軌(広島電鉄の前身)横川線開業。現在の横川駅付近に横川駅前電停、その先に三篠(みささ)電停が設置される。
  • 1926年(大正15年)頃 - 三篠電停が横川電停に改称。
  • 1941年(昭和16年)7月28日 - 横川駅前電停廃止。
  • 1951年(昭和26年)7月19日 - 軌道を70m短縮し、横川電停を移設。移設前は横川駅前交差点東の道路上の1面1線の上り下り併用電停であった[5]
  • 2001年(平成13年)11月1日 - 横川電停を横川駅電停に改称。
  • 2003年(平成15年)3月27日 - 現在地に移転。

隣の駅

西日本旅客鉄道
テンプレート:Color山陽本線
テンプレート:Color快速「通勤ライナー」(広島方面のみ運転)・テンプレート:Color普通
広島駅 - (白島駅(仮称)) - 横川駅 - 西広島駅
テンプレート:Color可部線(広島駅 - 横川駅間は山陽本線である)
広島駅 - (白島駅(仮称)) - 横川駅 - 三滝駅
  • なお、呉線に直通する普通列車の一部は広島駅以東で快速となる。
広島電鉄
横川線
テンプレート:Color7号線・テンプレート:Color8号線
横川一丁目電停 - 横川駅電停

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考書籍

  • 各 広島市統計書
  • 各 広島市勢要覧

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Navboxテンプレート:可部線

テンプレート:広島電鉄横川線
  1. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite news
  3. テンプレート:Cite web
  4. 鉄道ピクトリアル 2000年7月号 臨時増刊号【特集】路面電車〜LRT
  5. テンプレート:Cite web