椎名素夫

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:政治家 椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 2007年3月16日)は、日本政治家実業家物理学者衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)を務めた。

父は自由民主党副総裁外務大臣通商産業大臣を歴任した椎名悦三郎

来歴・人物

東京都文京区出身。旧制府立高等学校を経て1953年名古屋大学理学部物理学科を卒業。電源開発に入った後、アメリカアルゴンヌ国立研究所に入所する。帰国後、精密機械メーカーサムタクを設立し、自ら取締役に就任した。1979年、父・椎名悦三郎の引退に伴い、第35回衆議院議員総選挙旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選する。なお悦三郎は、この選挙戦の最中の9月30日に死去した。当選後は椎名派が解散したこともあり無派閥となった。

自民党国際局長を務めた他、リチャード・アーミテージ元国務副長官やビル・ブラッドレー元上院議員ら、アメリカの政界に知人が多い知米派・国際派であり、中曽根康弘首相・ロナルド・レーガン大統領の所謂「ロン・ヤス会談」の成功にも貢献した。

1990年第39回衆議院議員総選挙で落選。1992年第16回参議院議員通常選挙岩手県選挙区から出馬し、当選。1993年に自民党を離党する。同年夏に発足した細川内閣には好意的であり、後継の羽田内閣組閣時には経済閣僚候補に椎名の名前が挙がるも、入閣は実現しなかった。

1995年に無所属の参議院議員を糾合し、田英夫らと院内会派「参議院フォーラム」を結成。1997年には自由の会に所属する。1998年参議院議員に2期目の当選。1999年無所属の会結成に参加し、その後同会代表を務めた。2004年に政界を引退する。

雑誌「中央公論」などに外交評論を執筆するなど言論活動もおこなった。

2007年3月16日肺炎のため死去。テンプレート:没年齢

元駐タイ大使・外交評論家の岡崎久彦とは旧制高校旧制府立高校)の同級生。

表彰歴など

  • 2003年 米国務長官特別功労賞(米国人以外では2人目、日本人では初)
  • 2003年 紫色大綬景星勲章(台湾

著書


先代:
結成
田名部匡省
テンプレート:Flagicon 無所属の会代表
初代 : 1999 - 2001
第3代 : 2003 - 2004
次代:
田名部匡省
解散
先代:
徳田虎雄
テンプレート:Flagicon 自由の会代表
第5代 : 1997
次代:
徳田虎雄

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