森崎浩司
テンプレート:Ambox-mini テンプレート:サッカー選手 森崎 浩司(もりさき こうじ、1981年5月9日 - )は、日本のプロサッカー選手。広島県広島市安芸区矢野出身。Jリーグのサンフレッチェ広島所属。ポジションはミッドフィールダー。広島県立吉田高等学校卒業。
人物
- プレースタイル
- 精度の高い左足からのミドルシュートや前線への飛び出しが得意なゲームメイカー。トップ下やフォワード、ボランチ、左アウトサイドなどができる。広島ではセットプレーも任される。[1][2][3][4]
- 2004年5月5日J1・1st第8節対セレッソ大阪戦(長居スタジアム)にて初アベックゴール(48分和幸、89分浩司)を達成。Jリーグにおいて同じチームに所属する兄弟が、同一試合でアベックゴールを達成した例は森崎兄弟と山瀬功治/山瀬幸宏兄弟(2007年に達成)、高木俊幸/高木善朗兄弟(2010年に達成)の三組のみ。
- 2007年から公式用ユニフォーム背番号の下に「KOJI」と下の名前が入るようになった。兄の和幸のほうは「KAZU」。 世代別の代表の公式戦では、名前のイニシャルが和幸、浩司ともに「K」のため、仕方なくユニフォームには「MORISAKI」とだけ記されていた。
- 6億を呼ぶ男[6]
- 2008年度のスポーツ振興くじで1等6億円4口が2回発生した。その2回の共通点として、森崎浩が2節共に得点を挙げていることから、夕刊フジが同年9月9日付けの記事で「6億を呼ぶ男」として紹介した。
来歴
地元矢野小学校で兄・和幸と共に小学2年からサッカーをはじめる[1]。山出久男から指導を受け、小学6年次に兄と共に全日本少年サッカー大会に出場している[7]。佐藤康之・皆本勝弘は矢野中学校の先輩[8]。矢野中学校からサンフレッチェ広島ユースへ入団。同級生は、兄・和幸、駒野友一、久保田学。木村孝洋から指導を受けた。攻撃的なMF・左アウトサイドとして活躍した。1999年高校3年次には2種登録選手となり、Jサテライトリーグでのパフォーマンスがエディ・トムソン監督に認められ、同年11月20日にガンバ大阪戦に初ベンチ入りした[注 2]。
2000年にサンフレッチェ広島に入団、同期入団は、和幸、駒野、八田康介、松下裕樹、山形恭平、中山元気[1][5]。骨折など怪我が多く、同年代の選手よりもなかなか出場機会が与えられなかった。翌2001年Jリーグ初得点試合で2ゴールを上げている[9]。2002年になりA契約選手に移行、主力として絡めるようになる[10]。
年代別代表では、2001年に和幸および駒野とともに、西村昭宏率いるワールドユースU-20日本代表に選出されて出場[9]。その後山本昌邦率いる五輪代表に選出され、2003年のアテネ五輪予選、2004年のアテネ五輪本戦では左アウトサイドのレギュラーとして出場した。[1][3][11]
一方広島では小野剛監督の下、2003年からJ2に降格すると移籍した藤本主税の代わりとして攻撃的なMFとして活躍[12]、同年末のJ1昇格に貢献した。以降も中心選手として活躍するも、2002年から続く年代別代表とJ2昇格争い、アテネ五輪と精神的に厳しい戦いが続いたため、2005年の春先にバーンアウト症候群にかかっている[13]。以降控えに回り[2]、怪我や守備面からなかなか信頼を得ることが出来なかったが2006年ミハイロ・ペトロヴィッチに監督が代わってから信用を得て[14]、中盤の中心選手として活躍している[15]。
2008年末ごろからオーバートレーニング症候群の傾向が見られるようになり、2009年1月28日に公式発表、同年8月にチーム合流、同年11月に実戦復帰した[16]。
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2000||rowspan="15"|広島||22||rowspan="3"|J1||4||0||2||0||0||0||6||0 |- |2001||15||2||2||1||0||0||0||3||2 |- |2002||rowspan="13"|7||22||6||5||0||4||1||31||7 |- |2003||J2||37||10||colspan="2"|-||4||3||41||13 |- |2004||rowspan="4"|J1||25||7||3||0||1||0||29||7 |- |2005||14||1||5||0||0||0||19||1 |- |2006||30||4||5||3||2||1||37||8 |- |2007||32||2||6||0||5||3||43||5 |- |2008||J2||40||14||colspan="2"|-||4||1||44||15 |- |2009||rowspan="6"|J1||3||0||0||0||0||0||3||0 |- |2010||27||3||3||1||0||0||30||4 |- |2011||30||5||2||0||1||0||33||5 |- |2012||28||7||5||2||1||0||34||9 |- |2013||6||1||0||0||0||0||6||1 |- |2014|||||||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始223||38||37||6||14||5||274||49 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行77||24||colspan="2"|-||8||4||85||28 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終300||62||37||6||22||9||359||77 |} その他の公式戦
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2008年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2013年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2010||rowspan="4"|広島||rowspan="4"|7||4||1||colspan="2"|- |- |2012||colspan="2"|-||3||0 |- |2013||1||0||colspan="2"|- |- |2014||||||colspan="2"|- |- !通算!!colspan="2"|AFC |5||1||3||0 |}
出場歴
- アンダーカテゴリー
- 全日本少年サッカー大会(1993年)
- 全国中学校サッカー大会 ベスト16
- Jユースカップ 準優勝(1997年)
- 国民体育大会広島県代表(1998年、1999年)
- クラブチーム
- 公式戦初ベンチ入り 1999年11月20日 J1・2nd第13節対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- プロ初ベンチ入り 2000年5月20日 J1・1st第14節対鹿島アントラーズ戦(広島ビッグアーチ)
- 公式戦初出場 2000年6月28日 ナビスコカップ2回戦第1戦対横浜F・マリノス戦(三ツ沢公園球技場)
- 先発出場、61分藤本主税と途中交代
- リーグ戦初出場 2000年7月15日 J1・2nd第4節対横浜F・マリノス戦(三ツ沢公園球技場)
- 59分森崎和幸に代わり途中出場
- 初得点 2001年9月29日 J1・2nd第7節対アビスパ福岡戦(博多の森球技場)
- 62分藤本主税に代わり途中出場、63分、88分2ゴール
タイトル
クラブ
- サンフレッチェ広島
- Jリーグ ディビジョン1:2回(2012年、2013年)
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2008年)
- ゼロックススーパーカップ:2回(2008年、2013年)
代表歴
- アンダーカテゴリー
- U-18日本代表(1999年)
- U-19日本代表(2000年)
- イランアジアユースU-20日本代表(2000年)
- アルゼンチンワールドユースU-20日本代表(2001年)
- アテネオリンピックU-23日本代表(2004年)
注釈
- ↑ 似ているためよく勘違いされるが、二卵性双生児である。簡単な見分け方として、左利きで鼻の下にホクロがない方が弟の浩司、右利きでホクロがある方が兄の和幸。
- ↑ この試合には兄の和幸がチーム史上初高校生Jリーガーとして、リーグ戦初出場している
出典
関連情報
- CM出演
- 洋服の青山(2004年、森崎和幸と共演)
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navboxes- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 5.0 5.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 9.0 9.1 テンプレート:Cite web
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