森の石松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Redirect

森の石松(もりのいしまつ、生年月日不明 - 1860年7月18日万延元年6月1日))は、清水次郎長の子分として幕末期に活躍したとされる侠客。出身地は三州半原村(後の愛知県新城市富岡)とも遠州森町村(後の静岡県周智郡森町)とも伝えられるが定かでない。浪曲では「福田屋という宿屋の倅」ということになっている。森の石松の「森」とは森町村のことである。半原村説では、半原村で生まれたのち、父親に付いて移り住んだ森町村で育ったという。

なお、現在語り継がれている石松は、清水次郎長の養子になった天田五郎の聞き書きによって出版された『東海遊侠伝』に因るところが大きく、そこに書かれて有名になった隻眼のイメージは、同じく清水一家の子分で隻眼の豚松と混同していた、または豚松のことを石松だと思って書かれたとも言われており、石松の人物像はおろか、その存在すら信憑性が疑われている。しかし、「遠州っ子」(1980年ひくまの出版・刊)の森の石松にまつわる記事には、出所後の晩年を興業主として相撲や芝居などの開催を仕切っていた清水次郎長と会った事のあるという人が、次郎長が森の石松の事を聞かれて涙したと語っていた事などの記述があるため、森の石松が実在の人物なのか、それとも空想上の人物なのか、ますます判らなくなっている。

略歴

孤児となった石松は侠客の森の五郎に拾われて育てられた。侠客同士の喧嘩から上州(後の群馬県)で人を斬り、次郎長に匿われて その子分となった。酒飲みの荒くれだが義理人情に厚く、どこか間が抜けており、温泉地の賭場で いんちきサイコロを使って100両儲けたと思ったら翌日以降300両負けて次郎長の湯治費を丸ごとスッてしまい、仲間から「馬鹿は死ななきゃ直らない」とからかわれた、といった愛すべきキャラクターとして講談や浪花節(浪曲)にも数多く登場する。

病で妻に先立たれたばかりの次郎長と共に宿敵を討ち果たし、親分の御礼参りの代参で金刀比羅宮へ出掛けた帰路、方々から預かっていた次郎長への香典を狙った侠客の都田の吉兵衛(都田は後の静岡県浜松市北区都田。講談や浪花節では「都鳥」とされる)に、遠州中郡(後の静岡県浜松市浜北区小松と思われる)にて騙し討ちに遭い、斬られて死亡した。吉兵衛は翌1861年(万延2年)、次郎長によって討ち果たされる。

史料

石松のことを伝える史料の代表格は、一時期次郎長の養子であった天田五郎(ペンネーム:山本鐵眉。後に出家し天田愚庵と号した)が1884年(明治17年)に出版した『東海遊侠伝』であり、以降の中島儀市『明治水滸伝清水次郎長の伝』(1886年(明治19年)出版)や村松梢風(森町出身)が1920年(大正9年)頃 雑誌『騒人』に連載した「正伝清水次郎長」をはじめとする伝記の殆どのルーツと言ってよい。

講談や浪花節

一方、講談や浪花節に描かれる石松や次郎長は、彼らの仲間であり後に旅講釈師となった清竜が講談師の三代目神田伯山に金銭と引き換えにネタとして提供したものが元であり、さらに浪曲師の二代目広沢虎造が伯山の講談を採録して脚色し浪花節とした[1]

虎造の十八番の一つ「石松三十石舟」の中で石松が、たまたま舟に乗り合わせて石松の名と噂を懸命に思い出そうとしている旅人に「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」と勧める有名な台詞は虎造の創作である。その後、実はその江戸っ子はその人が石松である事に気づいており、「馬鹿は死ななきゃ直らねぇ!」と石松をからかう。後世、1980年代にシブがき隊が歌って一世を風靡した「スシ食いねェ!」(作詞:S.I.S岡田冨美子、作曲:後藤次利)はこの曲からヒントを得たとも言われるが、本来の浪花節の台詞はあくまで「寿司を食いねぇ」である。

なお、神田伯山の元ネタには、石松が大阪の本町橋付近の八軒店(はっけんだな)で押し寿司を買う件があるため、金比羅に行く舟の中で神田生まれの江戸っ子に食べるよう勧めた寿司は大阪の押し寿司であり、江戸前寿司ではない。

静岡県周智郡森町にある大洞院[2]曹洞宗)のものが有名だが、他にも墓とされるものは複数あり、どれが正墓が定かではない(因みに大洞院のものは やくざであるという理由から寺の敷地内ではなく、門前に建てられている)。石松の墓石の欠片を持っているとギャンブルに強くなるという俗信があり、大洞院の石松の墓は何度も作り直されている。現在建っている物はアフリカ産の極めて硬い石材を使用している。盗まれた墓石が天竜川の河原で 発見され大騒ぎになったというエピソードも残っている。

題材となった作品

映画

  • 「清水の次郎長」(1938年、東宝) - 森の石松:大村千吉
  • 「エノケンの森の石松」(1939年、東宝) - 森の石松:榎本健一
  • 「森の石松」(1949年、松竹) - 森の石松:藤田進
  • 「殴られた石松」(1951年、新東宝) - 森の石松:田崎潤
  • 「清水次郎長伝」(1952年、新東宝) - 森の石松:田崎潤
  • 「唄祭り清水港」(1952年、松竹) - 森の石松:大木実
  • 「次郎長一家罷り通る」(1953年、松竹) - 森の石松:堺駿二
  • 「次郎長三国志 第二部 次郎長初旅」(1953年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長三国志 第三部 次郎長と石松」(1953年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長三国志 第四部 勢揃い清水港」(1953年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路」(1953年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家」(1953年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長三国志 第七部 初祝い清水港」(1954年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊」(1954年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り」(1955年、日活) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長遊侠伝 天城鴉」(1955年、日活) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長意外伝 灰神楽の三太郎」(1957年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「次郎長意外伝 大暴れ三太郎笠」(1957年、東宝) - 森の石松:森繁久彌
  • 「森の石松」(1957年、大映) - 森の石松:勝新太郎
  • 「次郎長外伝 石松と追分三五郎」(1957年、松竹) - 森の石松:北上弥太朗
  • 「清水港の名物男 遠州森の石松」(1958年、東映) - 森の石松:中村錦之助
  • 「暴れん坊森の石松」(1959年、東宝) - 森の石松:フランキー堺
  • 「次郎長富士」(1959年、大映) - 森の石松:勝新太郎
  • 「森の石松幽霊道中」(1959年、東宝) - 森の石松:フランキー堺
  • 「大暴れ森の石松」(1959年、東宝) - 森の石松:フランキー堺
  • 「続 次郎長富士」(1960年、大映) - 森の石松:勝新太郎
  • 「森の石松鬼より恐い」(1960年、東映) - 森の石松:中村錦之助
    • 現代の舞台演出家(演:中村錦之助)が江戸時代にタイムスリップして森の石松になる、という異色の作品。
  • 「ひばりの森の石松」(1960年、東映) - 森の石松:美空ひばり
  • 「次郎長血笑記 秋葉の対決」(1960年、第二東映) - 森の石松:品川隆二
  • 「次郎長血笑記 殴り込み道中」(1960年、第二東映) - 森の石松:品川隆二
  • 「次郎長血笑記 富士見峠の対決」(1960年、第二東映) - 森の石松:品川隆二
  • 「次郎長血笑記 殴り込み荒神山」(1960年、第二東映) - 森の石松:品川隆二
  • 「大笑い次郎長一家 三ン下二挺拳銃」(1962年、新東宝) - 森の石松:柳沢真一
  • 「ジェリーの森の石松」(1963年、東映) - 森の石松:ジェリー藤尾
  • 「次郎長三国志」(1963年、東映) - 森の石松:長門裕之
  • 「次郎長三国志 甲州路殴り込み」(1965年、東映) - 森の石松:長門裕之
  • 「次郎長青春篇 つっぱり清水港」(1982年、松竹) - 森の石松:島田紳助
  • 「次郎長三国志」(2008年、角川映画) - 森の石松:温水洋一

テレビドラマ

アニメ

パチスロ

楽曲

関連項目

外部リンク

脚注

テンプレート:Reflist
  1. 一方、伯山から直に教わったものは、二代目玉川勝太郎が得意とし、現在も玉川門下に継承されている
  2. テンプレート:Citenews