桜餅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

桜餅(さくらもち)は、にちなんだ和菓子。桜とは桜ので、餅とは餅菓子の事で、よく知られる代表的なものはを葉で包んだ和菓子の一つである。塩漬けで香る桜の葉を用いる。雛菓子の一。春の季語である。

典型的なもの

「桜餅」という名称が指すものは地域・人によって異なる。

長命寺
関東の名物であり長命寺桜餅とも言い表している。関西山陰での異なる名は長命寺餅。関西では桜餅とは異なった物とすることもある。
道明寺
関東での違う桜餅の呼び名。関東と山陰での異なる名は道明寺餅。

 場合によっては「関東風」「関西風」あるいは「江戸風」「上方風」という呼び名で区別されることもある。

長命寺、江戸風

長命寺(ちょうめいじ)は、塩漬けの桜の葉を用いた、江戸に発祥した桜餅。伝統で典型的なものの一つ。東京隅田川向島にこの桜餅を作り始めたといわれる同名の寺がある。

長命寺の姿と形は、

  • 一、葉は一枚から三枚ほど用いている。
  • 一、餅の生地は皮を焼いた物。
  • 一、は濾し餡を用いている。
  • 一、皮は多くは二つ折り、他に円筒型、殊に袱紗折りもある。
  • 一、中身を葉で被うか皮に沿う葉で包んでいる。
  • 一、小麦粉を水で延べて熱し固めた生地を作り、餡種を挟んだ生地に桜の葉を被った構成テンプレート:要出典

作製の仕方

材料は塩漬けの桜の葉、生地に使用する粉、小豆。粉は小麦粉であればよいが、白玉粉餅粉を加えるか、または上新粉でもよい。これに砂糖、小麦粉に味甚粉上南粉等を調製する。桜の葉を水に漬けておき、葉の塩を除く。生地の粉を餅粉や白玉粉から少しずつ水と合わせて置く。溶いた生地を薄く延ばして熱する。熱した後荒熱をとるように冷ます。焼き加減は周囲の水気が取れて乾く程度に、餅がしっとり仕上がるようにする。小豆の餡を丸めて、焼いた皮で包む。桜の葉を取り出し、真水で洗う。桜の葉を餅の表に巻くようにして付ける。色粉は粉の時点で混ぜておくと色が均等に出る。古い作り方としては、餅を桜の葉で包み、蒸籠で蒸すのというものもある。

歴史、起源

桜餅は、山本新六が隅田川の土手の桜の葉を用いて作ったのがはじまりであるという。山本新六は下総国銚子に住んでいたが、元禄四年(1691年)より長命寺で門番をつとめていた。享保二年(1717年)、江戸向島長命寺の門前にて売り出したところ、付近の隅田堤に将軍吉宗の台命による桜が植えられ、花見客で賑わいおかげで繁盛した。寺の来参者をもてなす手製の茶菓子を作り、桜の落葉をみて桜餅を作ることを思い付いたという。露店での販売のみならず、文化の頃までに長命寺の内に桜餅屋を構えて盛況になったようである。明治大正期の書物『紫草』には長命寺の桜餅は文化(1804-1818年)のころ作り始めたと記してある[1]

「去年甲申一年の仕込高、桜葉漬込卅壱樽、但し一樽に凡そ二万五千枚程入、葉数〆七拾七万五千枚なり、但し餅一に葉弐枚宛なり、此餅数〆卅八万七千五百、一つの価四文宛……年中平均して一日の売高四貫三百五文三分宛なり」『兎園小説』(文政八年、1825年)

兎園小説は奇聞珍説を集めた江戸後期の随筆で、一年の仕込高が葉数七十七万五千枚、餅数三十八万七千五百とある。江戸時代において、長命寺の桜餅は一個四文であった。正確に現在の価格に換算することは難しいが、米の価格から換算した場合は約63円、大工の賃金から換算した場合は約322円である[2][3]

記録によると、製法にはいくぶんの変化があったようである。

近年隅田川長命寺の内にて櫻の葉を貯へ置て櫻餅とて柏餅のやう
に葛粉にて作るはしめハ粳米にて製りしがやがてかくかへたり

」『嬉遊笑覧巻十上 飲食』(文政十三年、1830年)[4]

上の紫草の記述では、粳米が餅米になっている。

 桜餅はさまざまな絵画や詩文にも登場する。二代目歌川広重画・喜翁(三代目歌川豊国)筆「江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅」(元治元年、1864年)には、桜咲く墨堤を背景に、二人の女性が竿の中心に桜餅の袋を提げて歩く姿が描かれている。正岡子規は長命寺境内の山本屋の二階に泊まっていた際、「花の香を若葉にこめてかぐはしき桜の餅(もちひ)家づとにせよ」(明治二十一年、1888年、七草集)という歌を詠んでいる。

分布

東北地方太平洋側および秋田県)、関東甲信地方静岡県島根県鳥取県へ分布している。

日本の地域区分の一覧藩の一覧令制国一覧

桜餅長命寺が伝わった場所の分布
  • 関東甲信地方
  • 東北地方(福島県、宮城県、岩手県、青森県旧南部藩地域、秋田県)
  • 静岡県、長野県
この地方は長命寺の分布の外縁部にあたる。
局所で伝えられた所もある。松平不昧が山陰へ江戸より長命寺を持ち込んだといわれる。

道明寺、上方風

道明寺(どうみょうじ)は、道明寺粉を用い、桜の葉で包む桜餅。京都の茶店や和菓子店でよく見られるとして京風桜餅とも呼ばれるもの。伝統で典型的なものの一つ。大阪府藤井寺市に材料の道明寺粉の由来にもなったという同名の寺がある。

ファイル:Sakuramochi.jpg
桜餅道明寺、上方風桜餅。

道明寺の姿と形は、

  • 一、葉は一枚か二枚ほど用いている。
  • 一、餅は玉状から扁平なかたち。
  • 一、餅は弾力と粘りがある。
  • 一、餅の表は粒味のあるかたち。
  • 一、餅を葉の筋に沿って包んでいるか両方から葉を合わせて被せている。
  • 一、道明寺粉を蒸して餅を作り、これにを詰め、桜の葉に包んだ構成テンプレート:要出典

作製の仕方

材料は塩漬けの桜の葉、道明寺粉、小豆の糯米を浸け置き、水切り蒸し上げ、天日干しして乾いたら石臼などで挽いて砕く、粒の大きさで道明寺餅の食感は変わるがこれで道明寺粉が出来る。葉の塩は水で抜く。水を吸わせた道明寺粉を蒸し上げる。砂糖は蒸した後で混ぜるか、水に溶いて吸わせる。餅を平らに広げて餡を詰め形を整え、桜の葉で包む。色粉は粉か砂糖水と混ぜる。

歴史、起源

長命寺がもとといわれる[5]。似たものには椿餅がある。

分布

北海道東北地方日本海側)、中部地方北陸地方愛知県岐阜県)、関西地方以西に分布している。

日本の地域区分の一覧藩の一覧令制国一覧

桜餅道明寺が伝わった場所の分布
  • 近畿地方、北陸地方、中国地方、四国地方、九州地方
北前船で北方へ伝えられた。
  • 関東甲信地方、静岡県
この地域では長命寺を「桜餅」と呼称し、道明寺は「道明寺」と呼称される。
ただし、以下の場所は除かれる。
この地方は長命寺が伝わったところである。

現在の桜餅

現在の「桜餅」と呼ばれるものには、上に記したような伝統的なもの以外にもいくつかヴァリエーションがある。

長八さくらもち
長八さくらもちは、桜の葉の産地である伊豆で作られる桜餅。米粉と餅粉で作った皮で粒餡を大福のように包んだものと、上新粉の皮でこしあんを二つ折りに包んだものの2種類がある。いずれも伊豆で作られた塩漬けの桜の葉を2枚用いて中身をほぼ完全に包んでいるのが特徴である。
ひとひら桜餅
ひとひら桜餅は、鎌倉の二つ折りの桜餅である。

材料について

桜の葉

桜の葉は香りを移すもの、葉で包むと包んだ物の乾燥を防ぐものである。葉がやわらかく毛が少ないオオシマザクラの葉を塩漬けにして使う。この塩漬けの桜の葉は、全国シェアの70%ほどが伊豆半島松崎町で生産されている。餅の大きさとの外観上のバランスから、関東では大きめの葉、近畿では小さめの葉を好んで使う傾向がある。

桜餅の独特の芳香は、この桜の塩蔵葉に含まれる香り成分のクマリンによる。桜餅は桜の葉を取り外して食べても、そのまま食べても良いが、肝毒性を持つクマリンは食品添加物としては認められていないので[6][7]、美味とはいえ極端に摂食しすぎることには注意が必要である。

なお1970年代頃から、ビニール製の人造品の葉とクマリン以外の香料を使用した桜餅も作られている。

餅、粉、餡の所見

  • 桜餅の材料の白いもち米からは白い餅ができるが、桜色はもとの色でなく後から付けているものもある。
  • 家庭等で材料を調えるのが難しい場合、もち米を硬めに炊くことでも代用される。
  • 九州ではもち米の炊いたもので作られることがある。
  • 道明寺粉は高価なので、道明寺粉を用いて作られたもののほうが高価な場合が多い。
  • 最近では漉し餡を用いているが、かつては粒餡を関西で、漉し餡を関東で用いていた。

古典

  • 長命寺の人気にならって大坂では北堀江の土佐屋に天保の頃に現れたという[8]
  • 茶湯献立指南(元禄九年、1696年)
  • 男重宝記
男重宝記(元禄六年、1693年)に「桜餅」とあるところに桜の五弁の花びらを模した桜餅の図が載っていて、その傍らに「中へあん入れる」と記されている[9]。この図はこなしあるいは練り切りと似ている。
  • 桔梗屋菓子目録
南方熊楠によれば、桜餅の知られている出現は天和三年(1683年)である。太田南畝の著「一話一言」に登場する京菓子司、桔梗屋の河内大掾が菓子目録に載せたという[10]。天和三年には桔梗屋菓子目録が出版され[11]、また京菓子司・桔梗屋の河内大掾が江戸に店舗を構えた[12]。これは蒸菓子であり、後の世の物とは別の物のようである。

脚注

テンプレート:Sister テンプレート:脚注ヘルプ

テンプレート:Food-stub