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'''桂 文朝'''(かつら ぶんちょう)は、[[落語家]]の[[名跡]]。東西の落語界で確認出来る限りでは当代は5代目であるが、2代目もしくは3代目の説もあり代数は不詳である。当代の死後は空き名跡となっている。 東西で確認できる文朝の名。 #'''桂 文朝'''([[1901年]] - [[1931年]][[12月6日]]) - [[桂文楽 (5代目)|5代目桂文楽]]の門人。 #'''桂 文朝'''([[生没年不詳]]) - [[1948年]]の名簿に見える。詳細不明。本名は倉木利三郎。 #'''桂 文朝'''(生没年不詳) - [[上方落語|上方]]では『落語系圖』には[[桂文治 (7代目)|7代目桂文治]]の門に見える。 #'''桂 文朝'''([[1856年]] - [[1924年]][[4月9日]]) - 後の[[桂文團治#3代目|3代目桂文團治]]。 ---- 2代目'''桂 文朝'''(かつら ぶんちょう、[[1942年]][[3月31日]] - [[2005年]][[4月18日]])は、[[東京都]][[新宿区]]生まれの[[落語家]]。本名、田上 孝明(たがみ たかあき)。[[落語協会]]に所属。主に[[古典落語]]を演じた。[[出囃子 (落語)|出囃子]]は『外記猿』。 *[[1952年]]7月 - [[桂小南 (2代目)|2代目桂小南]](当時は[[山遊亭金太郎]])に入門。前座名は'''山遊亭タア坊'''。 *[[1955年]] - [[三遊亭金時|山遊亭金時]]に改名。 *[[1959年]]1月 - 二ツ目昇進。'''桂小西'''(前年に師匠は小南を襲名した為改名)に改名。 *[[1970年]]4月 - 真打昇進。2代目桂文朝を襲名。 *[[1975年]] - [[芸術祭 (文化庁)|文化庁芸術祭]]優秀賞を受賞。 *[[1978年]] - [[日本放送演芸大賞|放送演芸大賞]]落語部門賞を受賞。 *[[1984年]]1月 - [[桂文生]]、[[桂南喬]]とともに[[落語芸術協会]]を脱退し、落語協会に移籍。 *[[2005年]] - [[癌]]のため死去。享年63。<!-- 後輩のブログにて「国立がんセンターで永眠」とあることから、癌であると考えるのが妥当であろう。なお、死因は公にされていない。 --> ==出典== *諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』[[平凡社]]、ISBN 458212612X {{DEFAULTSORT:かつら ふんちよう02}} [[Category:1942年生]] [[Category:2005年没]] [[Category:落語の名跡|かつら ふんちよう]] [[Category:落語家]]
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