板沢峰生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 板沢 峰生(いたざわ みねお、1961年7月4日 - 1980年12月3日)は、千葉県東葛飾郡流山町(現:流山市)出身のプロ野球選手内野手)。

来歴・人物

1978年我孫子高校2年の時、当時1年生であった和田豊と三遊間を組んで甲子園に出場。

1979年、チームメイトの仲野和男外野手と共に、ドラフト外で西武ライオンズに入団。1年目の1980年、イースタン・リーグで打率.238、2本塁打、9打点の成績を残し、守備でも堅実なフィールディングを見せ注目されていた。

同年12月3日、実家である流山市に帰省中、急性心不全のために逝去。将来を嘱望されていた若手現役選手の突然の死に、西武は1981年以降板沢の入団10年目に当たる1989年に至るまでの9年間、背番号59を欠番とした。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 59 (1980年)

関連項目