東京宝塚劇場

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「アーニー・パイル劇場」時代

東京宝塚劇場(とうきょうたからづかげきじょう、英語Tokyo Takarazuka Theater)は、東京都千代田区有楽町にある東京宝塚ビルの1~6階部分にある劇場である。宝塚歌劇団の東京での本拠地である。

沿革

阪急電鉄小林一三が設立した株式会社東京宝塚劇場(現在の東宝)によって、1934年1月1日に開場した。

第二次世界大戦中は、日本劇場とともに風船爆弾工場として使用された。一方で、戦争が終わるとGHQにより接収された(1945年12月24日-1955年1月27日)。異文化の国に駐留する兵士達の慰問を目的としたアーニー・パイル劇場 (Ernie Pyle Theatre) と改称、日本人は観客としての立入が禁止された。アーニー・パイルという名前は1945年4月18日沖縄県伊江島の戦闘で殉職した従軍記者に因んだものである。

開場以来使われてきた旧劇場は、関東大震災の復興期におけるモダニズム建築の傑作のひとつに数えられていたが、老朽化のため1997年12月29日に一旦閉場し、翌1998年1月から建替え工事を開始、2001年1月1日に新築オープンした(改築中、宝塚歌劇は2ヶ月間帝国劇場で公演を行い、その後TAKARAZUKA1000days劇場開場と共に東京通年公演を開始した)。

2011年3月3日、2001年1月1日のリニューアルオープン以来の来場者数が1,000万人を達成し、記念セレモニーが執り行われた。リニューアルオープンから10年間の通算公演回数は約4,800回、通算客席稼働率は100%以上となっている[1]

概要

建替え前の劇場は東宝直営で、商業演劇、歌手芝居、ミュージカル等東宝演劇の中心地として機能しており、本来メインとなる宝塚歌劇は年数回(改築前数年間は年7ヵ月)の公演だった。1956、57、59、61~72年はNHK紅白歌合戦の会場としても使用、またマリオ・デル=モナコティート・ゴッビの共演で知られる第2回NHKイタリア歌劇団での『オテロ』の公演もここで行われた。なお、五階の小劇場は演芸の「東宝名人会」が常時催され、戦後東宝演芸場と改称、選りすぐられた寄席芸人を一堂に揃えた、東京演芸界の殿堂であったが1980年8月に閉鎖した。代わりに日劇から日劇ミュージックホールが移転した。

建替え後、東宝は大家の立場に回り、阪急電鉄に賃貸され名実共に「東京における宝塚歌劇団の専用劇場」として再出発を図っている。宝塚歌劇団の公演を目的としているため、舞台のサイズ、設備等のシステムは、宝塚大劇場と同等になっているが、客席数ではこちらが約500席少くなっている。

改築に当たり、支配人に元花組トップ甲にしきこと小川甲子が起用された。宝塚大劇場・東京宝塚劇場ともにその管理・運営・製作は、阪急電鉄より分社化した宝塚舞台が行っている。

交通アクセス

脚注

  1. 東京宝塚劇場開場10周年 ご来場者1,000万人達成(宝塚歌劇団公式ページ、2011年3月4日)

関連項目

外部リンク

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