朝日姫

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朝日姫(あさひひめ、天文12年(1543年) - 天正18年1月14日1590年2月18日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。豊臣秀吉の異父妹(小和田哲男は同父妹と主張している)。徳川家康正室継室)。名は、末津ともいわれる。家康との結婚後は駿河御前と呼ばれた。

生涯

天文12年(1543年)、父は竹阿弥、母は大政所の娘として誕生。

尾張国の農夫のもとに嫁ぐが、織田氏に仕えた秀吉の出世とともに夫が武士に取り立てられたとされている。天正14年(1586年)、兄・秀吉が徳川家康を懐柔するために強制的に夫と離縁させられ、家康の継室として嫁がされた。その後、天正16年(1588年)に母大政所の病気の見舞いを理由に上洛し、そのまま京都の聚楽第に住む。

晩年は病気がちで、天正18年(1590年)に死去した。法名は南明院殿。墓所は京都市の東福寺南明院。同院に肖像画が所蔵されている。また、静岡市瑞龍寺に供養塔がある。

なお、前夫については「佐治日向守」と「副田甚兵衛吉成」という名が伝わり、最初の夫であった佐治日向守の死後に織田家臣だった副田吉成に嫁いだとされるが、相互に矛盾するさまざまな伝承が存在する。要するに、天正14年以前の朝日の経歴については「ほとんど何もわからない」というのが現在の歴史学研究の到達水準である。

演じた人物

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参考文献

  • 杉山博・渡辺武・二木謙一・小和田哲男編『豊臣秀吉事典 コンパクト版』 新人物往来社、2007年。ISBN 978-4-404-03468-7
  • 小和田哲男『豊臣秀吉』中央公論社〈中公新書〉、1985年。ISBN 978-4-121-00784-1

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