文民統制

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文民統制(ぶんみんとうせい、シビリアン・コントロールテンプレート:Lang-en-short)は、文民政治家軍隊を統制するという政軍関係における基本方針である。政治軍事に優先することを意味する。文民(テンプレート:Lang-en-short)の語意を明確にする意図から政治統制(テンプレート:Lang-en-short)の表現が用いられる事がある。また、文民優越(テンプレート:Lang-en-short)とも言う。

概要

文民統制・シビリアンコントロール(Civilian Control Over the Military)とは民主主義国における軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的統制をいう。すなわち、主権者である国民が、選挙により選出された国民の代表を通じ、軍事に対して、最終的判断・決定権を持つ、という国家安全保障政策における民主主義の基本原則である[1]。 軍については、一般的に最高指揮官は首相大統領とされるが、これは、あくまでも、軍に対する関係であって、シビリアン・コントロールの主体は、立法府国会議会)そして究極的には、国民である[2]。このため、欧米では、その本質をより的確に表現するPolitical Control(政治的統制)、あるいは、民主的統制・デモクラティックコントロール(Democratic Control Over the Military)という表現が使われることが、より一般化しつつある。

民主主義国において、戦争平和の問題は、国民の生命・身体の安全・自由に直結する、最も重要な問題であり、であるからこそ、主権者である国民が、国民の代表を通じて、これを判断・決定する必要がある[3]

シビリアンコントロールにおいては、職業的軍事組織は軍事アドバイスを行い、これを受けて国民の代表が総合的見地から判断・決定を行い、その決定を軍事組織が実施するということが原則となる。国防安全保障政策の基本的判断や決定は、選挙で選出された国民の代表が行う。これは、彼らが軍人より優秀ということではなく、国民の代表という正当性を体現するからである。そして、何よりも国民の代表は、国民に対し説明責任を持ち、したがって、国民は、彼らの決定に不服があれば、選挙を通じて彼らを排除出来るからである。

シビリアンコントロールの下、法の支配民主主義の政治過程を尊重する観点から、軍事組織の構成員は、あくまで軍事の専門家としての役割に特化し、政治判断に敢えて立ち入らないとされる。軍事組織は、予断を行わず正確に情報を開示し、国会(国民)に判断・決定を仰ぎ、国会(国民)の決定を確実・正確に執行する役割に特化する。兵は任官において議会や大統領(元首)などに、あるいは立法および国民に対する忠誠の宣誓が求められる。

一般に、軍事的組織構成員も、国民の一人として投票権を行使する。しかしながら、シビリアン・コントロールの下、軍事的組織は政治的中立性、非党派性を保つべきものとされ、軍事的組織構成員が政治的活動を行い、政治的意思表明を行う場合には、まず軍務を辞するべきものとされる[4][5][6][7]

日本の現状

日本において、シビリアンコントロールとは、軍事的組織構成員には発言権が無いこと、と一般的に理解されているが、自衛隊は「軍」ではないとの建前から政軍関係に関する議論が乏しく[8]、実態は、軍事的組織の予算、人事、そして行動につき、その「最終的な」命令権が、軍事的組織そのものにはなく政府議会にあることが制度的に保障されている状態をいう、との理解にとどまっている。このため、現に防衛政策の形成と決定に際し、軍事の中枢たる統合幕僚監部及び陸海空幕僚監部が、防衛省内局と共に大きな役割を担っている。しかしながら、シビリアン・コントロールの観点からは、軍の役割・任務など、防衛政策の基本的問題は、立法府国会)を中心としたオープンな国民的議論により、判断・決定されなければならない[9]。オープンな国民的議論を通じて形成された広範な国民的合意に基づいてこそ、防衛政策は正当性を持ち、またそのより有効な実施が保障される。

また、シビリアンコントロールにおける「シビリアン」とは、日本語訳で文民、つまり一般国民代表たる政治家のことを指すのであり、防衛省の事務官(背広組)を含めた官僚のことを指すわけではない[10]。 元来、政治(選挙等による選抜)・行政(専門試験・能力による選抜)という二分論の下では、軍人(自衛官)も事務官も共に行政の領域に属する以上、民主主義を制度化する国家においては、双方とも政治による民主的な行政統制の下に置かれるべきものである。しかしながら、かねてから日本の防衛省(庁)においては、防衛大臣(庁長官)の下に、防衛参事官がおかれ、「防衛省の所掌事務に関する基本的方針の策定について防衛大臣を補佐する」という大きな権限が与えられてきた[11]。そして、官房長・局長は防衛参事官をもって充てるものとされ[12]、幕僚監部が作成する諸計画に対する指示・承認、並びに、幕僚監部に対する一般的監督について、防衛大臣を補佐する権限を与えられてきた[13]。周知の通り、戦後日本においては、行政事務の分担管理原則の下で、行政官庁としての各省大臣に担当行政事務に関する大きな決定権が内閣制度上与えられていたにもかかわらず、実態としては、政務次官制度の非機能化、更に55年体制において派閥均衡に基づく短期ローテーション人事が慣習化するという「軽くて薄い大臣」運用がなされてきた。この為、文民統制を実質化させる為にも「軽くて薄い大臣」の周囲を「固める」必要があったわけであるが、その「固め役」として政治任用された者を就任させるのではなく、高級事務官を就任させるという制度化がなされたのが、上述した防衛参事官制度である。この意味において、防衛省(庁)の高級事務官には、行政官の枠を超えた極めて政治的な役割が、実態面のみならずそもそも制度的にも期待されており、逆にいえば、そこには「政治」家たる大臣が「行政」官たる高級事務官を行政統制する、という発想は見られなかった。このため、制度的・慣習的に内局が幕僚監部より優位に立ち、いわゆる「文官優位」、ないし「文官統制」の傾向を持つとの指摘がある[14][15][16]

2013年、文民統制の象徴とされてきた官僚による運用企画局を廃止し、自衛隊運用を幹部自衛官で構成された統合幕僚監部に一元化する方針が決定した。これにより自衛隊の運用は政治家・官僚ではなく全て制服組の管轄となる[17]。この方針に対しては文民統制からの逸脱も指摘されている[18]

分類

ハーバード大学サミュエル・P・ハンティントンによれば、この文民統制にも大きく2つの形態が存在する。第一に「主体的文民統制」であり、文民の軍隊への影響力を最大化することによって、軍隊が政治に完全に従属させ、統制するというものである。しかしこれは政治家が軍事指導者である必要があるため、軍隊の専門的な能力を低下させることになり、結果的に安全保障体制を危うくする危険性がある。もう一方に「客体的文民統制」がある。これは文民の軍隊への影響力を最小化することによって、軍隊が政治から独立し、軍隊をより専門家集団にするというものである。こうすれば軍人は専門化することに専念することができ、政界に介入する危険性や、軍隊の能力が低下することを避けることができる。また現代の戦争は非常に高度に複雑化しているため、専門的な軍人が必要である。

文民とは

「文民」という語は日本国憲法を制定する際に造られた言葉である。制憲議会では、第9条に関して芦田修正が行なわれたが、この修正により自衛(self-defence)を口実とした軍事力(armed forces)保有の可能性がある[19]と危惧を感じた極東委員会が、芦田修正を受け入れる代わりにcivilian条項を入れるように求めた。しかし当時の日本語にはcivilianに対応する語がなかったため、貴族院の審議では、「現在、軍人ではない者」に相当する語として、「文官」「地方人」[20]「凡人」などの候補が挙げられた。「文官」では官僚主義的であるとされ、「文民」という語が選ばれた。なお丸谷才一は『文章読本』のなかで「文民」の訳語が生硬であり、内容・定義も曖昧であると批判している。

第二次世界大戦以前には軍人が内閣総理大臣を務めることが多々あり、その反省から現行の日本国憲法第66条第2項には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と規定されている。

一般的な「文民」は、「一般市民」、「文官(一般公務員警察官を含む)」、「非戦闘員銃器を所持しない者)」のニュアンスを持ち、「軍隊(現在の日本においては防衛省自衛隊)の中に職業上の地位を占めていない者、もしくは席を有しない者」を指すと考えられる。

日本での文脈でいう「文民統制」とは、「軍人以外の人間」、具体的には「一般市民の代表である政治家」を指しており、軍務文官である「防衛省の官僚(通称「背広組」)」は、自衛隊法上の自衛隊員であり、国家公務員法第2条第3項第16号の規定に基づいて特別職の国家公務員とされている[21]

なお、過去の日本において「文民」と言う場合に「旧職業軍人の経歴を有しない者」と規定するか、あるいは、「旧職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義的思想に深く染まっている者でない者」とするか、については、意見が分かれていた時代もある(1965年昭和40年)5月31日衆議院予算委員会 高辻正己内閣法制局長官答弁など)。かつて野村吉三郎(元海軍大将、太平洋戦争大東亜戦争)開戦時の駐米大使)の入閣が検討されたこともあったが、「文民」規定の問題から断念している。その後、元自衛官永野茂門(終戦時は職業軍人)が法務大臣になった時や元自衛官の中谷元森本敏が防衛閣僚(防衛庁長官・防衛大臣)となった時にも問題視する意見が出た。ただしこの見解は国際的な基準があるわけではなく、例えば米国国防長官も文民であることが条件であるが、退役してから10か年が経過すると文民として扱われる。また、英国では、文民かつ政治家(=国会議員)であることを要する。森本敏については非国会議員であったため、国会議員の地位をもたない者が防衛大臣に就任することは文民統制の理念に反するのではないかとの指摘が出た[22]

歴史的経緯

歴史上多くの貴族などの支配者は政治家であると同時に軍人でもあった。軍事力を常に掌握しておくことが、政治的権力の維持のためにも必要であり、また外交が発展する近代までは安全保障の重要性が今以上に高かったためであると考えられる。また軍隊の組織も発展途上であり、軍事戦略作戦戦術に関する理論体系も整っておらず、兵器も原始的なものであったために専門的な知識・技能がなくとも作戦部隊の指揮官としての仕事がこなせたことも大きな要因である。

しかし、近世以降戦争が高度化・複雑化してくるとともに軍事に関して専門的な知識・技能を持つ人材の確保が軍隊の急務になってきたため、高度な専門知識・技能を習得した職業軍人が中枢を占めるようになってきた。それと同時に、まだ当時は軍隊に残っていた王族や貴族といった政治家勢力を軍隊から排除することが軍隊の指揮統率の合理化の上で必要である、ということが職業軍人たちから主張されるようになり、軍事の政治との分離が進んだ。これが軍隊の専門化を進め、現代の文民統制の基本形となっている。

欧州

文民統制は17世紀から18世紀イギリスにおいて登場した。中世国王の軍事力乱用やクロムウェルの独裁政治の影響から国王の常備軍を危険視する声が高まり、議会と国王の権力闘争が行われた中、1688年名誉革命と翌年の権利章典によって、議会が軍隊を統制することによって国王の権限を弱体化させようとした。しかし議会はその意思決定に多大な時間がかかり、また軍事に関する決定事項は膨大であるために軍隊の仕事がしばしば滞り、結局後に議会は軍隊の指揮監督権を国王に返還した。1727年責任内閣制が発足して陸軍大臣が選ばれたが、軍隊の総司令官の人事権と統帥権は国王にあったため、陸軍大臣は軍事政策に関する権限のみ委託されており、二元的な管轄が残っていた。

本格的に政軍関係問題が浮かび上がったのは19世紀に入り、プロフェッショナル将校団が台頭してきたことに起因する。プロイセン王国の将校であったカール・フォン・クラウゼヴィッツが、自著『戦争論』のなかで、「政治が目的であって戦争は手段である」と述べて政治の軍事に対する優越を論じ、その上で「戦争がそれ自身の法則を持つ事実は、プロフェッショナルの職業軍人に外部から邪魔されずにこの法則にしたがって専門技術を発展させることが認められることを要求する。」として軍事専門家組織としての軍隊の確立を要求した。これが現代の文民統制の原型である。また同時に効率的に軍事を政治の統制下におくために、「武官を入閣させるべきである」と論じた。しかしクラウゼヴィッツの理論は後世の研究者たちによって「政治を軍事行動に奉仕させるために、武官を入閣させるべきである」と誤解された。

第二次世界大戦時は、ドイツ国防軍は文民統制に従い、国民によって選ばれた文民であるヒトラー総統の統制下で戦うことを余儀なくされた。ドイツ国防軍の軍人達は、敗戦間際に於いて指導力が著しく低下していたヒトラーに見切りをつけヒトラー暗殺未遂事件を引き起こすなど文民統制に叛くことがしばしばあった。一方、イタリア軍は文民統制に従い国民によって選ばれた文民であるベニート・ムッソリーニ首相の統制下で戦った。

米国

米国は軍隊を創設した当初から強力な常備軍を持たないことを掲げ、その統帥権を伝統的に文民政治家に委ねてきた。独立戦争においてワシントンが最高指揮官となり、南北戦争においてもリンカーンが戦争指導を行った。合衆国憲法においては大統領は軍隊の最高指揮官であると定めており、大統領が軍隊を統帥し、軍隊の維持および宣戦布告は議会の権限であると定めていた。そのために第二次世界大戦時のアメリカ合衆国においては文民統制が機能しており、フランクリン・ルーズベルト大統領は、ウィリアム・リーヒ統合参謀本部議長との協議を通じて戦争指導を行った。

朝鮮戦争時においては、国連軍の司令官であったダグラス・マッカーサーが軍事的合理性から、核兵器の使用を含めた中華人民共和国への攻撃を示唆した。これに対し、トルーマン大統領は、中国への攻撃は、軍事面からは必要かもしれないが、全体的な国際情勢の観点から不利益となりうると考え、マッカーサーと意見が対立したために彼を罷免した。

ベトナム戦争において現地の総司令官ウェストモーランドは「政治がガイダンスを示さないために軍人が政治に介入せざるを得なかった」として国家戦略の不在のために軍事作戦の目的が曖昧化していたと述べており、また当時のアメリカ第7空軍司令官は政府の指令を30回も破っていたことに示されるように、常に文民統制が効率的に機能していたわけではない。

日本

戦前・戦中

戦前の日本においてはドイツを参考にして陸海軍の統帥権天皇にあると帝国憲法で定められ、統帥権は独立した存在であった。帝国憲法における内閣と議会は天皇の補弼と協賛のための機関であり、文民統制の基礎としては非常に危ういものであった。日本の政軍関係はロンドン海軍軍縮会議における統帥権干犯問題に見られるように、たびたび政治と軍事の乖離が問題となった。ゴーストップ事件のようなささいな事件においても政軍関係が問題となり、また民族主義の青年将校団が、五・一五事件二・二六事件を起こすと、軍は天皇の大権にのみ服し、文民政治に従属しない実態が露呈した。

1937年(昭和12年)支那事変日中戦争)の発生に伴って大本営が設置されたが、大本営の頂点は天皇であり首相ではなく、また議会や内閣は関与しなかった。政軍関係は大本営政府連絡会議を設置して維持され、天皇・政府首脳の意向に沿って政府方針の範囲内で軍事戦略を組み立てる体裁をとった。太平洋戦争(大東亜戦争)中の1944年には、陸軍大臣東條英機及び海軍大臣嶋田繁太郎がそれぞれ参謀総長軍令部総長を兼任した。東條・嶋田両名が現役軍人であったことをもって、統帥権の暴走とする論もあるが、正しくは政府と統帥の一体化・政府の指導性確保を図ったものである。実際、陸海軍大臣が総長を兼職したものであり、当時から既に、軍政軍令の混淆は違憲であるとの批判が根強くあった。なお、この体制はサイパン島陥落によって東條の人気が下がると真っ先に槍玉に挙げられ、東條内閣の末期には陸相と参謀総長、海相と軍令部総長は再び分離された。その後の小磯内閣鈴木貫太郎内閣でも陸海軍大臣と総長の兼任は実現していない。

戦後

戦時中の反省から、日本国憲法第66条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定されているため、歴代の内閣総理大臣や国務大臣には文民が就任している。現職の自衛隊員自衛官を含む)が就く事は認められない。

なお、自衛官、防衛大学校・防衛医科大学校及び高等工科学校生徒の宣誓には「政治的活動に関与せず」の文言がある。

戦後日本のシビリアンコントロールは旧内務官僚主体の防衛庁内局が軍国主義復活を抑えるために、旧陸海軍出身者主体の陸・海・空幕僚監部を押さえ付けて管理・統制する「文民統制」ならぬ「文官統制」と揶揄されるような状態が長く続いていた。

旧内務官僚(警察官僚)出身で、後に防衛事務次官を務めた丸山昂は防衛庁のシビリアンコントロールについて、防衛庁内局の高官でありながら批判的に見ており、「(旧内務官僚は)軍国主義を押さえるのは俺たちだという、そういう意気込みを持って入ってきたのじゃないかな。たとえば、制服を呼んで、星の数が多い制服を前に立たせておいて、こっちは机の上に足をのせて聞くとかね。それが内局のコントロールなのだ、というふうに取られておった。」と述べている。また、当時の防衛庁内局が制服組を押さえる事だけに腐心し、本来力を入れるべき課題である日米防衛協力・日米共同作戦に関しての内容が丸山曰く「何もない、空っぽ」なまま放置され、日米間の協議から防衛庁が締め出される形で外務省が主導して行われていた事に関して危機感を抱いていた[23]

三島由紀夫は『』において、自衛官らに対し、「諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない」と述べている。

社会主義諸国

マルクス・レーニン主義的理解において、文民統制は共産党の指導に軍が従うことを意味し、党の政治的決定あるいは政治的目的実現のため、軍は党に服属するものとされる(多くの社会主義国の憲法には「共産党の指導的役割」が明記されている)。そのため政治将校制度のような党の指導性が確実に実施される仕組みが整えられていた。

ソ連軍の最高司令官はソ連共産党書記長であり、書記長は軍事だけでなく、経済などあらゆる政治的な権限を持っていた。また、党書記長は国防会議の議長も兼ねていた[24]

中国人民解放軍の最高司令官は中国共産党中央軍事委員会主席であり、政府・党の最高指導者が就くポストとみなされている。

一方で朝鮮民主主義人民共和国では、軍が党や政府に対して優越するという先軍政治の理念が掲げられている。

必要性

シカゴ大学のジャノヴィッツ教授は適切な文民統制の必要性・役割を政軍関係における軍隊への有効性と有事即応性の判断、国際情勢への対応度、市民と軍務との関係の程度を決定することにあると論じた。また適切な文民統制ために文民は以下のことを行うべきであると述べた。

  1. 軍事目標を実行可能なものに限定すること。
  2. 政治目的と合致した軍事ドクトリンを形成すること。
  3. 軍隊における専門性および専門的自尊心をより高めること。
  4. 民主的政治制度の正統性の気風を高めること。

以上に基づいて文民政治家が軍隊の仕事を真に理解してその責任を評価することと軍人が認識することによって政治の統制に従うのであると結論している。

民主体制との整合

政治家は選挙により国民の信託を受けており、政治家が失敗をしたとしても、その政治家を選んだ国民にも責任があるといえる。余りにも戦争指導が酷ければ議会によって不信任を突き付けられるか、選挙で落選するであろう。しかし、軍人は国民に選挙で選ばれたわけではない、ただの官吏である。 クーデターなどの手段で軍人が政権を握り、政治指導を失敗した場合、国民は自分たちが選んだわけでもなく替える手段もない指導者のために大災厄をこうむる事になる。国民が主権者である民主国家では文民統制の維持は政軍関係の原則であって、民主国の軍人は政治や外交に干渉せず、国民が選挙で選んだ政治家の指導に服し、軍務に精励することが求められる。

逆に、五・一五事件の時、大衆から将校たちへの寛恕を求める請願があり、結果として甘い処分で済ませたことが軍紀を緩ませ、軍人の驕慢を許して二・二六事件につながった。政治家は軍人の反乱に対しては断固として鎮圧し、徹底して調査し処分して軍部独裁を阻止する事が正しいという主張もある。

帝国憲法下の選挙制度においては職業軍人及び召集された者は選挙権(及び被選挙権)が停止されていた[25]。戦後においては自衛官もまた大衆であり国民であって、一般に兵もまた政治的意見を表明することを妨げられることはないが、任官にさいして議会や元首、立法や国民に対して行った忠誠の宣誓にもとづく統制を受ける。石破茂によれば、政治には党派性が、思想には排他性がつきものであり、実力部隊である軍がこれに関与することは少数派への弾圧、少数意見の抑圧という民主主義にとっての根幹に関わる重大な影響を及ぼす、それゆえに幅広い思想を学び政治的中立を保つ努力が必要であり、突き詰めれば政治に関わらず軍務に精励することが必要なのであるとする[26]

国家戦略性

政治家は軍事に素人であるが、軍人は政略・外交また特に近代戦を遂行するについて不可欠な経済・産業・財政について素人であり、戦争が外交の延長である以上、戦争の大局判断、政略・戦略・外交、そして開戦と講和については政治家が最終的に判断を下すべき事項である。文民統制を確立することは、戦争の大局を左右する段階での軍人の独断や(ただし、切迫した状況下での現場指揮官の即断は、事前に示された範囲においてある程度認められている)、クーデターなどに歯止めを掛ける上で極めて有効な方法であり、政治家と軍隊の腐敗や癒着を避ける意味でも極めて重要な制度である。

文民統制と公務員の政治的行為

日本では軍事官僚と一般職国家公務員は同等の政治的行為が禁止されている[27]が、法的規制の経緯についてはそれぞれの歴史的背景やその合意・導入の経緯が異なっている。

現行国家公務員制度においては、一般職政治的行為が広範に禁止・制限されている。これは米国のハッチ法(Hatch Political Activities Act,1939,as Amended)を導入したもので、当初制定された国家公務員法(昭和22年法律第120号)は、寄付金等の要求等の行為のみに限り政治的行為を制限し、その違反行為に対する罰則規定も定めていなかった。のち「二・一ゼネスト」など官公庁の労働運動の高まりを受けた連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー芦田均首相宛てに書簡を送り、国家公務員法の全面的改正を指示した経緯によるものである(⇒政治的行為:沿革の項参照)。一方政軍分離を目的とした日本国憲法第66条の文民規定は、極東委員会の要請でGHQから強い要求があり憲法草案に追加されたという経緯による。

政府職員の政治的中立性の議論は19世紀になされ、米国では1877年ヘイズ大統領の行政命令に端を発し、クリーブランド大統領の1877年の行政命令、T・ルーズベルト大統領の1907年6月3日の行政命令に受け継がれた。やがて1930年代のニューディール政策以降、行政機関と職員数、その権限が急激に拡大したことを背景に1939年のハッチ法制定に到った[28]

関連項目

脚注

  1. 米国ノース・カロライナ大学のリチャード・コーン教授によれば、シビリアン・コントロールの定義は、“In the theory and concept, civilian control is simple. Every decision of government, in peace and in war -- all choices about national security -- are made or approved by officials outside the professional armed forces: in democracies, by civilian officials elected by the people or appointed by those who are elected. In principle, civilian control is absolute and all-encompassing. In principle, no decision or responsibility falls to the military unless expressly or implicitly delegated to it by civilian leaders.”とされる。 Kohn, Richard H. 1997. “An Essay on Civilian Control of the Military”. 参照。(http://www.unc.edu/depts/diplomat/AD_Issues/amdipl_3/kohn.html ) なお、Kohn, Richard H. 1997. “How Democracies Control the Military”, Journal of Democracy, October 1997, Volume 8, Number 4.参照。
  2. ”Civilian control allows a nation to base its values, institutions, and practices on ‘the popular will’ rather than on the choices of military leaders, whose outlook by definition focuses on the need for internal order and external security.” Richard Kohn, “How Democracies Control the Military”, the Journal of Democracy, Vol.8, No.4, October 1997, p.141
  3. テンプレート:Cite book
  4. ハンチントンによると、“The concept of an impartial, nonpartisan, objective career service, loyally serving whatever administration or party was in power, became the ideal for the military profession.” Huntington, Samuel. P. 1957. The Soldier and the State: The Theory and Politics of Civil-Military Relations. Cambridge, MA, and London: Belknap Press of Harvard University Press., Chapter 9: The American Military Profession, p.259.とされ、 また、ノース・カロライナ大学のコーン教授によると、“Therefore civilian control requires a military establishment trained, committed, and dedicated to political neutrality, that shuns under all circumstances any interference with the constitutional functioning or legitimate process of government, that identifies itself as the embodiment of the people and the nation, and that defines into its professionalism unhesitating loyalty to the system of government and obedience to whomever exercises legal authority.”Kohn, Richard H. An Essay on Civilian Control of the Military. 1997(http://www.unc.edu/depts/diplomat/AD_Issues/amdipl_3/kohn.html )とされる。
  5. 歴史的に軍隊や警察機構においては結社の自由団結権は公務員に対する規制のなかでも特に強く法的に否定されている。
  6. 自衛隊員の政治的行為については厳格に禁止されている。たとえばテレビやラジオ、公衆の面前などで公に政治的目的を有する意見を述べることは自衛隊法61条および自衛隊法施行令86条、87条(注:これは国家公務員法第102条第1項、人事院規則14-7(政治的行為)第6項11とほぼ同等の規定)により禁止されている。(⇒政治的行為)
  7. 政治的意見表明の可否に関連した具体的議論の一例として、たとえば、日本における議論として、第12回自衛隊員倫理審査会議事録[1]、あるいは、アメリカにおける議論として、”Military Folks and Politics: What You Can and Cannot Do” by Rod Powers (http://usmilitary.about.com/cs/militarylaw1/a/milpolitics.htm )参照。
  8. 防衛政策過程に関しては、いわゆる文官優位について実証的に研究した、『戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる政治・外交・軍事』中島信吾(慶應義塾大学出版会、2006)、あるいは、文民統制の形骸化・空洞化を指摘した、『官僚と軍人』広瀬克哉(岩波書店、1989)などの先駆的研究がある反面、防衛政策過程を実証的に分析し、ここにどのような統制を加えることが必要なのかということを、政治過程、政策過程、行政過程に即し、実態的に検討する議論は、学会・実務双方において必ずしも十分ではなかった。
  9. “Congress and its committee system remain fundamental sources of information on which public discussion of military affairs must be based.” Janowitz, Morris, 1960. The Professional Soldier: A Social and Political Portrait. (New York and Glencoe, IL: Free Press), p.350.
  10. 「シビリアン」とは、文民統制の文脈で使われるとき、一般的(広義)には「軍人ではない者」の意味であり、さらに民主主義諸国に関して使われる場合、「選挙で選ばれた国民の代表(政治家)」の意味となる。”The term ‘civilian’ on the other hand, merely refers to what is nonmilitary.” Huntington, Samuel. P. 1957. The Soldier and the State: The Theory and Politics of Civil-Military Relations. Cambridge, MA, and London: Belknap Press of Harvard University Press., Chapter 4, p.89、サミュエル・P・ハンティントン、『軍人と国家』、第4章、原書房、1979年、参照。また、”In theory, civilian control is simple: All decisions of government, including national security, are to be made or approved by officials outside the professional armed forces, in democracy, by popularly elected officeholders or their appointees.” Kohn, Richard H. 1997. “How Democracies Control the Military”, Journal of Democracy, October 1997, Volume 8, Number 4, p.142.参照。
  11. 防衛省設置法7条2項。
  12. 防衛省設置法9条2項。
  13. 防衛省設置法12条。
  14. 文民統制は、本来、政治と軍事の間に成り立つ関係であるにもかかわらず、戦後日本では、防衛政策過程が「文官優位」、すなわち官僚と軍人の間で展開されてきた、との指摘について、廣瀬克哉『官僚と軍人』岩波書店、1989 p.263 参照。「文官優位」は、政治的責任を持たない職業的文官による統制を生み、文民統制の障害になるとの指摘について、宮崎弘毅 「防衛二法と防衛庁中央機構(その1)」『国防』26巻6号、1977.6 p.103 参照。一方、「文官優位」を、防衛大臣を補佐するための「文官スタッフ優位制度」ととらえ、戦後日本の特殊事情に、その成立要因を認める見解について、古川純「歴史としての防衛二法」『法律時報』56巻6号、1984.5 p.39 参照。なお、いわゆる「文官統制」型シビリアン・コントロールについて、鈴木滋 「自衛隊の統合運用 ― 統合幕僚組織の機能強化をめぐる経緯を中心に― 」『レファレンス』平成18年7月号、p.126 参照。(http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200607_666/066606.pdf
  15. 米国の国防省においては、国防長官以下、国防副長官、国防次官、国防次官補に至るまで、幅広く政治任用が行われている。大統領が指名し、上院の承認を得て、任命する。National Defense Research Institute (U.S.) (Author), Cheryl Y. Marcum (Editor), Department of Defense Political Appointments: Positions and Process, RAND Corporation, May 2001, Chapter 2, p.5 参照、および、Title 10 of the United States Code, Subtitle A, Part I, Chapter 4 参照。Political appointees constitute the heart of civilian leadership in the Pentagon. Individuals who are appointed by the President and confirmed by the U.S. Senate occupy a total of 45 positions in the top echelons of the Department of Defense (DoD), including the Office of the Secretary of Defense (OSD) and the military departments – up from 12 a half-century ago. 上掲Department of Defense Political Appointments: Positions and Process, Summary, p.xi 参照。http://rand.org/pubs/monograph_reports/MR1253/ において、上掲Department of Defense Political Appointments: Positions and Processの各Chapterの全文が、PDFで参照可能です。http://www.access.gpo.gov/uscode/title10/subtitlea_parti_chapter4_.html において、Title 10 of the United States Code, Subtitle A, Part I, Chapter 4 の各条文が参照可能です。
  16. ハンチントンは、アメリカの陸軍省・海軍省・国防省の歴史的分析を通じ、大統領・長官・軍・行政部局の関係について、3つのモデルを指摘している。(1) 『均衡型モデル(The Balanced Pattern)』:ハンチントンは、大統領の下、国防長官が、防衛行政部局と軍とをバランス(均衡)させつつ、政治的裁量権を発揮する、いわゆる均衡型モデルが、シビリアン・コントロールを実効性あるものにすると指摘している。均衡型モデルにおいては、各部門の責任が明確化される。大統領・国防長官が政治を扱い、軍事組織は軍事に専念し、行政部局は行政に専念する。The balanced pattern assigns to the President a purely political function… Beneath him is the secretary, also a purely political figure, responsible for the entire military organization. Below the secretary, the hierarchy divides into military and administrative components… This balanced pattern of organization tends to maximize military professionalism and civilian control. Civilian and military responsibilities are clearly distinguished, and the latter are subordinated to the former. The President and the secretary handle political matters; the military chief military matters; and the staff or bureau chief administrative matters… Administrative and military interests are balanced by the secretary under the authority of the President. Samuel P. Huntington, 1957, The Soldier and the State: The Theory and Politics of Civil-Military Relations. Cambridge, MA, and London: Belknap Press of Harvard University Press., Chapter 7, p.187 参照。(2) 『同格型モデル(The Coordinate Scheme)』:同格型モデルにおいては、大統領の下、長官は防衛行政のみを扱い、他方、軍総司令官は大統領に直属して軍事を統括する。この場合、軍総司令官は政治的決定をも担うようになり、軍事への専念が妨げられる。It (the coordinate system) tends, however, to undermine civilian control. The scope of the authority of the military chief is limited to military matters, but the level of his authority with direct access to the President involves him in political issues. Samuel P. Huntington, The Soldier and the State, Chapter 7, p.188 参照。(3) 『垂直型モデル(The Vertical Pattern)』:垂直型モデルにおいては、大統領―長官―参謀長―行政部局が、垂直的に組織され、参謀長が軍と行政部局の両者を統括する。この場合、参謀長は、軍事と行政の両方を扱うため、軍事への専念が妨げられる。また、長官がお飾りとなり、参謀長の政治化を招く。On the other hand, he (the military chief) supervises all the activities of the department below the secretary and, consequently, may be able to reduce the secretary to a figurehead. By combining in his own person political and administrative responsibilities, as well as functions of military command, the military chief transgresses his competence. Samuel P. Huntington, The Soldier and the State, Chapter 7, p.189 参照。ハンチントンの3つのモデルについて、Samuel P. Huntington, The Soldier and the State, Chapter 7, p.186参照。なお、廣瀬克哉『官僚と軍人』岩波書店、1989 p.60 参照。
  17. 自衛隊運用、制服組に移管 来年度にも、文官部局は廃止 - 朝日新聞
  18. ウォール・ストリート・ジャーナル - 2013年7月18日
  19. 国立国会図書館、「日本国憲法の誕生」、「極東委員会第27回総会議事録」1946年9月21日
  20. 軍隊内においては、軍に属しない者を指して「地方人」と呼んでいた。
  21. 国家公務員法 総務省法令データ提供システム
  22. 時事通信2012/06/05「文民統制上、問題=民間人防衛相に疑問の声-内閣改造」[2]
  23. 「インタビュー・丸山昂 日米安保は空っぽである」(インタビュアー:田原総一朗) 『諸君!』文芸春秋、1979年10月号
  24. フルシチョフ首相によるジューコフ元帥更迭(1958年)、ソコロフスキー参謀総長およびコーネフ・ワルシャワ条約機構軍最高司令官解任(1961年)など、共産党によるソ連軍に対する文民統制について、Desch, Michael C. 1999.Civilian Control of the Military: The Changing Security Environment. Boltimore: Johns Hopkins University Press., Chapter 4 および同書Notes参照。
  25. 衆議院議員選挙法(明治22年第15条、改正明治33年12条)。なお貴族院議員で現役軍人である者は、現役中は登院しないのが慣例になっていたとされる(『事典 昭和戦前期の日本』P.38)。
  26. 石破茂オフィシャルブログ2008年11月10日
  27. 日本では自衛官に関しては、自衛隊法61条および自衛隊法施行令86条、87条。国家公務員については国家公務員法第102条第1項、人事院規則14-7(政治的行為)第6項11でそれぞれ政治的行為が規制されているが、文言は一部の相違をのぞき同じものである。なお、予備自衛官、即応予備自衛官、予備自衛官補に関しては、自衛隊法第75条・第75条の8・第75条の13により、政治的行為の禁止は訓練招集命令によって招集されている期間に限定されている。
  28. テンプレート:Cite journal

参考文献

外部リンク

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