成田高等学校・付属中学校

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成田高等学校・付属中学校(なりたこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、千葉県成田市成田にある全日制私立高等学校中学校

真言宗智山派大本山成田山新勝寺が設立した学校法人成田山教育財団が経営する。 学業優先を基本として芸能活動も大筋で認めている。

概要

明治31年創立であり、千葉県で二番目の歴史を誇る伝統校である。部活動がさかんで野球陸上などが有名。野球部は夏の全国高等学校野球選手権大会に出場経験が何度かあり、春の選抜高等学校野球大会にも2006年第78回大会に初出場。また2010年第92回全国高等学校野球選手権大会では20年ぶりに夏の甲子園出場を果たし、ベスト4まで勝ち残る健闘をみせた。陸上競技部は全国高校総体で何度も男子総合優勝を果たしており、日本を代表する競技者を多く輩出している。

入学試験、ならびに合格発表を千葉県の公立高校と同日に行っていた。これは周りの公立高校の滑り止めとして受験する者を敬遠する意味合いがある。しかし、近年公立高校の一般入試と別日程になった。

設置課程

沿革

経緯

明治20年に小倉良則が設立した「北總英漢義塾」を受け継ぎ、成田英漢義塾の経営に当たっていた。その後、尋常中学校を経て、旧制中学校への改組が図られ、明治31年に認可が下り、翌明治32年4月、成田中學校が発足した。成田山女學校は成田中學校発足の9年後、明治41年に創立。明治44年には、上級学校進学資格が与えられ、高等女学校となった。県下最初の私立高等女学校であった。旧制成田中学・成田高等女学校が戦後、新制高等学校となったもので、現在は幼稚園から高校までの総合学園となっている。また、明治30年代から40年代にかけて、先に述べた成田中學校、成田山女學校をはじめ、成田図書館(現・成田山仏教図書館)、成田幼稚園、成田山感化院(昭和22年より業務転換し児童福祉施設「成田学園」)などを次々と設立し、これらの事業を成田山の5大事業と呼び、当時の新勝寺住職石川照勤(いしかわしょうきん)が中心となり事業が進められた。

市内で「成田」の名を冠した高等学校は成田高等学校が初であるため、市内にある他の県立校は千葉県立成田北高等学校、千葉県立成田西陵高等学校などの名になっている。

年表

  • 1887年10月3日 - 成田山山主三池照鳳大僧正により、成田高等学校の前身である修業年限3ヵ年の成田英漢義塾が創立される。
  • 1898年10月7日 - 成田山山主石川照勤大僧正は英漢義塾を閉塾し、新たに修業年限5ヵ年の(旧制)私立成田中學校の設置許可を受ける。この日をもって成田高等学校の創立記念日と定める。
  • 1908年2月21日 - 修業年限3ヵ年の私立成田山女學校が創立される。
  • 1911年2月13日 - 成田山女學校を閉校し、修業年限4ヵ年の私立成田高等女學校として設置認可を受ける。
  • 1948年3月31日 - 学制改革に伴い、中学校、女学校を統合し、成田山文化事業財団を設置者とし、成田高等学校の設置認可を受ける。同時に中学校を併設する。
  • 1949年3月31日 - 併設中学校を閉校する。
  • 1951年1月19日 - 私立学校法により、学校法人成田山教育財団の設置認可を受ける。
  • 1967年4月8日 - 付属中学校を開校する。
  • 1973年4月7日 - 付属小学校を開校する。
  • 1998年10月8日 - 創立100周年記念式典を挙行する。
  • 2012年 - 新校舎完成。

教育方針

建学の理念

努力目標

  1. 挨拶する
  2. 正装する
  3. 勉強する
  4. 運動する
  5. 掃除する

ただし生徒による達成を目的とした委員会活動などは行われていない。

施設

講堂兼体育館、付中体育館、学校図書館、人工グラウンド、武道館、全天候型グラウンド(400m)、野球場、テニスコート、サッカー場、弓道場、プール、知心寮、育心寮、志賀高原寮

文化祭

  • 毎年9月に「葉杜丹祭」と称する文化祭が行われる。

部活動

  • ダンスドリル部(=チアリーダー)は千葉県で唯一男子生徒が在籍していて、『学校へいこう』や新春特番でも取り上げられた。

付属学校

付属ではないが、成田山教育財団が設置している幼稚園

交通案内

出身著名人

政治・行政

作家・文芸

タレント

スポーツ

陸上競技

水泳

野球

元教員

関連項目

脚注

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外部リンク