愛知県立時習館高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:日本の高等学校

愛知県立時習館高等学校(あいちけんりつ じしゅうかん こうとうがっこう)は、愛知県豊橋市に所在する県立高等学校

概観

1893年(明治26年)に私立補習学校時習館として開校。2008年(平成20年)にSSHの指定を受けた。校名の由来は吉田藩松平信復設立の藩校時習館」(1752年宝暦2年)設立)からで、その「時習」は孔子『論語』の「学びて時にこれを習う(学而時習之)…」の一節から来ている。敷地面積全国二位。

沿革

  • 1752年(宝歴2年) - 吉田藩主・松平信復により吉田藩校時習館創設。
  • 1872年(明治5年) - 藩校時習館廃止。
  • 1893年(明治26年) - 私立補習学校時習館創設。
  • 1895年(明治28年) - 豊橋町立豊橋尋常中学時習館へ改称。校旗を制定。
  • 1900年(明治33年) - 愛知第四中学校へ改称。
  • 1922年(大正11年) - 豊橋中学校へ改称。
  • 1945年(昭和20年) - 豊橋大空襲により、校舎、校旗、藩校時習館より受け継ぐ扁額「時習館」及び大太鼓を焼失。
  • 1946年(昭和21年) - 現在の校地である豊橋陸軍予備士官学校砲兵隊跡へ移転。
  • 1948年(昭和23年) - 4月に豊橋高等学校へ改称し、10月に豊橋時習館高等学校へ改称。(学制改革後は、小学区制が敷かれ、豊橋市の西部が学区となったが、東三河全域から学区内の中学への寄留による越境入学が絶えなかった。)校章を制定。
  • 1950年(昭和25年) - 校歌「わが時習館」を制定。作曲は当時の生徒、作詞は内藤教員のものであった。また、翌年に応援歌「若き力」も制定。
  • 1956年(昭和31年) - 愛知県立時習館高等学校と改称。三河全域を学区とする大学区制開始。
  • 1972年(昭和47年) - 高豊分校・二川分校を統合、愛知県立豊橋南高等学校となる。
  • 1973年(昭和48年) - 学校群制度により、愛知県立豊橋南高等学校と豊橋第一学校群を組む。
  • 1989年(平成元年) - 複合選抜方式を導入。
  • 2008年(平成20年) - SSHの指定を受ける。
  • 2011年(平成23年) - コアSSHの指定を受ける。
  • 2013年(平成25年) - 当年入学の生徒より制服の変更を実施予定。

交通

学校行事

9月に文化祭と体育祭を合わせた「時習祭」が開催される。文化祭は2日間にわたって行われ、1日目は生徒のみ、2日目は一般公開である。文化部の発表をはじめ、クラス企画、ライブ企画などが行われる。2日目には中学生の体験入学も実施される。体育祭は主に走る競技が行われる。男子生徒による相撲体操の演舞が旧来からの伝統となっていたが、1994年(平成6年)度入学生からは、家庭科必修化により体育の時間数が週4時間から3時間に縮減されたことから練習時間が取れなくなったため、廃止された。しかし、1997年(平成9年)体育祭までは、相撲体操の存続を望む有志生徒による閉会式後にゲリラ開催が行われ、職員も黙認する状態であった。体育祭の後には男女(男子は19年度から参加可)が参加できる「フェスタ」、そしてその後に男子のみが参加できる「ファイヤーストーム(通称ストーム)」が行われる。

冬にはマラソン大会が行われ、男子は5km(22年度までは6km)、女子は3kmを走る。マラソンの時期になると体育の授業は毎時間持久走の練習となり、本番では体育科以外の先生も立会いの下で走る。

部活動


</div>

著名な卒業生

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Asbox