愛媛県立今治西高等学校

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愛媛県立今治西高等学校(えひめけんりついまばりにしこうとうがっこう)は、愛媛県今治市に所在する県立高等学校

概要

1901年に開校。

愛媛県内でも屈指の進学校であり、卒業生では学者、政治家、建築家など各界で活躍した人物を数多く輩出する一方で、野球部は甲子園出場経験の多い名門である。

野球部

  • 同校野球部は、春12回、夏12回の甲子園出場経験があり、2007年夏に春夏通算30勝目(全国で30校目)を挙げた。決勝戦進出はないが、ベスト4進出は春2回(1995年、1999年)、夏3回(1963年、1973年、1977年)ある[1]国民体育大会では2度優勝(1981年、2007年)している。
  • その一方で、「怪物」と呼ばれるほどの超高校級投手を擁する相手校との対戦では、甲子園歴代最多三振記録を作られてしまった、不運かつ不名誉な歴史もある。2012年夏には、1回戦の対桐光学園戦で、桐光のエース・松井裕樹に22三振を奪われ、夏の1試合あたり歴代最多奪三振記録を作られてしまった(試合は7対0で敗北)。歴史をさかのぼれば、1973年春に、準々決勝の対作新学院戦で、作新のエース・江川卓に20三振を奪われてしまった(試合は3対0で敗北)。この江川の記録は、春では戸田善紀PL学園、1963年)の21奪三振に次ぎ、大田阿斗里帝京、2007年)と並ぶ歴代2位タイである[2]

沿革

  • 1901年 - 愛媛県立西条中学校今治分校として現在の今治市松本町に開校。
  • 1905年 - 独立して愛媛県立今治中学校と改称。
  • 1920年 - 現在地に移転。
  • 1948年 - 学制改革により愛媛県立今治第一高等学校となる。定時制設置。
  • 1949年 - 高等学校再編成で愛媛県立今治西高等学校と改称。
  • 1952年 - 工業科が愛媛県立今治工業高等学校として分離独立。
  • 2005年 - 全日制普通科定員がそれまでの360名(40人×9学級)から320名(40人×8学級)となる。

著名な卒業生

旧制中学

新制高校

周辺

住宅地に囲まれたところに立地しており、学校周辺にはマンションやアパート、一戸建て住宅が多数立地している。

アクセス

脚注

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  1. http://home.r01.itscom.net/morioka/h_baseball/seiseki/imabari_nishi.html
  2. 『別冊宝島 激闘甲子園「不滅の大記録』宝島社、2013年、p29、35

関連項目

外部リンク

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