意宇郡

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意宇郡(おうぐん)は出雲国(現;島根県東部)にかつて存在したである。

由来

郡名については、「八束水臣津野命(やつかみずつぬのみこと)」が国引きを終えた際に「国引きを意恵(「おえ」、終わるの意味)」と言ったことから「意恵郡」のち「意宇郡」と呼ぶようになった、と伝えられている(『出雲国風土記』)[1]

歴史

古代

律令制の施行により制定されたと考えられる。郡家は山代郷にあった。

郷里

天平5年(733年2月30日に成立したとされる『出雲国風土記』には11のの内に33の里があり、別に1つの餘戸里、3つの駅家と3つの神戸があったと記され、以下の記載がある[1]。11の郷にはそれぞれ3つの里があった。

母理郷
文理郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の安来市伯太町の北部を除いた地域。
屋代郷
現在の安来市伯太町安田山形、吉佐町、門生町辺り。
楯縫郷
現在の安来市宇賀荘町、清瀬町、清井町、九重町、清水町、早田町辺り。
安来郷
現在の安来市安来町、宮内町、南十神町、黒井田町、島田町辺り。
山國郷
現在の安来市上吉田町、下吉田町、鳥木町、柿谷町、折坂町、沢町辺り。
飯梨郷
飯成郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の安来市飯梨町、利弘町、飯生町、実松町辺りと広瀬町のほぼ全域。
舎人郷
現在の安来市中心部辺り。
大草郷
現在の松江市大庭町、佐草町、日吉町辺り。
山代郷
現在の松江市南東部辺り。
拝志郷
林郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の松江市玉湯町林、大谷、宍道町上来待辺り。
宍道郷
現在の松江市宍道町の大部分。
餘戸里
現在の松江市東出雲町の大半。
野城驛
黒田驛
宍道驛
出雲神戸
現在の松江市八雲町辺り。
賀茂神戸
現在の安来市中央付近。
忌部神戸
現在の松江市玉湯町の大部分。
野城駅家
黒田駅家
穴道駅家[2]

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:出雲国意宇郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近代

  • 1889年明治22年)
    • 4月1日 市制施行 11町が松江市となり、意宇郡から分立した。
    • 4月1日 町村制施行(16村)
      • 津田村、竹谷村、大庭村、乃木村、忌部村(松江市)
      • 玉造村、湯町村(玉湯町 → 松江市)
      • 宍道村、来海村(宍道町 → 松江市)
      • 波入村、二子村(八束町 → 松江市)
      • 岩坂村、熊野村(八雲村 → 松江市)
      • 揖屋村、出雲郷村、意東村(東出雲町 → 松江市)
  • 1893年(明治26年)7月9日 来海村が改称して来待村となった。(16村)
  • 1896年(明治29年)4月1日 島根郡秋鹿郡と合併して八束郡となった。

意宇六社

意宇郡にある神社のうち下記の六社を「意宇六社」といい、「六社さん」とも呼ばれて崇敬されている。この六社を巡拝する「六社参り」という行事が江戸時代以前より行われている。

関連項目

出典

  1. 比定地名は2009年現在のもの。郷域の比定は関(2006)を参考にした。
  2. 3駅家は、瀧音能之『古代出雲を知る事典』東京堂出版 2010年 19ページから

参考文献

  • 沖森卓也、佐藤信、矢嶋泉 編著『出雲国風土記』 2005年 山川出版社 ISBN 978-4-634-59390-9
  • 関和彦『『出雲国風土記』註論』 2006年 明石書店 ISBN 4-7503-2376-4

テンプレート:出雲国の郡