心的外傷後ストレス障害

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テンプレート:Infobox Disease心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Posttraumatic stress disorder、PTSD)は、突然の不幸な出来事によって命の安全が脅かされたり、天災、事故、犯罪、虐待などによって強い精神的衝撃を受けることが原因で、心身に支障をきたし、社会生活にも影響を及ぼす様々なストレス障害を引き起こす精神的な後遺症、疾患のことである。[1]

の傷は、心的外傷またはトラウマ(本来は単に「外傷」の意で、日本でも救命や外傷外科ではその意味で使われ、特に致命的外傷の意味で使われることが多いが、一般には心的外傷として使用される場合がほとんどである)と呼ばれる。トラウマには事故・災害時の急性トラウマと、児童虐待など繰り返し加害される慢性の心理的外傷がある。

心的外傷後ストレス障害は地震洪水火事のような災害、または事故戦争といった人災、あるいはいじめテロ監禁虐待強姦体罰などの犯罪、つまり、生命が脅かされたり、人としての尊厳が損なわれるような多様な原因によって生じうる。

症状

以下の3つの症状が、PTSDと診断するための基本的症状であり、これらの症状が、強い恐怖、無力感または戦慄を伴う出来事の後、1ヶ月以上持続している場合にはPTSD、1ヶ月未満の場合にはASD(急性ストレス障害)と診断する(DSM-IV-TR)。[1]

  • 精神的不安定による不安、不眠などの過覚醒症状
  • トラウマの原因になった障害、関連する事物に対しての回避傾向。
  • 事故・事件・犯罪の目撃体験等の一部や、全体に関わる追体験(フラッシュバック

患者が強い衝撃を受けると、精神機能はショック状態に陥り、パニックを起こす場合がある。そのため、その機能の一部を麻痺させることで一時的に現状に適応させようとする。そのため、事件前後の記憶の想起の回避・忘却する傾向、幸福感の喪失、感情鈍麻、物事に対する興味・関心の減退、建設的な未来像の喪失、身体性障害身体運動性障害などが見られる。特に被虐待児には感情の麻痺などの症状が多く見られる。

精神の一部が麻痺したままでいると、精神統合性の問題から身体的、心理的に異常信号が発せられる。そのため、不安や頭痛・不眠・悪夢などの症状を引き起こす場合がある。とくに子供の場合は客観的な知識がないため、映像や感覚が取り込まれ、はっきり原因の分からない腹痛、頭痛、吐き気、悪夢が繰り返される。

特徴と診断

診断の前提として、災害、戦闘体験、犯罪被害など強い恐怖感を伴う体験が存在することが必要である。[1]
主に以下のような症状の有無により、診断がなされる。

恐怖・無力感
自分や他人の身体の保全に迫る危険や事件その人が体験、目撃をし、その人の反応が強い恐怖、無力感または戦慄に関わるものである。
心的外傷関連の刺激の回避や麻痺
心的外傷体験の想起不能や、感情の萎縮、希望や関心がなくなる、外傷に関わる人物特徴を避ける等。
反復的かつ侵入的、苦痛である想起
悪夢(子供の場合はっきりしない混乱が多い)やフラッシュバック、外傷を象徴するきっかけによる強い苦痛
過度の覚醒
外傷体験以前になかった睡眠障害、怒りの爆発や混乱、集中困難、過度の警戒心や驚愕反応

これらの症状が1か月以上持続し、社会的、精神的機能障害を起こしている状態を指す。症状が3か月未満であれば急性、3か月以上であれば慢性と診断する。大半のケースはストレス因子になる重大なショックを受けてから6か月以内に発症するが、6か月以上遅れて発症する「遅延型」も存在する。

記憶

現在から過去にさかのぼる「出来事」に対する記憶が、診断に重要である。しかしながら、 1)重大な「出来事」の記憶  2)それほど重大でなかったが事後的に記憶が再構成される  3)もともとなかった「出来事」が、あたかもあったかのように出来事の記憶となる  このような3つの分類ができる点に留意する必要があろう。

なお、PTSDを発症した人の半数以上がうつ病、不安障害などを合併している。

依存症との関連

PTSDを持つ人はしばしばアルコール依存症薬物依存症といった嗜癖行動を抱えるが、それらの状態は異常事態に対する心理的外傷の反応、もしくは無自覚なまま施していた自己治療的な試みであると考えられている。しかし、嗜癖行動を放置するわけにはいかないので、治療はたいがい、まずその嗜癖行動を止めることから始まる。

治療法

PTSDに関するエビデンスは集約されつつあり、精神療法においては認知行動療法EMDR、ストレス管理法であるテンプレート:Sfn。成人のPTSDにおける薬物療法はSSRI系の抗うつ薬であるが、中等度以上のうつ病が併存しているか、精神療法が成果を上げないあるいは利用できない場合の選択肢であるテンプレート:Sfn

SSRIの種類としては、フルオキセチンとパロキセチンなどのSSRIである。

おそらく効果がないとされているものは、薬物療法においてはVenlafaxineであり、精神療法においてはデブリーフィングと指示的カウンセリングである。

心理療法

持続エクスポージャー療法は、トラウマに焦点を当てた認知行動療法であり、セラピストとの会話を通じて心的外傷に慣れていく心理療法である。国際的に推奨されている。しかし、一方で有効性に限界がある。技法に精通していなければストレス症状を強めるため注意が必要である。

EMDR(眼球運動による脱感作および再処理法)は、睡眠における眼球が動くレム睡眠の際に、記憶が消去されていることに着目した技法である。

認知行動療法は、認知のクセを修正することを目的とした心理療法である。読書を通じて、認知のクセを修正する手順を自助的に行うための書籍も販売されている。

また、認知行動療法のほうが効果的であるが、ストレス管理法は広く利用することのできる選択肢であるテンプレート:Sfn

急性ストレス期のデブリーフィングは非推奨

テンプレート:Seealso PTSDの予防法として心理的デブリーフィング(Psychological Debriefing)が一時期提唱された。これは災害などの2~3日後から1週間までに行われるグループ療法であり、2~3時間かけて出来事を再構成したり、感情の発散、トラウマ反応の心理教育などがなされるものである。

しかし、日本トラウマティック・ストレス学会[2]によれば、1990年代後半からデブリーフィングの有効性の疑問視する報告が相次ぎ、現在では苦痛の緩和やPTSDのとはならないため、強制的なデブリーフィングはやめるべきであるとされている。 2003年の日本の厚生科学研究による『災害時地域精神保健医療活動ガイドライン』でも、災害直後に体験を聞き出すようなカウンセリングは古い考えに基づいていて有害であり、国際学会やアメリカ国立PTSDセンターのガイドラインでも非推奨とされているため、「行ってはならない」と記している[3]

薬物療法

日本のPTSDに関する2006年のガイドラインでは、抗うつ薬SSRIが推奨され、ベンゾジアゼピン系の薬剤は推奨できないとされるテンプレート:Sfn。2008年の国際トラウマティック・ストレス学会のガイドラインでも、成人、児童共に同様にベンゾジアゼピン系の薬物が有効であるという根拠は乏しいテンプレート:Sfn

2013年の世界保健機関によるガイドラインは以下のとおりである。PTSDに対しては、SSRIの投与は、トラウマに焦点を当てた認知行動療法やEMDRが失敗した時や、そうしたリソースを利用できない場合、あるいは、中等度以上のうつ病がみられる場合に考慮されるべきであり、最初の選択ではないとしているテンプレート:Sfn。また、児童や青年のPTSDにおいては抗うつ薬は使用されるべきではないテンプレート:Sfn。成人および児童に対する、急性外傷性ストレスに対して、ベンゾジアゼピンおよび抗うつ薬は投与してはいけないとしているテンプレート:Sfn。成人および児童に対して、ストレスの強い出来事のあった最初の1ヶ月に、不眠症に対してベンゾジアゼピンは投与されるべきではないテンプレート:Sfn

2012年のアメリカの不安障害協会の年次会議では、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬の使用は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対し視床下部-下垂体-副腎系(HPA)軸を抑制するためストレス症状を増大させ、また、恐怖反応はGABA作動性の扁桃体機能を介して消失されるが、このような学習や記憶を無効にするため心理療法の結果を否定的にすることが報告された[4][5]。アメリカにおける戦争帰還兵におけるPTSDで、非定型抗精神病薬が推奨できないことが強調されている[6]

医療大麻

大麻は、PTSDによる不安やフラッシュバックの影響を弱め、PTSDの症状を減少させるという証拠は蓄積されてきている[7]合成カンナビノイドのナビロンを用いた小規模な試験では、悪夢の治療に用い、47人中34人(72%)が悪夢の頻度や強さを減少させ、28人(59%)で悪夢が完全に休止した[8]

歴史

PTSDの研究には、大きく分けて三つの流れがある。「ヒステリー研究」「戦闘ストレス反応」「性的・家庭内暴力」の三つである。

ヒステリー研究

シャルコーによる研究

第一の流れは、19世紀後半から始まったヒステリー研究、女性の心的外傷の原型である。19世紀後半、フランスの神経学者ジャン=マルタン・シャルコーによってヒステリー研究がされる。シャルコーは患者の運動麻痺、感覚麻痺、痙攣、健忘に注目した。シャルコーはヒステリーを大神経症と呼び、患者を解説のために臨床講義で大衆の前に展示した。ヒステリー患者は、絶え間ない暴力やレイプを逃れてきた若い女性たちであった。シャルコー以前の時代にはヒステリー患者たちの訴えは疑われ、詐病とされていたが、この研究によって患者たちの訴えることは真正であり、客観的なものであるとの証明がなされ、新たな研究分野として確立されたのである。シャルコーは死後、「迫害されてきた人たちを解放したパトロン」と呼ばれる。

フロイト・ジャネ・ブロイアーによる研究

症状に着目したシャルコーに対して、後にこの分野の研究者は原因に着目した。中でもピエール・ジャネジークムント・フロイトのライバル意識は強く、彼等は患者との「対話」によって新しい発見者になろうとした。この「対話」という研究法は大きな成果をもたらし、それぞれ近い結論に辿り着いた。外傷的な出来事に関する、耐え難い情動反応が一種の変成意識をひきおこし、この変成意識がヒステリー症状を生んでいるという結論である。ジャネはこれを「解離」と呼び、フロイトと共同研究者のヨーゼフ・ブロイアーは「二重意識」と呼んだ。

ナラティブセラピーの発生

ヒステリーにおける身体症状は、強烈な心理的混乱をひきおこす事件が、不自然な形で記憶から追放(抑圧)されたために形を変えて現れたものだと分かった。1890年代半ばまでには、外傷記憶とそれに伴う強烈な感情を取り戻させ、言語化することによってヒステリー症状が軽快するという発見もされた。

どんな薬物療法も精神療法技法も用いない、素朴ともいえるこの治療法は、フロイトによって除反応(Abreaktion)またはお話し療法、ブロイアーによってカタルシス療法と呼ばれたが、これが現在のナラティブセラピー(Narrative therapy)の原型であり、なおかつ精神分析療法の基礎ともなっている。

現在ではPTSD患者やアダルトサヴァイヴァーの治療の全行程は、ここに始まりここに終わるといっても過言ではなく、今日では「嘆きの作業(グリーフワーク)」(Grief Work)ともいう。

戦闘ストレス反応

第二の流れは、砲弾神経症(シェルショックともいう)、戦闘ストレス反応である。この研究は、第一次世界大戦における塹壕戦の経験を踏まえ、戦後米国と英国から始まり、ベトナム戦争後に頂点を極めた。戦闘ストレス反応は、戦争において精神的に崩壊する兵士が驚くべき多数に上ったことから認知されはじめた。

友人たちの手足が一瞬にして吹き千切れるのを見、捕虜になり閉じ込められるなどして孤立無援状態におかれたり、一瞬にして吹き飛ばされ殺されるという恐怖から気を緩める暇もないという状況が、驚くべき現象を生み出したのである。兵士たちはヒステリー患者と同じ行動をし始めた。身体的には金縛りで動けなくなる、震えが止まらない等が現れ、精神的には金切り声ですすり泣く者や、逆に感情が麻痺し、無言、無反応になる等が現れたり、健忘が激しくなる者もいた。

軍の伝統的な立場のものは、この現象を臆病者であるからだと結論し、処罰と脅迫による電気ショック治療を提唱した。進歩的なものは、これを士気の高い兵士にも起こりうるれっきとした精神障害であると人道的治療を進めた。その後の調査の過程で、これらの一部の状態に対してASDやPTSDという名称がつけられたのである。

近年認知され始めた例として無人航空機の操縦者にPTSDを発症する率が高いというものがある。無人機は機体そのものに人間が搭乗しないため撃墜されたり事故をおこしても操縦員に危険はなく、また衛星経由でアメリカから遠隔操作が可能であるため、操縦員は長い期間戦地に派遣されることもなく、任務を終えればそのまま自宅に帰ることも可能である。このような無人機の運用は操縦者が人間を殺傷したという実感を持ちにくいという意見がある[9][10]が、「いつミサイルを発射してもおかしくない状況から、次には子どものサッカーの試合に行く」という平和な日常と戦場を行き来する、従来の軍事作戦では有り得ない生活を送ることや、敵を殺傷する瞬間をカラーTVカメラや赤外線カメラで鮮明に見ることが無人機の操縦員に大きな精神的ストレスを与えているという意見もある[11]国際政治学者P・W・シンガーによると、無人機のパイロットは実際にイラクに展開している兵士よりも高い割合でPTSDを発症している[12]

性的・家庭内暴力

第三の流れは、ごく最近認知されてきた性的暴力家庭内暴力家庭外暴力の外傷である。19世紀後半のヒステリー研究は、性的暴力の研究でつまづいてしまった。当時は、家庭内に性的暴力が多く存在するといった概念がなかったため、フロイトがその研究を退けたのである。

PTSDの疾病概念を批判的に再検討する流れ

ここまで、PTSDの歴史を述べてきた。“The Harmony of Illusions: Inventing Post-Traumatic Stress Disorder”(『PTSDの医療人類学』)[13]は、その疾病概念がいかに構成され現実化してきたのかを批判的に問うている。

PTSDに関する多くの研究や発展は戦闘帰還兵を対象にしたものであった。最も頻度の多いPTSDは、戦争における極限状態が生み出す外傷より、市民生活の中での性的暴力や家庭内暴力であるといった認識がなかったのである[14]

家族という密室を隠れ蓑にして、幼少時から長期にわたり、親をはじめとした大人たちから受けるさまざまな形の児童虐待が、はるか後年、成人してから多様な症状を生じさせることが発見され、PTSDの一種として検討されるようになった。ジュディス・ハーマンは「複雑性トラウマ(complex trauma)」[14]ヴァン・デル・コルクは「複合型トラウマ」(combined-type trauma)[15]という概念を提示している。

原因部位

前帯状皮質が小さいと発症しやすいことを東北大学加齢医学研究所のグループが解明した。発症後眼窩前頭皮質萎縮することも判明[16]

現状

犯罪の被害者や交通事故、自然災害の被災者などにも同様の診断が示されることとなり、PTSDの診断名は広く一般的に使用されるに至った。

日本では阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件新潟少女監禁事件JR福知山線脱線事故の時に広く病名が知られるようになった。

脚注

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  1. 1.0 1.1 1.2 災害時地域精神保健医療活動ガイドライン p27「外傷後ストレス障害」項目A
  2. 日本トラウマティック・ストレス学会 リンク切れ
  3. テンプレート:Cite report
  4. テンプレート:Cite news
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite news
  7. テンプレート:Cite journal
  8. テンプレート:Cite journal
  9. テロとの戦いと米国:第4部 オバマの無人機戦争/1 ピーター・シンガー氏の話 - 毎日新聞 2010年4月30日
  10. テロとの戦いと米国:第4部 オバマの無人機戦争/3 コソボ、イラクで操作した… - 毎日新聞 2010年5月2日
  11. 「地球の裏側から無人航空機でミサイルを発射する」兵士たちのストレス - WIRED.jp 2008年8月22日
  12. P.W. Singer が語る軍用ロボットと戦争の未来
  13. Young, A.:"The Harmony of Illusions: Inventing Post-Traumatic Stress Disorder", Princeton University Press,1995 ISBN 0-691-01723-9(邦訳 A.ヤング著 中井 久夫・大月 康義・下地 明友・ 辰野 剛・内藤 あかね訳 『PTSDの医療人類学』 みすず書房,2001年 ISBN 4-622-04118-9)
  14. 14.0 14.1 Harman, J.L.:"Trauma and Recovery", Basic Books, New York, 1992(邦訳 J.L.ハーマン著 中井久夫訳『心的外傷と回復』みすず書房, 2004年,第6版,第1章 ISBN 4-622-04113-8) 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "Harman1992"が異なる内容で複数回定義されています
  15. van der Kolk, B.A.:"Trauma and Memory", Psychiatry and Clinical Neurosciences, 1998年, 52 (Suppl.), pp97-109
  16. マイナビニュース東北大学加齢医学研究所 お知らせMolecular Psychiatry2012年7月6日閲覧

参考文献

関連項目

外部リンク

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