徳永寿昌

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テンプレート:基礎情報 武士 徳永 寿昌(とくなが ながまさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名美濃高須藩初代藩主。

生涯

はじめ柴田勝豊に仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは羽柴秀吉に協力した。その直後に勝豊が病死したため、秀吉の家臣となり、後に豊臣秀次付の家老として美濃国松ノ木城に3万石の所領を与えられた。秀吉死後、朝鮮出兵により朝鮮に在陣していた日本軍へ撤兵を伝える使者を務めている。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与し、西軍に属した隣城高須城1万石の城主高木盛兼を攻めてこれを落とし、また駒野城に篭城した池田秀氏を降伏させた。戦後、戦功により高須にて2万石を加増され、高須藩初代藩主となった。そして、本多正信大久保忠隣らとともに、関ヶ原の戦いで奮戦した諸大名の戦功を調べる役目を務めた。

慶長17年(1612年)7月10日、64歳で死去し、跡を長男の昌重が継いだ。

テンプレート:美濃高松藩主 テンプレート:高須藩主