建山義紀

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テンプレート:Infobox baseball player 建山 義紀(たてやま よしのり、1975年12月26日 - )は、大阪府大東市出身の阪神タイガースに所属するプロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

中学時代はボーイズリーグの「大東畷」に所属[1]。この時オーバースローから現在のサイドスローとなり、6番手ピッチャーから一気にエースとなる。

東海大仰星高校時代は、上原浩治を差し置きエースを務める[1]。また、ラグビーの大畑大介とも同じ高校の同級生で友人。

テンプレート:Byドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。

日本ハム時代

テンプレート:By、新人ながら6月から完全に先発ローテーションに定着し、防御率2.89で6勝を挙げる好投を見せた。名護市ネオパークオキナワ内にあるヤンバルクイナ保護施設を訪れた際には「勝利の数だけ寄付する」と約束。

テンプレート:Byも開幕3戦目に先発登板するなど前半はローテーション入りして6勝を挙げたが、防御率は5点台に悪化し、後半は中継ぎ登板も多かった。この年より前年に寄付を約束したヤンバルクイナ保護施設に1勝ごとに1万円を寄付する活動を続けている。この年のオフには施設に連絡なしで募金箱へ6万円を投入し、突然大金が入った募金箱に一時は「警察に届けよう」と騒動にもなった。後に建山の善意による寄付と判明し、ネオパークではヤンバルクイナ会という私設応援団も結成されるようになった。

テンプレート:Byは14イニングで5本塁打を浴びる不安定な投球で、わずか10試合の登板にとどまり、二軍でも成績を残せなかった。

テンプレート:Byは中継ぎに起用され、45試合に登板して防御率2.29の成績を残す。短いイニングに専念することでストレートの球威が増し、持ち球の鋭いシンカースライダーも生きるようになった。シーズン後半にはプロ初セーブを記録。

テンプレート:Byは前年2桁セーブを挙げていた芝草宇宙井場友和が共に安定感を欠いたため、シーズン前から抑えとしての登用が予定されていた。序盤故障で出遅れ、阪神から移籍してきた伊達昌司(後に巨人に移籍)が暫定的に抑えとなったが、6月に復帰後は安定した投球で抑えに定着。自己最高の防御率2.17で、15セーブを挙げた。9イニングあたり1個未満と四球を急激に減らし、パ・リーグでは豊田清に次ぐ安定感を見せた。

テンプレート:Byも抑えの起用が予定されていたが開幕2戦目のシーズン初登板でサヨナラ負けを喫し登録抹消。代役で好投していた伊藤剛が故障した際、横浜から移籍した横山道哉(後に横浜に復帰)が起用され、抑えに定着したため、6月に復帰後は横山に繋ぐ中継ぎとして起用された。41試合に登板して防御率2.33と、3年連続防御率2点台前半の安定した内容で、セットアッパーとして活躍した。リーグ最多の13ホールドを挙げ、自身初のタイトルである最優秀中継ぎ投手を獲得。最優秀救援投手に輝いた横山と共に「タテヨココンビ」の愛称で呼ばれた。

テンプレート:Byも45試合に登板したが、防御率3.68とやや安定感を欠いた。前年抑えとして活躍した横山がシーズンの終盤には代役で抑えも務め、2年ぶりのセーブを挙げた。

テンプレート:Byには自己最多の46試合に登板し、武田久岡島秀樹マイケル中村とともに強力リリーフ陣を形成、チームのリーグ優勝、日本一に貢献した。

テンプレート:Byは先発復帰を志願。4月1日に6年ぶりに先発登板し、7年ぶりに先発勝利を挙げた。しかし5月中旬に試合中に右足を痛めて降板するとそのまま二軍落ちし、自己最少のシーズン7試合の登板に終わった。チームは2年連続でリーグ優勝し、クライマックスシリーズも勝ち抜いて日本シリーズ出場を果たし、日本シリーズでは1軍に合流し第三戦に登板。

テンプレート:Byは再び中継ぎに戻り、自己最速148km/hを記録したストレートと100km/h台のスローカーブのコンビネーションで自己最多58試合に登板し、23ホールドポイントを記録。8月頃からは調子を落とし救援失敗が目立ち始めていた武田久に代わりMICHEALに繋ぐセットアッパーを務めた。しかし、レギュラーシーズン終了後に痛めた右内転筋痛でCSの前日に登録抹消になった。しかし、最終的には自己初のシーズン50試合登板を達成した。

テンプレート:Byの前半はセットアッパーを務め防御率1点台も、後半に腰痛を発症した影響で制球が甘くなり、7敗(うち2009年シーズンのチームのサヨナラ負け3度はいずれも自身が打たれての負け投手になっている。)を喫している。

テンプレート:By宮西尚生とともにセットアッパーをこなし、不調の武田久に代わり抑えを務めることもあった。9月12日に自己2回目のシーズン50試合登板を記録した。最終的に武田久と並ぶチーム2位(リーグ8位)の58試合に登板、チーム1位(リーグ6位)の26ホールドポイント、自己最高の防御率1.80を記録。オフにはジョー・ビックと代理人契約を結び、海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明。11月30日にテキサス・レンジャーズと1年80万ドルで契約を結んだ(2年目は年俸100万ドル、3年目は年俸120万ドルの球団オプション)。

レンジャーズ時代

テンプレート:Byスプリングトレーニングでは4試合の登板で防御率7.71、WHIP2.57と結果を残せず、3月15日に傘下のAAA級ラウンドロックが行うキャンプ行きを通告された。ラウンドロックでは14試合の登板で1勝0敗1セーブ、防御率2.14、WHIP1.00、奪三振率11.14、与四球率1.71という好成績を残し、5月23日にメジャーに昇格[2]。24日のシカゴ・ホワイトソックス戦の7回にメジャー初登板を果たし[3]、28日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では3回2安打1失点でメジャー初セーブを挙げた[4]。6月21日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初勝利。8月23日まで32試合の登板で防御率2.60、WHIP0.78、被本塁打4と安定した投球を続けていたが、24日のボストン・レッドソックス戦で本塁打を浴びて以降5試合で4本塁打を浴び、特に9月3日のレッドソックス戦と10日のオークランド・アスレチックス戦では、メジャー史上2人目となる2試合を挟んでの2者連続満塁本塁打を浴びた[5]。その後2試合の登板は無失点に抑えレギュラーシーズンを終了。

ポストシーズンではタンパベイ・レイズとのディビジョンシリーズのロースターからは外れたが、デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでロースター入りし、第3戦で初登板を果たした。しかしセントルイス・カージナルスとのワールドシリーズのロースターからは外れ、チームは第7戦で敗退。10月31日には球団が年俸100万ドルのオプションを行使して契約を延長した[6]

テンプレート:Byはスプリングトレーニング終盤にぎっくり腰を発症し、4月4日にDL入りして14日にAAA級ラウンドロックに降格。5月21日にメジャー昇格したが、6月16日にラウンドロックに再降格。29日に同じ中継ぎ右腕のマーク・ロウのDL入りに伴いメジャーに再昇格したが、7月14日に再降格。ラウンドロックでは試合の32登板で4勝0敗6セーブ、防御率1.13、WHIP0.91の成績を残し、9月1日に再昇格。9日のレイズ戦ではわずか2球で3アウトを取り、「僕の野球人生ではないことなので、いい記念になりますね」とコメント[7]。再昇格後は3試合の登板で1安打1失点を記録。ポストシーズンではボルチモア・オリオールズとのワイルドカードゲームでロースター入りするも登板機会はなく、チームは敗退しディビジョンシリーズ進出を逃した。10月30日に球団が翌年の契約オプションを行使しないことを発表しFAとなり[8]、12月20日にレンジャーズとマイナー契約で再契約した[9]

テンプレート:Byはスプリングトレーニングに招待選手として参加したが、腰の張りを訴え4試合の登板で防御率4.50、WHIP1.25を喫する[10]。3月21日に自由契約となり[11][12]、23日にマイナー契約で再契約する。ラウンドロックでは23試合の登板で0勝1敗1セーブ、防御率4.24、WHIP1.38の成績を喫し、メジャー昇格はならなかった。

ヤンキース傘下時代

2013年6月21日に後日発表選手とのトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍[13]。傘下のAAA級スクラントンでは、先発登板し3回を投げた8月31日のリーハイバレー戦を含む21登板で2勝2敗1セーブ、防御率1.70、WHIP0.96の成績を残したが、メジャー昇格はならなかった。11月5日にFAとなった。

テンプレート:By1月8日にマイナー契約でヤンキースと再契約した[14]。スプリングトレーニングではリリーフとして7試合に登板し1セーブ、防御率1.13、WHIP0.88だった[15]。4月3日にAAA級スクラントンへ異動した。公式戦では9試合に登板。0勝1敗、防御率6.08、WHIP1.42を記録したが、5月9日に契約を解除された。

阪神時代

2014年6月25日に、阪神タイガースが建山の入団を発表した[16]。背番号は、赤星憲広が2009年の現役引退まで付けて以来、空き番号になっていた53[17]。7月29日の対東京ヤクルトスワローズ戦で日本球界復帰初登板を果たす。

プレースタイル

跳ね上がるようなフォームのサイドスローから最速90mph(約145km/h、日本での最速は148km/h)の速球ツーシーム、フォーシーム)を繰り出し[18][19]スライダー(球速からカーブとも認識される[20])とシンカー(アメリカではチェンジアップまたはスクリューボールと呼ばれる[20])を決め球とし[21]、メジャーでの通算奪三振率9.00と奪三振が多い。特にスライダーは110km/h台前半から130km/h近くまで緩急をつけることもでき[22]、2010年の投球割合は全投球の51パーセントに及び、さらに奪三振時の決め球としての投球割合は63パーセントを占め、被打率は.121をマーク[23]。『すぽると!』(フジテレビ)のインタビューではダルビッシュ有から「球界で1番いいスライダー」と絶賛された。メジャー通算与四球率2.51とまとまった制球力も備える。

人物

テンプレート:スポーツ選手の出典明記 家族は2002年に結婚した4歳年上の妻と1女。上原・大畑とは、高校時代の同級生という縁から、プロ入り後もオフシーズンに『亀山つとむのかめ友 Sports Man Day』(MBSラジオ[24]などの番組で共演している。

ワイン通であり、家にワインセラーがあるとよくインタビューで語っている。先輩の片岡篤史が、引退する際に「家にある1番いいワインを飲ませてくれ」と頼んできたが、その時点で既に沢山酒を飲んでいた片岡は、建山がワインのふたを開けてすぐに突然「帰るわ~」と言い出しワインを飲まずに帰ってしまい、泣きながら仕方なく開けてしまったワインを朝食の準備の下ごしらえに使ったと『FFFFF』で語った。

レンジャーズではキャッチボール相手のネフタリ・フェリス[25]や英語を教えてもらっているデレク・ホランド[26]、ワインのやり取りをするというダレン・オリバー[27][28]らと仲が良かった。

2014年にスクラントンとの契約を解除された直後には、38歳という年齢などを踏まえて、現役からの引退を考えていたという。しかし、地元球団で救援陣の強化を求める阪神からのオファーを受けたことを機に、現役続行と4年振りのNPB復帰を決意した[29]。阪神では入団と同時に、チーム最年長の選手になった[30]

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 日本ハム 22 16 1 1 0 6 5 0 -- .545 442 106.0 101 11 29 0 1 62 0 0 43 34 2.89 1.23
テンプレート:By2 28 13 2 0 0 6 8 0 -- .429 396 89.1 106 15 29 0 2 55 1 0 57 55 5.54 1.51
テンプレート:By2 10 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 72 14.1 22 5 9 0 2 9 0 0 17 17 10.67 2.16
テンプレート:By2 45 0 0 0 0 3 2 4 -- .600 231 59.0 40 7 13 2 4 41 1 0 16 15 2.29 0.90
テンプレート:By2 32 0 0 0 0 2 1 15 -- .667 138 37.1 24 5 4 1 0 31 2 0 9 9 2.17 0.75
テンプレート:By2 41 0 0 0 0 1 3 0 -- .250 190 46.1 39 4 7 1 2 39 1 0 17 12 2.33 0.99
テンプレート:By2 45 0 0 0 0 4 6 2 10 .400 211 51.1 50 10 8 1 2 35 1 0 22 21 3.68 1.13
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テンプレート:By2 14 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 76 17.0 18 4 6 1 0 18 0 0 19 17 9.00 1.41
NPB:12年 438 37 4 1 0 35 43 27 84 .402 2743 661.2 614 79 156 11 27 488 9 1 277 252 3.43 1.16
MLB:2年 53 0 0 0 0 3 0 1 4 1.000 257 61.0 55 12 17 5 2 61 1 0 42 39 5.75 1.18
  • 2012年度シーズン終了時

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 22 (1999年 - 2012年)
  • 53 (2014年 - )

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:阪神タイガース テンプレート:パシフィック・リーグ最優秀中継ぎ投手

テンプレート:日本ハムファイターズ1998年ドラフト指名選手
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite book
  2. レンジャーズ建山、メジャー初昇格 2011年5月24日付記事
  3. 建山、メジャーデビュー!1Kも1失点 サンケイスポーツ 2011年5月26日付記事
  4. 建山、初セーブに「気分はもちろんいい」 サンケイスポーツ 2011年5月29日付記事
  5. 建山メジャー2人目“屈辱”連続満塁被弾日刊スポーツ、2011年9月13日。
  6. Rangers pick up 2012 option on TateyamaMLB.com、2011年10月31日
  7. 昇格建山「僕の野球人生ではないこと」日刊スポーツ、2012年9月11日。
  8. 建山FA 球団が選択権行使せず日刊スポーツ、2012年10月31日
  9. 建山はレンジャーズとマイナー契約日刊スポーツ、2012年12月21日。
  10. 建山マイナー「違うもの見せられなかった」日刊スポーツ、2013年3月20日。
  11. Rangers release Yoshinori Tateyama
  12. Rangers release Yoshinori Tateyama
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:Cite web
  15. テンプレート:Cite web
  16. 建山義紀選手入団会見 阪神タイガース公式サイト(2014年6月25日)
  17. 背番号は赤星氏の53 建山「お断りしたいと伝えたんですが…」 スポーツニッポン(2014年6月26日)
  18. MLB投手白書 主要250投手ピッチ・アナリシス/救援投手編 主要107救援投手 持ち球一覧/球種別平均球速 『月刊スラッガー』2012年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、51頁。
  19. テンプレート:Cite book
  20. 20.0 20.1 Yoshinori Tateyama PitchFxFanGraphs
  21. テンプレート:Cite book
  22. テンプレート:Cite book
  23. 選手分析 ~日本ハム #22 建山 義紀~ プロ野球 データスタジアム、2010年11月02日。
  24. 番組パートナー・亀井希生(毎日放送アナウンサー)の公式ブログ「サブカル天国」(2011年12月19日)
  25. 建山の夢…守護神に託す「彼の直球は違う」SANSPO.COM、2011年10月23日。
  26. 建山の先生・ホランド8回1/3、0封SANSPO.COM、2011年10月25日。
  27. 本人のTwitter2011年6月4日
  28. 本人のTwitter2011年7月27日
  29. 阪神入団の建山「引退だと思っていたので…感謝しています」サンケイスポーツ(2014年6月25日)
  30. 阪神建山入団会見「はつらつさ見せたい」 日刊スポーツ(2014年6月25日)