幸福駅

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ファイル:Kofuku eki.jpg
1977年の幸福駅と周囲約500m範囲。下が広尾方面。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
ファイル:Koufuku station 02.JPG
「愛国から幸福ゆき」切符記念碑

幸福駅(こうふくえき)は、日本国北海道十勝支庁帯広市幸福町にあった日本国有鉄道(国鉄)広尾線廃駅)である[1]。広尾線の廃線に伴い1987年(昭和62年)2月2日に廃駅となった[1]

駅名の縁起の良さから乗車券入場券などで有名であり[1]、廃止後も観光地として整備されている[2]

歴史

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(広尾方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。

開業時からの無人駅だがホーム南側の出入口から東側に少し離れた位置に待合所機能のみの木造駅舎を有した[4]。駅舎内に売店があり、簡易委託駅として乗車券の販売が行われていた。別棟でトイレを有した。駅舎の前には「ようこそ愛の国から幸福へ」と記載されたアーチが設置されていた[5]

駅名の由来

近隣を流れる札内川は、広大な河原のわりには水量が少ない。そのためアイヌ語で「乾いた川」を意味する「サツナイ」と呼ばれていた[注 1]1897年(明治30年)、福井県大野から集団移住が行われ、入植者によって拓かれた村には幸震の字があてられた。「ナイ」に震をあてたのは、地震のことを古語で「なゐ」と呼ぶためである。しかし難読であるため、次第に音読みで「こうしん」と呼ばれるようになった[注 2]。その後、幸震には福井からの移住者(「福井団体」という)が多かったことにちなみ、集落名が幸福と改められた。

利用状況

1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は13人[4]

駅周辺

「愛の国から幸福へ」ブーム

この駅は一部の旅人に注目されていたが、1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において『幸福への旅 〜帯広〜』として紹介されたことから知名度が上昇した[注 3]

周りの駅は相次いで幸福駅までの乗車券を増刷し、幸福駅付近の商店も入場券の販売をするようになる。特に幸福駅より2つ帯広駅寄りの愛国駅と併せて、「愛国から幸福ゆき」という切符が一大ブームとなる。1974年にはこれを元にした歌「愛の国から幸福へ」(歌:芹洋子)も登場した。前年には7枚しか売れなかった愛国 - 幸福間の切符が、この年は300万枚、4年間で1000万枚も売れた。観光客が多数訪れるようになり、待合室の内外に利用者が名刺や使用済みの定期券などを記念に残すようになったのもこのころからである。

隣の大正駅を始めとして広尾線には愛国駅など縁起のよい名を持つ駅が点在しており、これらの駅との間の乗車券も活発に発行された。例えば「大正駅 - 幸福駅」で「たいそう幸福」といった具合である。あるいはそれらの駅相互の間でも「新生駅 - 大樹駅」などの切符が人気を集めた。

しかしこのブームも広尾線全体の営業改善にはあまり結びつかなかった[注 4]。最末期は一日片道6本という同線の便数の少なさもあって、この駅を訪れる観光客自体観光バスやレンタカーを利用することが多かった。同線は1984年に第2次廃止対象特定地方交通線に指定され、1987年2月2日をもって幸福駅は広尾線とともに廃止となった[1]

縁起もの入場券のブームへ

幸福駅は当時に始まり、現在もなお継続する縁起のよい駅名の入場券乗車券を求めるブームの嚆矢となった駅であり、全国のローカル線やローカル鉄道会社に記念入場券で収益を補うという新たなサイドビジネスを提案することとなった。幸福駅の事例により全国の縁起のよい名前を持つ駅、たとえば学駅妻駅真幸駅学門駅学文路駅などが入場券をアピールしようとするのである。そして松浦鉄道大学駅くま川鉄道おかどめ幸福駅南阿蘇鉄道南阿蘇水の生まれる里白水高原駅など、特に第三セクター鉄道において、入場券の販売を目的とした新設駅の駅名選定あるいは駅名改称なども起こっている。

駅跡

広尾線代行バスである、十勝バス広尾線の幸福バス停がある他、帯広市によって[7]「交通公園」として完全に観光地化され[8]、駅舎、トイレ、ホーム、レール駅名標が当時とほとんど変わらない状態で保存されていた[9]

1990年代後半には農村公園として、観光バスも利用可能なアスファルト舗装の駐車場やトイレ、花壇などが整備された。現在でも、待合室には現役当時同様に名刺や定期券などがびっしりと貼り付けられ、1990年代半ば以後はプリクラシールもしばしば見られる。ホームの入り口には「幸福の鐘」が、付近には後述するイベントのための小屋が廃止後付け加えられた。

レール上にはキハ22形キハ22 221キハ22 238の2両の気動車モーターカー1両が静態保存・展示されている[7]。これらの車両は2010年(平成22年)時点では良好な保存状態であった[10]

駅舎近くの売店では「愛の国から幸福へ」として知られる愛国駅から幸福駅ゆきの切符などのレプリカが販売されている(当然ながら切符としては使えない)。これらは地元企業により通信販売もなされている。また十勝バスも地紋を自社仕様にした硬券切符を発売している[11]。国鉄広尾線が健在であった当時から発売しており、日付が合えば十勝バスの乗車券として利用できる。

さらに帯広市の商工観光部観光課によって、「幸福駅ハッピーセレモニー」という結婚式風のイベントが夏季を中心に行われている。帯広観光コンベンション協会からは同駅の訪問者に対して「幸福からのメッセージ」というクリスマスカードを送るサービスも行われている。

2012年よりみけおうがデザインをした観光PRキャラクター「みゆき」(幸福駅の駅神)・「めぐみ」(愛国駅の駅神)が登場している[12]

2013年9月、老朽化のため駅舎は解体。同年11月16日に建替え工事が完成し、旧駅舎外壁の半分を新駅舎に使用するなど昔の面影を残すとともに、旧駅舎の壁に所狭しと張られた名刺や写真は新駅舎でも張り付け可能となり、駅舎内には4Kテレビの電子看板も設置された[13]

隣の駅

日本国有鉄道
広尾線
大正駅 - 幸福駅 - 中札内駅

ギャラリー

脚注

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注釈

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出典

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関連項目

外部リンク

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  2. “<ショット95>幸福駅に人絶えず… 張り紙、メッセージ 飽和状態”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1995年3月23日)
  3. “生まれ変わった幸せの駅舎 旧国鉄広尾線幸福駅で改築の式典”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2013年11月16日)
  4. 4.0 4.1 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)138ページより。
  5. 書籍『追憶の鉄路 北海道廃止ローカル線写真集』(著:工藤裕之、北海道新聞社2011年12月発行)234-235ページより。
  6. 6.0 6.1 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)13ページより。
  7. 7.0 7.1 書籍『全国保存鉄道III 東日本編』(監修:白川淳、JTBパブリッシング1998年11月発行)66ページより。
  8. 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)186-187ページより。
  9. 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング1999年3月発行)38-39ページより。
  10. 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)87ページより。
  11. 愛国から幸福ゆき切符 - 十勝バス
  12. テンプレート:Cite news
  13. 恋人の聖地 新たな門出 幸福駅十勝毎日新聞社ニュース 2013年11月16日


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