帝国議会

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帝国議会(ていこくぎかい)

  1. ドイツ語の「Reichstag」の訳語の一つ。
    1. 神聖ローマ帝国の領邦の代表者会議は、帝国議会 (神聖ローマ帝国)を参照。
    2. ドイツ帝国の議会は、帝国議会 (ドイツ帝国)を参照。
    3. ドイツ国オーストリア=ハンガリー帝国の議会は、国会 (ドイツ)およびドイツ国会議事堂を参照。
  2. 大日本帝国憲法の下での議会(英:Imperial Diet[1])本稿ではこれを扱う。

テンプレート:議会 帝国議会(ていこくぎかい)は、1889年大日本帝国憲法(明治憲法)発布から1947年日本国憲法への改正まで設置されていた日本議会である。公選の衆議院と非公選の貴族院から成る。「議会」と略称された[2]1890年11月29日の第1回議会から、1947年3月31日の第92回議会まで行われた。今日の国会との連続性を持つ。

沿革

明治初期の自由民権運動国会開設運動を経て1890年(明治23年)に成立。初期議会においては政府の超然主義と衆議院が対立していたが、日清戦争後には政府と両院の提携が行われるようになり、大正デモクラシーにより政党政治が行われるようになると衆議院の立場が強まるが、軍部などの勢力の台頭で議院内閣制は確立できず、1932年昭和7年)に起きた軍部のクーデター未遂である五・一五事件で地位が低下する。特に、1940年(昭和15年)に全政党が解散して大政翼賛会が成立されると、議会は政府・軍部の提出を追認するだけの翼賛議会と化していった[3]

衆議院では成立当初から乱闘騒ぎがしばしば起きていたのに対し、貴族院ではほとんどなかったとされている。なお、日清戦争中の第7議会大本営のあった広島市で開催されている。

1947年(昭和22年)3月31日の第92議会で衆議院は解散し、貴族院は停会された。そして、同年5月3日日本国憲法が施行され、帝国議会は国会に正式名称を変更した。

構成・権限等

衆議院貴族院二院制で、貴族院は皇族、華族議員[4]と勅選議員、多額納税の議員で構成され、解散はなかった。ただし、皇族が議会に出席したことはなかった。議院相互の関係などは議院法によって規律された。両院は、衆議院の予算先議権を除き、対等の権限を有する[5]。衆議院と貴族院を併せて衆貴両院、衆貴二院と称した。

帝国議会の常会(通常会)は毎年12月に召集され、会期は3ヶ月であったが、勅命によって延長されることもあった。議会の召集・開会・閉会・停会衆議院解散天皇大権に属した。召集は各議員に対して一定の期日に特定の場所に集会を命じる行為であるが、勅命によってのみなされる。帝国議会はみずから召集する権、またはこれを請求する権を有しない。帝国議会は毎年1回召集するのを常則とされ、これを通常会といい、毎年11月、または12月、東京に召集される。ほかに臨時議会が召集することがある(41条)。開会は、議会が召集され、議長、副議長および議員の部属が定り、両議院が成立したのち詔書で期日を定めてなされる。閉会は、会期が終了し、したがって議会の職務行為が終了したことを公に宣示する行為であり、詔書をもって命じられる。議会の開閉は、両院に対して同時に行なわれる。議会の停会は会期中、一時、議会の職務行動の停止を命じる行為で、15日以内、一定の期間を定め、詔書で命じる。衆議院が解散されると、貴族院も停会扱いとされ、解散から5ヶ月以内に衆議院選挙を行って新議会を召集しなければならないとされていた。議会の休会は各議院がその会議を休止することで、会期中、休会するのは各院の随意であった。

日本国憲法下の国会と比較すると、大日本帝国憲法三権分立の形式を取りながら、立法権は天皇の大権に属し、議会には、政府が提出する法律案に対する立法協賛権(憲法5条、37条)及び予算案に対する予算協賛権(64条)、政府に対する建議権(40条)、天皇に対する上奏権(49条)、議会に持ち込まれた請願を審議する権限(50条)が与えられていた。また、天皇による法律裁可権に基づく裁可を経るという条件付きながら法律提案権(38条)も有していた[6]

帝国議会の協賛権は、国家の行為についてその行為が行なわれる前にあらかじめ同意を与えてその行為を有効、または適法ならしめる権である。 1 立法に関する協賛(5条)、a 憲法改正の協賛、b 法律の協賛、c 貴族院令に対する貴族院の協賛。これらはかならず協賛を得て、そうでない場合は無効である。2 行政に関する協賛、a 国家の歳入歳出予算(64条)、b 国債を起すこと(62条)、c 予算外国庫の負担となるべき契約をなすこと(62条)。これらの場合は協賛は有効条件ではなくて適法要件である。

帝国議会の承諾権は、帝国議会の協賛を要する行為について、その協賛を経る時間がないままに政府がなした国家行為に対して、事後、これに同意を与える権である。1 立法に関するものは緊急勅令(8条)で、その承諾が無いときは将来その効力を失う。2 行政に関するものは、a 予算超過支出および予算外支出(64条)、b 財政上の必要な処分をなす勅令(70条)で、承諾の無いときはすでに発生した効力は変化しないが、上述 a は将来にむかってその効力を失い、上述 b は国務大臣が帝国議会に対して違法の責に任ずるのみである。

帝国議会において、両議院の議員は、30人以上の賛成を得て国務大臣の責任に属する事項について国務大臣に質問をする権がある(議院法49条、50条)。これに対して大臣は答弁をなすか、またはそれを拒否する理由を明示する。この正式の質問に対して、質疑がある。質疑は、現に議題となっている事項に関して口頭でなされる質問で、各議員単独に国務大臣以外にも政府委員、議長、または発案者に対してもおこなうことができる。質疑は、ふつう質問と言われるもので、正式の質問よりも重大なものであるとされ、帝国議会が政府の行為を批評し、論議する最も有力な手段であるとされた。

帝国議会は、臣民が統治権に翼賛する機関であり、憲法、または法律の定める方式に従って、実質上、いっさいの国務に参与する。帝国議会の職務権限は、1 協賛権および承諾権(上述)、2 その他の形式的権限、a 上奏権、b 建議権、c 請願受理の権、d 決議権、e 国務審査の権、f 質問権(上述)、g 政府の報告を受ける権、h 天皇の諮詢に応える権、i 議員の逮捕を許諾する権(53条)、4 その他、議院内部の事項に関して規則を定め、これを処置する権(51条)。帝国議会は、直接に臣民に対して統治権を行使し、または外国に対して国家を代表する権を有しない。また皇室の事務に参与することができない。

特徴

予算案に関しては否決ができず、修正のみ可能であった。しかも予算の編成権は政府のみが有していて議会にはなかったため、修正も予算金額の削減だけであった。ただし追加予算案は否決できた。緊急時には委員会の審議を省略し本会議にかけることができたため軍事費や皇室関係費などの追加予算のさいにはしばしば省略された[7][8]

予算議定権は、憲法64条に規定された、帝国議会が政府提出の予算に協賛する権であるが、その範囲は、皇室経費(66条)、継続費(68条)、歳入予算などに関して制限があった。 1.歳出予算については、その原案に対して廃除削減を行ない得るのみであった。2.政府の原案については、a 憲法上の大権に基づく既定の歳出、b 法律の結果による歳出、c 法律上、政府の義務に属する歳出の修正には政府の同意を要する(67条)。 予算の協賛権の効果はあらかじめ同意を与え、大臣の責任を解除する。 帝国議会が予算を議定せず、または予算が不成立のときは、政府は前年度の予算を施行する(71条)。 予算については衆議院が先議権を有する(65条)。

(議決を経なければ法律は成立しないものの)帝国議会は天皇の立法権行使に対する協賛機関という位置付けであった点に一番の違いがあり[9]、「立法権は国王と議会が共に持ち行使する」という近現代の欧州立憲君主国における位置づけとはやや異なる。 しかし両者ともに、絶対王政下のような拒否権は有せず、天皇自ら法案を作成したわけでも、帝国議会の議決を裁可しなかったわけでもないので、事実上の近代的立憲君主国であることは間違いがない。

また、大日本帝国憲法下では法律事項とされる事項であっても、法律に反しない限りは帝国議会の関与を要せず、勅令をもって独立命令を制定でき(「立法」の対象が狭く考えられていた[10])、皇室経費は議会の協賛の対象外とされ(憲法66条)、その他天皇大権に関わる予算も政府が同意しない限りにおいては、削減・廃除ができないとされるなど、政治に関する他の多くの権限が議会の統制を受けず、議会の権限は弱かった。したがって、帝国議会の議決は国家の最高意思ではなく、帝国議会の権限外にあった。

日本国憲法下の国会では委員会制が採られているが、帝国議会では三読会制が採られていて、本会議中心であった。委員会の種類としては、全院委員会、常任委員会及び特別委員会、そして、継続委員が置かれていた。全院委員はすべての議員が委員となり、実際上、本会議と異ならず、ただし、議長および議事規則は異なった。常任委員は、貴族院には、資格審査委員、予算委員、懲罰委員、請願委員および決算委員があった。衆議院には資格審査委員をのぞく4つがあった。特別委員はいち事件が審査されるために特設され、継続委員は、議会の閉会中、議案の審査を継続するために設けられた。

帝国議会の一覧

帝国議会は下記の通り開催された[11]

  • 第1回帝国議会 1890年(明治23年)11月29日 - 1891年(明治24年)3月7日 (通常会)
  • 第2回帝国議会 1891年(明治24年)11月26日 - 1891年(明治24年)12月25日 (通常会。蛮勇演説。1891年(明治24年)12月25日、解散)
  • 第3回帝国議会 1892年(明治25年)5月6日 - 1892年(明治25年)6月14日 (特別会)
  • 第4回帝国議会 1892年(明治25年)11月29日 - 1893年(明治26年)2月28日 (通常会)
  • 第5回帝国議会 1893年(明治26年)11月28日 - 1893年(明治26年)12月30日 (通常会。1893年(明治26年)12月30日、解散)
  • 第6回帝国議会 1894年(明治27年)5月15日 - 1894年(明治27年)6月2日 (特別会。1894年(明治27年)6月2日、解散)
  • 第7回帝国議会 1894年(明治27年)10月18日 - 1894年(明治27年)10月21日 (臨時会。日清戦争による広島召集)
  • 第8回帝国議会 1894年(明治27年)12月24日 - 1894年(明治28年)3月23日 (通常会)
  • 第9回帝国議会 1895年(明治28年)12月28日 - 1896年(明治29年)3月28日 (通常会)
  • 第10回帝国議会 1896年(明治29年)12月25日 - 1897年(明治30年)3月24日 (通常会)
  • 第11回帝国議会 1897年(明治30年)12月24日 - 1897年(明治30年)12月25日 (通常会。1897年(明治30年)12月25日、解散)
  • 第12回帝国議会 1898年(明治31年)5月19日 - 1898年(明治31年)6月10日 (特別会。1898年(明治31年)6月10日、解散)
  • 第13回帝国議会 1898年(明治31年)12月3日 - 1899年(明治32年)3月9日 (特別・通常会)
  • 第14回帝国議会 1899年(明治32年)11月22日 - 1900年(明治33年)2月23日 (通常会)
  • 第15回帝国議会 1900年(明治33年)12月25日 - 1901年(明治34年)3月24日 (通常会)
  • 第16回帝国議会 1901年(明治34年)12月10日 - 1902年(明治35年)3月9日 (通常会)
  • 第17回帝国議会 1902年(明治35年)12月9日 - 1902年(明治35年)12月28日 (通常会。1902年(明治35年)12月28日、解散)
  • 第18回帝国議会 1903年(明治36年)5月12日 - 1903年(明治36年)6月4日 (特別会)
  • 第19回帝国議会 1903年(明治36年)12月10日 - 1903年(明治36年)12月11日 (通常会。1903年(明治36年)12月11日、解散)
  • 第20回帝国議会 1904年(明治37年)3月20日 - 1904年(明治37年)3月29日 (臨時会)
  • 第21回帝国議会 1904年(明治37年)11月30日 - 1905年(明治38年)2月27日 (通常会)
  • 第22回帝国議会 1905年(明治38年)12月28日 - 1906年(明治39年)3月27日 (通常会)
  • 第23回帝国議会 1906年(明治39年)12月28日 - 1907年(明治40年)3月27日 (通常会)
  • 第24回帝国議会 1907年(明治40年)12月28日 - 1908年(明治41年)3月26日 (通常会)
  • 第25回帝国議会 1908年(明治41年)12月25日 - 1909年(明治42年)3月24日 (通常会)
  • 第26回帝国議会 1909年(明治42年)12月24日 - 1910年(明治43年)3月23日 (通常会)
  • 第27回帝国議会 1910年(明治43年)12月23日 - 1911年(明治44年)3月22日 (通常会)
  • 第28回帝国議会 1911年(明治44年)12月27日 - 1912年(明治45年)3月25日 (通常会)
  • 第29回帝国議会 1912年(大正元年)8月23日 - 1912年(大正元年)8月25日 (臨時会)
  • 第30回帝国議会 1912年(大正元年)12月27日 - 1913年(大正2年)3月26日 (通常会。第一次護憲運動
  • 第31回帝国議会 1913年(大正2年)12月26日 - 1914年(大正3年)3月25日 (通常会。シーメンス事件
  • 第32回帝国議会 1914年(大正3年)5月5日 - 1914年(大正3年)5月7日 (臨時会)
  • 第33回帝国議会 1914年(大正3年)6月22日 - 1914年(大正3年)6月28日 (臨時会)
  • 第34回帝国議会 1914年(大正3年)9月4日 - 1914年(大正3年)9月9日 (臨時会)
  • 第35回帝国議会 1914年(大正3年)12月7日 - 1914年(大正3年)12月25日 (通常会)
  • 第36回帝国議会 1915年(大正4年)5月20日 - 1915年(大正4年)6月9日 (特別会)
  • 第37回帝国議会 1915年(大正4年)12月1日 - 1916年(大正5年)2月28日 (通常会)
  • 第38回帝国議会 1916年(大正5年)12月27日 - 1917年(大正6年)1月25日 (通常会。17年(大正6年1月25日、解散)
  • 第39回帝国議会 1917年(大正6年)6月23日 - 1917年(大正6年)7月14日 (特別会)
  • 第40回帝国議会 1917年(大正6年)12月27日 - 1918年(大正7年)3月26日 (通常会)
  • 第41回帝国議会 1918年(大正7年)12月27日 - 1919年(大正8年)3月26日 (通常会)
  • 第42回帝国議会 1919年(大正8年)12月26日 - 1920年(大正9年)2月26日 (通常会。1920年(大正9年)2月26日、解散)
  • 第43回帝国議会 1920年(大正9年)7月1日 - 1920年(大正9年)7月28日 (特別会)
  • 第44回帝国議会 1920年(大正9年)12月27日 - 1921年(大正10年)3月26日 (通常会)
  • 第45回帝国議会 1921年(大正10年)12月26日 - 19年(大正11年)3月25日 (通常会)
  • 第46回帝国議会 1922年(大正11年)12月27日 - 1923年(大正12年)3月26日 (通常会)
  • 第47回帝国議会 1923年(大正12年)12月11日 - 1923年(大正12年)12月23日 (臨時会)
  • 第48回帝国議会 1923年(大正12年)12月27日 - 1924年(大正13年)1月31日 (通常会。第二次護憲運動。1924年(大正13年)1月31日、解散)
  • 第49回帝国議会 1924年(大正13年)6月28日 - 1924年(大正13年)7月18日 (特別会)
  • 第50回帝国議会 1924年(大正13年)12月26日 - 1925年(大正14年)3月30日 (通常会。普通選挙法治安維持法
  • 第51回帝国議会 1925年(大正14年)12月26日 - 1926年(大正15年)3月25日 (通常会)
  • 第52回帝国議会 1926年(昭和元年)12月26日 - 1927年(昭和2年)3月25日 (通常会)
  • 第53回帝国議会 1927年(昭和2年)5月4日 - 1927年(昭和2年)5月8日 (臨時会)
  • 第54回帝国議会 1927年(昭和2年)12月26日 - 1928年(昭和3年)1月21日 (通常会。1928年(昭和3年)1月21日、解散)
  • 第55回帝国議会 1928年(昭和3年)4月23日 - 1928年(昭和3年)5月6日 (特別会。普通選挙後の初議会)
  • 第56回帝国議会 1928年(昭和3年)12月26日 - 1929年(昭和4年)3月25日 (通常会)
  • 第57回帝国議会 1929年(昭和4年)12月26日 - 1930年(昭和5年)1月21日 (通常会。1930年(昭和5年)1月21日、解散)
  • 第58回帝国議会 1930年(昭和5年)4月23日 - 1930年(昭和5年)5月13日 (特別会)
  • 第59回帝国議会 1930年(昭和5年)12月26日 - 1931年(昭和6年)3月27日 (通常会)
  • 第60回帝国議会 1931年(昭和6年)12月26日 - 1932年(昭和7年)1月21日 (通常会。1932年(昭和7年)1月21日、解散)
  • 第61回帝国議会 1932年(昭和7年)3月20日 - 1932年(昭和7年)3月24日 (臨時会)
  • 第62回帝国議会 1932年(昭和7年)6月1日 - 1932年(昭和7年)6月14日 (臨時会)
  • 第63回帝国議会 1932年(昭和7年)8月23日 - 1932年(昭和7年)9月4日 (臨時会)
  • 第64回帝国議会 1932年(昭和7年)12月26日 - 1933年(昭和8年)3月25日 (通常会)
  • 第65回帝国議会 1933年(昭和8年)12月26日 - 1934年(昭和9年)3月25日 (通常会)
  • 第66回帝国議会 1934年(昭和9年)11月28日 - 1934年(昭和9年)12月10日 (臨時会)
  • 第67回帝国議会 1934年(昭和9年)12月26日 - 1935年(昭和10年)3月25日 (通常会。天皇機関説事件
  • 第68回帝国議会 1935年(昭和10年)12月26日 - 1936年(昭和11年)1月21日 (通常会。1936年(昭和11年1月21日、解散)
  • 第69回帝国議会 1936年(昭和11年)5月4日 - 1936年(昭和11年)5月26日 (特別会。粛軍演説
  • 第70回帝国議会 1936年(昭和11年)12月26日 - 1937年(昭和12年)3月31日 (通常会。腹切り問答。1937年(昭和12年)3月31日、解散)
  • 第71回帝国議会 1937年(昭和12年)7月25日 - 1937年(昭和12年)8月7日 (特別会)
  • 第72回帝国議会 1937年(昭和12年)9月4日 - 1937年(昭和12年)9月8日 (臨時会)
  • 第73回帝国議会 1937年(昭和12年)12月26日 - 1938年(昭和13年)3月26日 (通常会。「黙れ」事件
  • 第74回帝国議会 1938年(昭和13年)12月26日 - 1939年(昭和14年)3月25日 (通常会)
  • 第75回帝国議会 1939年(昭和14年)12月26日 - 1940年(昭和15年)3月26日 (通常会。反軍演説
  • 第76回帝国議会 1940年(昭和15年)12月26日 - 1941年(昭和16年)3月25日 (通常会)
  • 第77回帝国議会 1941年(昭和16年)11月16日 - 1941年(昭和16年)11月20日 (臨時会)
  • 第78回帝国議会 1941年(昭和16年)12月16日 - 1941年(昭和16年)12月17日 (臨時会)
  • 第79回帝国議会 1941年(昭和16年)12月26日 - 1942年(昭和17年)3月25日 (通常会)
  • 第80回帝国議会 1942年(昭和17年)5月27日 - 1942年(昭和17年)5月28日 (臨時会)
  • 第81回帝国議会 1942年(昭和17年)12月26日 - 1943年(昭和18年)3月25日 (通常会)
  • 第82回帝国議会 1943年(昭和18年)6月16日 - 1943年(昭和18年)6月18日 (臨時会)
  • 第83回帝国議会 1943年(昭和18年)10月26日 - 1943年(昭和18年)10月28日 (臨時会)
  • 第84回帝国議会 1943年(昭和18年)12月26日 - 1944年(昭和19年)3月24日 (通常会)
  • 第85回帝国議会 1944年(昭和19年)9月7日 - 1944年(昭和19年)9月11日 (臨時会)
  • 第86回帝国議会 1944年(昭和19年)12月26日 - 1945年(昭和20年)3月25日 (通常会)
  • 第87回帝国議会 1945年(昭和20年)6月9日 - 1945年(昭和20年)6月12日 (臨時会)
  • 第88回帝国議会 1945年(昭和20年)9月4日 - 1945年(昭和20年)9月5日 (臨時会)
  • 第89回帝国議会 1945年(昭和20年)11月27日 - 1945年(昭和20年)12月18日 (臨時会。19年(昭和20年)12月18日、解散)
  • 第90回帝国議会 1946年(昭和21年)6月20日 - 1946年(昭和21年)10月11日 (臨時会。日本国憲法審議)
  • 第91回帝国議会 1946年(昭和21年)11月26日 - 1946年(昭和21年)12月25日 (臨時会)
  • 第92回帝国議会 1946年(昭和21年)12月28日 - 1947年(昭和22年)3月31日 (通常会。1947年(昭和22年)3月31日、解散)

脚注

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文献情報

  • 「帝国議会の運営と会議録をめぐって」大山英久(国立国会図書館調査及び立法考査局調査企画課No.652(2005年5月))[1]

関連項目

外部リンク

  • 国立国会図書館による日本国憲法誕生の説明(英語版)などでも、"Imperial Diet"とされている。
  • 『事典 昭和戦前期の日本』(吉川弘文館) 36頁。
  • もっとも、政府や軍部側も国民や敵国に対して「挙国一致」の体裁をみせなければならなかったために、議員たちにも政府役職の一部を配分し、戦争遂行に直接関係しない分野では議会の立場に配慮するなどの一定の譲歩がなされたために、その利益を受けた議会指導者や主流派は積極的に翼賛議会確立に努め、政府や軍部の方針に批判的な一部議員は議会内部からも圧力を受けた。
  • ただし、伯爵以下の議員については7年に1度互選が行われて、その代表が議員となることになっていた。
  • 1891年2月20日、天野若円(大成会)が提出した、衆議院が大日本帝国憲法第67条関連の予算削減を審議する際には事前に政府の了解を得るという決議が衆議院で可決され、政府もこれを了承した。これは一見帝国議会における予算削減の権限を自主的に制約したようにもみえるが、裏を返せば、予算先議権がある衆議院と政府が合意した予算削減に貴族院がさらに修正を加える余地を奪うもので、衆議院が予算審議における貴族院に対する優越権を議会慣習の形で事実上確立したものであった。
  • 議会で成立した議員提案の法律案が天皇の裁可を得られずに成立しなかった例はない。
  • 予算の審議は衆議院の先議(65条)であったが決算は政府から両院に提出され、各院は別々に決議し、決議したものは他の院に送付されない。よって両院の決議が異なることがあった。
  • 「帝国議会の運営と会議録をめぐって」大山英久(国立国会図書館調査及び立法考査局調査企画課No.652(2005年5月))[2]PDF-P.9
  • 5条により、「立法権は天皇にあり、帝国議会は協賛機関に過ぎない」とみるか、37条により立法に協賛を「要ス」点に着目して実質的立法機関とみるかで帝国議会への評価は異なる。前者は翼賛政治体制時に象徴的にみられ、後者は大正デモクラシー期に最も強く現れた。
  • ただし、緊急勅令は後日議会の承認を得なければ以後の効力は無効となり、非常大権は帝国憲法下では一度も出されなかった。
  • 大山英久「帝国議会の運営と会議録をめぐって」[3](『レファレンス』 No.652、2005年5月、国立国会図書館)