川端達夫

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テンプレート:政治家 川端 達夫(かわばた たつお、1945年(昭和20年)1月24日 - )は、日本政治家民主党所属の衆議院議員(9期)。

民主党国会対策委員長、民主党幹事長(第6代)、文部科学大臣(第1213代)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)総務大臣第15代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)などを歴任。

来歴・人物

生い立ち

滋賀県蒲生郡(現近江八幡市)生まれ。生家は薬局を営んでいた。滋賀県立彦根東高等学校京都大学工学部卒業。京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、東レに入社した。開発研究に携わる傍ら、労働組合運動にも取り組んだ。

初当選から民主党結党まで

1986年第38回衆議院議員総選挙民社党公認で滋賀県全県区から出馬し、初当選した。1994年の民社党解党では、民社党委員長経験者である塚本三郎大内啓伍が離反したが、新進党結党に参加。

1995年日本社会党を離党した元社会党委員長の山花貞夫や元社会党書記長の赤松広隆日本新党を離党し当時無所属海江田万里らによる、社会党や新党さきがけに代わるリベラル新党結成の動きに同調して新進党を離党するが、阪神大震災後の同年10月に新進党に復党。

1997年末の新進党解党に伴い、新党友愛に参加した。1998年旧民主党民政党・新党友愛が合流した民主党結党に参加。

野党時代

民主党では国会対策委員長や組織委員長を務める。菅直人民主党代表に不倫スキャンダルが発覚した際、党総合調整局長だった川端は仙谷由人筆頭副幹事長や熊谷弘(のちに離党)らに同調し、菅おろしに動いた。

2004年5月、岡田克也民主党代表に就任し、岡田新執行部では国会対策委員長に就任した。国会対策委員長時代、「質問主意書の増加によって官僚残業が増えている」と指摘し、自由民主党が質問主意書の提出制限を主張したことに対し、質問主意書の提出制限は日本国憲法で保障された国政調査権への冒涜であり、「国民の負託を受けて我々が要求することに(官僚が)徹夜してでもしっかりと対応するのは当然だ」などと反発した。2004年9月、藤井裕久幹事長の代表代行就任に伴い、川端が民主党幹事長に昇格。

2005年第44回衆議院議員総選挙では自民党の上野賢一郎滋賀1区で敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し7選した(川端が選挙区で落選したのはこの総選挙が初めて)。選挙敗北の責任を取り岡田代表が辞任を表明し、執行部も総辞職した。「ポスト岡田」を選出する民主党代表選挙では、前原誠司に投票。

前原執行部では、党常任幹事会議長に就任した。2006年2月、堀江メール問題をめぐり野田佳彦国会対策委員長が引責辞任したため、国対委員長への就任を要請されるが、固辞した。国対委員長にはベテランの渡部恒三が就任し、渡部の下で国対委員長代理を兼任する。また、前年の総選挙で旧民社党系のベテランである米沢隆元委員長や中野寛成元書記長らが落選したため、旧民社党系の政治団体である民社協会の理事長に就任。

前原代表の辞任に伴う民主党代表選挙では、川端グループ(民社協会の通称)を挙げて小沢一郎支持を表明した。小沢新代表の下、党常任幹事会議長に再任。

2009年民主党代表選挙では岡田克也への支持を表明し、推薦人に名を連ねる。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、前回敗れた自民党の上野賢一郎を破り、8選。

鳩山・菅政権

2009年9月、鳩山由紀夫内閣文部科学大臣に任命され、初入閣した。あわせて、国立国会図書館連絡調整委員会委員にも任命された[1]。翌17日の初登庁後の記者会見で、運転が長期停止中の高速増殖炉もんじゅ」(福井県敦賀市)について、引き続き研究開発を進める考えを示した。高校無償化法案については、文部科学省内や自治体からの要望を受け入れ、当初の家庭への給付案を取りやめ、学校側への給付にすることを了承した。

鳩山内閣において進めていた平成21年度補正予算の見直し作業においては、国対委員長時代の「官僚は徹夜して当然」という主張を曲げることなく、文部科学省の官僚に連休を返上させて作業に当たらせた[2]

2009年12月25日、高校の新学習指導要領解説書で竹島領土問題として例示しなかったことについて、閣議後の記者会見で、「竹島はわが国固有の領土であり、正しく認識させることに何ら変更があるわけではない」と強調し、「より簡素化するという意味で、『中学を踏まえて』という表現に集約した」と説明した[3]

2010年1月7日菅直人財務大臣就任(辞任した藤井裕久の後任)に伴い内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)を離任したため、川端が文部科学大臣と兼務する形で後任となった[4]

鳩山内閣の退陣に伴い、2010年6月に発足した菅内閣では、文部科学大臣と内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)の2つのポストで再任された。同年9月、菅第1次改造内閣発足により退任した。文部科学大臣としての後任は同じ旧民社党系の高木義明、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)としての後任は海江田万里が就いた。その後、衆議院議院運営委員長に就任。

野田政権

2011年9月に発足した野田内閣では、総務大臣内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)に任命され、3つのポストを兼務することとなった[5]。さらに、国務大臣としての所管事項として「地域の活性化を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[5]を担当することとなった。

同年11月16日国賓として訪日中のブータン国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク夫妻を歓迎するために行われた宮中晩餐会を欠席した。翌17日の参院総務委員会の自民党の片山さつきの質問に対して「極めて失礼なことをしたと深く反省している。二度とこういうことがないよう自覚を持って臨む」と陳謝した[6]

2012年1月13日内閣総理大臣野田佳彦内閣改造を行い、野田第1次改造内閣が発足した。川端は国務大臣として留任し、総務大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)を引き続き務めた。また、「地域の活性化を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も引き続き兼務。

同年6月4日、野田が内閣改造を再度行い、野田第2次改造内閣が発足した。川端は国務大臣として再び留任し、総務大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)を引き続き務めることになった。また、「地域の活性化を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も引き続き兼務。同年10月1日野田第3次改造内閣の発足に伴い退任。

民主党の下野・落選と繰り上げ当選

2012年12月16日第46回衆議院議員総選挙で、民主党はベテラン議員からも数多くの落選者を出す大敗で政権を失ったが、川端も自民党の新人大岡敏孝に敗れ、比例復活もならず落選した。民主党は滋賀県の小選挙区での4議席をすべて失い、比例復活で再選した三日月大造が民主党滋賀県連に属する唯一の現職衆議院議員となった。

2014年5月9日、三日月が滋賀県知事選挙出馬のため辞職した。これに伴い、川端を比例近畿ブロック繰り上げ当選とすることが中央選挙管理会による選挙会において5月14日に決定し[7]、翌15日に当選の旨が告示された[8]

政策

活動

  • 2004年11月に鈴木宗男へ一審実刑判決が出た際、民主党は川端の談話として「鈴木元議員を巡っては数多の疑惑が取り沙汰され、わが党も国会において厳しく追及した。その一部に過ぎないとはいえ、司法の場で事実関係が解明され、厳正な審判が下されたものと評価している」とコメントした[11]
  • 嘉田由紀子が当選した2006年7月の滋賀県知事選挙では、現職の國松善次と嘉田のどちらを推薦するかで民主党滋賀県連内の意見が二分し、最終判断を一任された県連代表の川端は5月12日に國松の推薦を決定。知事を2期8年務めた國松を評価する一方で、新幹線新駅建設凍結を主張する嘉田と推進する県連の立場にはズレがあることなどを指摘した。14日に自民党県連も國松の推薦を決定。同22日、民主党本部は地方選挙で自民との相乗りを禁止する方針を決めたが、6月9日に國松の推薦を決定した[12][13]。選挙後、川端は民主党支持層の多くが嘉田に投票したとの観測を示し、新幹線新駅建設凍結を支持する考えを表明した[14]
  • テンプレート:要出典範囲
  • 2008年に民主党政策調査会下の党の正式機関として発足した民主党新時代娯楽産業健全育成プロジェクトチームにおいて顧問を務める。

不祥事

人物

テンプレート:出典の明記

  • 阪神タイガースのファンで、「阪神タイガースを応援する議員の会」の23人の発起人の一人。「阪神タイガースが優勝したら国会で六甲颪を歌う」が同会の活動方針。
  • 漫画ゲームアニメなどのサブカルチャーに造詣が深い。好きなゲームはコーエーの『信長の野望』シリーズである[19]。鳩山内閣で文部科学大臣に就任した際にも、アニメーターの低賃金問題を取り上げ、労働状況の改善に努める旨を述べた。
  • 趣味は読書で、自他共に認める民主党の雑学王。「映画『ROOKIES』について議論できる政治家は私くらいです」(本人談)とのこと。
  • 尊敬する人物は西尾末広(民社党初代委員長)。

所属している、またはしていた団体・議員連盟

脚注

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外部リンク

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テンプレート:民主党国会対策委員長
  1. 「人事異動」『官報』号外特20号、国立印刷局2009年9月16日、1面。
  2. 産経新聞2009年9月22日朝刊。当該新聞報道によれば、多くの職員は、秋の大型連休家族旅行をキャンセルして準備にあたることを余儀なくされたという。
  3. テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
  4. テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
  5. 5.0 5.1 「人事異動」『官報』号外特43号、国立印刷局2011年9月2日、1面。
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  7. テンプレート:Cite news
  8. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「kampou20140515」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 テンプレート:Cite news
  10. 第166回国会 請願1226号
  11. テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite news
  13. テンプレート:Cite news
  14. テンプレート:Cite news
  15. 民主5議員の団体 政治活動費で飲食
  16. 政治活動でキャバクラ利用 江田議長ら民主5議員団体 47NEWS 2009年9月30日
  17. 川端達夫文部相 労組幹部の自宅を事務所に
  18. 22年間家賃なしで事務所費計上 川端文科相の政治団体 47NEWS 2010年1月12日
  19. テンプレート:Cite news
  20. パチンコチェーンストア協会理事・会員リスト