川内市

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川内市(せんだいし)は、九州の南西部、鹿児島県の北西部に所在していた

1929年5月20日隈之城村平佐村および東水引村が合併し川内町(せんだいちょう)として発足。1940年2月11日市制施行し川内市となった。鹿児島県内においては1889年に市制施行した鹿児島市に次いで2番目の市制施行となった。その後水引村永利村高江村及び下東郷村の一部、高城町を編入。2004年時点で人口約7万人であった。

2004年10月12日東郷町樋脇町入来町祁答院町上甑村下甑村里村鹿島村と合併し薩摩川内市となり、自治体としては消滅した。

地理

東シナ海へと注ぐ川内川が市の中央を東西に貫き、その河口が状になり市の中部に達し、川内平野を形成している。市の西部、川内川河口の末端には川内港川内原子力発電所川内発電所(火力)がある。

市内には京セラの工場がある他、薩摩焼酎(藷焼酎)の産地として知られる。

隣接していた自治体

歴史

都市名の由来

ニニギ (ニニギノミコト)がこの地に皇居を定めるにあたり、千の台を作るように命じたという故事によるとされる。

また、この地は薩摩の中心で高台には国府国分寺が置かれており、その高台を「千台」と言った。この「千台」が川内川の北側(内側)にあった事から「川内」になったとも言われている。

古来は「仙台」「千代」「千台」「河内」などとも書かれたが、1720年に当時の薩摩藩主であった島津吉貴が「川内」と命名し定着した。これは川内川と高城川の内側という意味である。

江戸時代には川内の名は広域地名となり、高城郷・水引郷・高江郷・隈之城郷・永利郷・平佐郷・中郷・東郷は川内八郷と呼ばれた。なおここでの「郷」は外城のことである。

後に中郷が東郷へ統合されたものの、1889年の町村制施行後、郷は「村」として継承された(水引は西水引村・東水引村へ、東郷は下東郷村・上東郷村へ分割)。その後昭和期の合併を経て八郷(上東郷村→東郷町を除く)は「川内市」としてひとつの自治体を構成するに至った。

沿革

前史

川内町成立後

姉妹都市・友好都市

教育

大学

高等学校

公立

私立

高等学校・中学校

私立

中学校

市立

小学校

市立

特別支援学校

  • 鹿児島県立串木野養護学校川内分校 - 2000年3月閉校。同年4月に開校した鹿児島県立出水養護学校(鹿児島県出水市)へ統合された。

交通

鉄道

廃止路線

道路

高速道路

2004年時点では高速道路は南九州西回り自動車道川内道路が工事中であり、未開通であった。

国道

県道

主要地方道

一般県道

  • 鹿児島県道332号荒川川内線
  • 鹿児島県道333号川内祁答院線
  • 鹿児島県道341号吉川川内線
  • 鹿児島県道342号上川内停車場線
  • 鹿児島県道394号山崎川内線

経済

ファイル:Sendai.JPG
川内原子力発電所

川内市に本社または事業所を置く主要企業

出身有名人

川内市を舞台とした作品

  • 釣りバカ日誌9』(1997年) - 新田神社甑島が舞台。旧川内市宮城県仙台市を勘違いする話題がある(川内市は「かわうちし」と読むと誤解している)。
  • 『微笑みを抱きしめて』(1996年) - 当時の川内市が製作費の半分を出し、同市の市民団体の協力によって作られた。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

en:Sendai, Kagoshima
  1. 昭和15年内務省告示第38号(川内市設置、テンプレート:Ws
  2. 昭和27年総理府告示第34号(市村の廃置分合、テンプレート:Ws
  3. 平成16年総務省告示第590号(市町村の廃置分合、テンプレート:Ws