岩手県立福岡高等学校

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岩手県立福岡高等学校(いわてけんりつ ふくおかこうとうがっこう)は、岩手県二戸市福岡字上平にある県立高等学校

概要

1901年に創立され110年を超える歴史を持つ本校は、岩手県内で3番目に古い旧制中学を前身とする歴史を持っており、岩手県北地域を代表する進学校である。1998年に頭髪に関する校則が大幅に規制緩和されるまでは、全国的にも大変珍しい男子生徒全員が丸坊主の学校であった。隣接県協定により青森県南地域の八戸市三戸町などからの受験も可能である。

校歌

作詞 疋田 剛三  作曲 豊原 雄太郎

一、岩手の北臺 天下の鎮  降るや嶽神 雲薫り

  湧くや醴泉 龍躍る     自然の精霊 鍾りて

  天地の威徳 象れる    我が高校や 国の誇示

二、三綱の柱  太しりて   五目の甍  聳ゆなり

  ああ荘厳の 我が校や   偉人の事業 実の学

  学ぶ鳳雛の 羽搏くや   習ふ龍駒の 馳るかな

三、義憤の大作 時の傑    九戸古城址 君見ずや

  無量の感慨 胸を衝く    いざや稜威を 戴きて

  天の使命ぞ 果たさなん  国士の気魄 我が理想  

* 本来の歌詞は第三節が「九戸古城址 君見ずや」ではなく「九戸古城主 君見ずや」だった。口承で伝わっているうちに「九戸古城址」に誤って伝えられたものと思われる。学校創立60周年を機に同窓会長が中心になり「九戸古城主」に直し、70周年、80周年の記念式典でも「九戸古城主」で歌われた。現在は、学校の公式サイトでは「九戸古城址」とされているが、文脈から国士とは誰かを考えれば下斗米将真(相馬大作)と九戸政実を指すことは明らか。なお、第三節の作詞は疋田氏ではなく小保内鞆男などを中心とした在校生有志である。  

制服 

施設 

  • 教室
  • 各種教室
  • 体育館
  • 武道館
  • プール
  • 第1グラウンド
  • 第2グラウンド
  • 福陵会館

野球部と応援団

部活動応援団の活動が非常に活発である。学校所在地の岩手県二戸市は野球が盛んな地域であり、部活動の中でも特に野球部は特別な存在である。県内最多甲子園出場校(10回)であり、以前には『古豪福岡』とも呼ばれるほどに強かった時期があり、未だに全国にオールドファンが存在している。1927年夏の甲子園に初出場。準々決勝で水原茂がいる高松商業この大会で優勝)と対戦し、日本で初めて敬遠満塁策を成功させた有名な逸話がある。ちなみに2ケタ以上の甲子園出場を数える高校の中で、春の出場1度も無い唯一の学校でもある。その理由は、1928年1929年に春の大会に選抜されたものの、予算不足のためにいずれも辞退していた為である。 2014年、90周年を迎えた甲子園球場での夏の全国高校野球選手権大会の開幕試合の始球式で、野球部の柳畑主将(3年)が渾身の内角ストレートでストライク投球を披露した。 全国大会の舞台を甲子園球場に移した後の1927年に、東北勢として甲子園球場で初勝利を挙げた戦績から日本高野連より指名されたのである。

その野球部と双璧を成す応援団は『バンカラ応援団』として全国的に有名である。野球部が1985年の夏に10度目の甲子園出場を果たした際、甲子園球場の一塁側アルプススタンドに陣取った『バンカラ応援団』はNHKのテレビ放送を通じて全国に大変な衝撃を与えた。全国的には福岡高校と言えば『福岡県立福岡高等学校』がやはり有名であるが、それに負けじとばかりに真夏の灼熱の大甲子園で『岩手県立福岡高等学校』を猛烈にアピールしたのである。ちなみに、全国で校名に『福岡』が付く高校は他に埼玉県立福岡高等学校富山県立福岡高等学校近畿大学附属福岡高等学校、そして上智福岡高等学校であるが、このうち埼玉県立福岡高校は2013年に統合により既に校名が変更されている。

1985年の夏の県大会。大学受験を控えた高校3年生は例年通りに学校の夏期講習に参加していたが、野球部が快進撃を続けて勝ち上がるのに伴い、夏期講習に出席せずに応援の為に球場に駆け付ける生徒が続出し、ついには夏期講習が中止となった逸話がある。 福岡高校の生徒の中には野球部員以上に野球に詳しい者も数多く、指導する教師もまた然り。 世界中に展開しているOB・OGの多くは常に母校野球部の活躍を注視し、甲子園出場を祈念し続けている。 野球部の練習を熱心に見守り、叱咤激励をする地域住民の野球熱は非常に高く、生徒・教師・OB・OG・地域住民達が一枚岩となって野球部を応援する伝統が根付いている。

甲子園での試合当日は関西特有の異常なまでの高温かつ非常に蒸し暑い猛暑日だった。しかしながら、応援するには最悪なこの気象条件をも顧みず、福岡高校の丸坊主姿の男子生徒達は全員が黒の学生服を着用し、額には鉢巻を締め、手には長い紐を括り付けた学帽を握り締め、更には下駄履きの強者さえも多数存在する状況で一斉に甲子園球場に乗り込んだのである。通常とは明らかに違う雰囲気を察知した甲子園の観客達は唖然茫然としていた。一方、女子生徒達は男子生徒同様に額に鉢巻を締めてはいたが、白いブラウスに濃紺色のネクタイ、濃紺色のスカートという、男子生徒とは全く対極的な大変涼しげで洗練されたスタイルだった。それらの一般生徒達を束ねる応援団幹事は、代々受け継がれてきたという黒というよりはもはやグレーに近いボロボロの学生服を着用した男子生徒達と、凛々しき姿の男子生徒達で構成され、大太鼓に合わせて大きな校旗をこれでもかと言わんばかりに統制良く揃えて振り回し、常に異様で威圧的な雰囲気を醸し出していて同級生達からも恐れられていた程である。

結果として野球部は、初戦である1回戦で佐賀県立佐賀商業高等学校に惜しくも4-6の逆転負けを喫するのであるが、『バンカラ応援団』はその野球部以上に全国に鮮烈な印象を残して甲子園球場を後にしたのである。なお、甲子園では『吹奏楽部』は応援に参加出来ず、全て在校生・教師・父兄・OB・OGらの肉声のみでの応援を余儀なくされたが、彼等の野太い声はアルプススタンドにこだまして想像以上に迫力を増した。チアリーダーによる今時の華やかな応援を繰り広げた佐賀商業に対し、応援合戦では決して負けてはいなかった。県大会で毎年披露していた『バンカラ応援団』と『吹奏楽部』の合同応援スタイルは大変評判が良かっただけに、甲子園という大舞台で全国に披露出来なかった点だけは大変心残りである。ちなみに、1985年の夏の甲子園には、PL学園桑田真澄清原和博東北高校佐々木主浩など後にプロ野球(NPB)やメジャーリーグ(MLB)で大活躍する選手達が最上級生として数多く出場している。

通常のローマ字では"Fukuoka"と表記されるべき校名だが、野球部のユニフォームには『H』一文字を使用している。他の運動部などでも『HUKUOKA』と表記することが多い。これは郷土の偉人田中舘愛橘博士の提唱した日本式ローマ字の記載方法を採用している為である(国内で一般的に使用されているのはヘボン式)。しかし、一時期ではあるが1958年から1960年の間は『Fukuko』を使用していた。なお、二戸市立福岡小学校野球部と二戸市立福岡中学校野球部のユニフォームも『H』一文字であり、福岡高校野球部のユニフォームとほとんど同じである。ちなみに、二戸市立福岡小学校野球部も二戸市立福岡中学校野球部も共に岩手県内有数の強豪チームであり、なかでも二戸市立福岡中学校野球部は2006年全国中学校軟式野球大会で全国制覇を果たしている。

夏の甲子園大会に向けて行なわれる『暑中行軍』は、応援団幹事と生徒有志が野球部の応援のために学校から約80kmを約25時間かけて、ほぼ不眠不休で徒歩にて岩手県営野球場入りするもので、岩手県の夏の風物詩ともなっている。当初は学校非公認の行事であくまで生徒の自主行事との位置付けだった為、かつては停学処分を受けた生徒も存在したようだが、学校側は一度も阻止に出たことはなく現在では学校公認の行事となっている。『暑中行軍』の命名者は絵本作家の馬場のぼる1945年卒)であるが、野球部が10度目の甲子園出場を果たした1985年の11月12日に、NHK盛岡放送局でこの行事を題材として採り上げた『地域スペシャル東北アワー730 バンカラ街道80キロ~福岡高校応援団の25時間~』というタイトルのドキュメンタリー(28分間)が放送されたことから、以後は『80キロ行軍』と呼ばれる事も多い。なお、このドキュメンタリー放送の取材時期は1985年の夏の県大会直前であり、その結末には同県大会で野球部が優勝して甲子園出場を果たすという、まるでテレビドラマの様なストーリーの相乗効果もあり、甲子園同様に全国に大反響を呼んだ。その後2005年5月22日に再放送されて、改めて『岩手県立福岡高校バンカラ応援団』の存在を全国に周知せしめた。最近では岩手県営野球場ではなく、初戦が行なわれる球場を目指して100km以上歩くこともあり、金ヶ崎の森山球場まで歩いたことは未だないものの、2009年は雫石球場まで(約100km)、2010年花巻球場(約120km)までとその過酷さは年々増している。水島新司の野球漫画『ドカベン』に登場する『弁慶高校』のモデル校である話は余りにも有名な逸話である。

他の部活動についての詳細は部活動欄に記載の通りであるが、古くは1929年柔道部が全国制覇、1930年剣道個人で全国優勝、全国高校駅伝で第3位入賞などの実績がある。部ではなく選抜チームとして、2006年には全国高等学校カーリング選手権大会で男子が準優勝を果たしている。

設置課程

全日制
  • 普通科 1学年の募集定員は200名で5クラスを設置
定時制
  • 普通科 1学年の募集定員は40名

進学実績 

2014年4月現在、2013年度の卒業生数は149名。 現役での大学合格実績は、国公立大学が70名。私立大学が83名。国公立短大が7名。私立短大が15名。大学校が7名。 医療系専門学校が19名。専門学校が19名。公務員などの就職が3名。

沿革

  • 1901年4月28日- 岩手県立福岡中学校として開校。生徒定員400名。     
  • 1924年4月1日 - 岩手県福岡実科高等女学校開校。
  • 1943年4月1日 - 岩手県福岡実科高等女学校が学制改革により岩手県福岡高等女学校となる。
  • 1948年4月1日 - 岩手県立福岡中学校と岩手県福岡高等女学校が統合され、岩手県立福岡高等学校として開校。生徒定員750名。同時に定時制課程と浄法寺分校を設置。
  • 1948年6月19日- 定時制課程浄法寺分校開校。 
  • 1949年5月1日 - 定時制課程伊保内分校開校。
  • 1954年4月1日 - 商業科新設。普通科定員50名を減じ商業科50名を設置。生徒定員750名。
  • 1965年4月1日 - 普通科入学募集定員200名。商業科100名。
  • 1970年10月10日~14日- 第25回国民体育大会の剣道会場となり、天皇・皇后両陛下御来臨。
  • 1972年4月1日 - 伊保内分校が岩手県立伊保内高等学校として独立。
  • 1975年4月1日 - 浄法寺分校が岩手県立浄法寺高等学校として独立。
  • 1981年4月1日 - 定時制課程で岩手県立二戸高等技術専門校との技能連携開始により2学級増。 
  • 1998年4月1日 - 男子生徒の頭髪規制を大幅に緩和。
  • 1998年10月12日- 英国グラスゴーへ留学生の派遣を開始。
  • 1999年8月1日 - 全国高等学校総合体育大会(全国高総体=インターハイ)の剣道競技の練習会場となる。
  • 2000年3月31日 - 定時制課程で岩手県立二戸高等技術専門校との技能連携を解消。 
  • 2001年10月20日- 創立100周年記念式典挙行。
  • 2007年4月2日 - 商業科閉科式挙行。
  • 2008年4月1日 - 岩手県立浄法寺高等学校が高校再編により岩手県立福岡高等学校浄法寺校となる。
  • 2011年10月1日 - 創立110周年記念式典挙行。
  • 2014年4月1日 - 岩手県立福岡高等学校浄法寺校が募集停止。
  • 2016年4月1日 - 岩手県立福岡高等学校浄法寺校を統合予定。

部活動

運動部

岩手県内最多となる10度の甲子園出場を誇り、甲子園での通算成績は4勝10敗。 平成26年度岩手県スポーツ強化推進部である。

全国高総体で1964年男子団体第3位。1965年男子団体第5位。1975年女子団体第3位。1999年女子団体第3位。 2013年岩手県高総体で女子団体優勝。岩手県高総体で男女合わせて優勝34回。 男子は平成26年度岩手県スポーツ強化推進部である。

2012年岩手県高総体で女子個人78Kg超級優勝。

全国高総体で1976年女子個人準優勝。2011年男子団体優勝。ちなみに同年の男子団体準優勝は同じ岩手県二戸市内の岩手県立福岡工業高等学校である。岩手県高総体で男女合わせて優勝17回。 男子は平成26年度岩手県スポーツ特別強化指定部であり、女子は平成26年度岩手県スポーツ強化推進部である。

全国高校選手権大会で1955年女子砲丸投げ第5位。1956年女子砲丸投げ優勝。男子5000m走第2位。男子駅伝第3位。女子円盤投げ第6位。 1957年女子砲丸投げ優勝。女子円盤投げ優勝。男子駅伝第4位。男子5000m走第6位。1958年男子ハンマー投げ第4位。 2010年日本ジュニア陸上選手権大会で、男子円盤投げ優勝かつ日本高校新記録を樹立。

岩手県高総体で男子優勝1回。

2011年の全国高総体で男子ベスト16。岩手県高総体で男子優勝24回。

全国高総体で1970年水球で第8位。1972年水球で第6位。 2013年岩手県水泳選手権大会で男子500mメドレー優勝。女子50mバタフライ優勝。 2013年岩手県高総体で女子200m背泳ぎ優勝。

文化部

2012年NHK全国学校岩手県コンクールで金賞受賞。東北ブロックコンクールで奨励賞。 2013年岩手県合唱小アンサンブルコンテストで金賞。

2009年全国高校総合文化祭で個人の部で奨励賞(第1席)。 2013年全日本高校・大学生書道展で団体の部で優秀賞(第2位)。個人の部で書道展大賞1名。書道展賞6名。優秀賞11名。 2013年岩手県高校総合文化祭で連盟賞。 2013年岩手県高校書道作品コンクールで奨励賞3名。 2013年高校国際美術展・書道部門で奨励賞4名。佳作1名。

2011年岩手県高校総合文化祭の美術工芸展で特賞。 2013年岩手県高校総合文化祭の美術工芸部門で入選7名。

2011年東北地区高校演劇発表会で優秀賞・創作脚本賞。 2012年春季全国高校演劇研究大会フェスティバル2012に推薦出場。

2011年岩手県高校総合文化祭でポスター(パネル)発表最優秀。2012年全国高校総合文化祭に出場。

2013年全国高校総合文化祭に出場してベスト16。

著名な出身者

交通アクセス

東日本旅客鉄道(JR東日本)東北新幹線IGRいわて銀河鉄道二戸駅からバスで最寄りバス停まで5分

JRバス東北 『岩谷橋』バス停下車で徒歩5分

岩手県北バス『福岡川又』バス停下車で徒歩5分

関連項目

外部リンク